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第18話 恋は一方通行(3)

 奏汰は朝、顔を洗いながら鏡を見て「あ」と呟いた。頬の下にニキビができているのに気付いた。思い当たる節はある。日頃、スキンケアには気を使っているものの、昨夜は深夜のコンビニに赴いてチョコレートを買って食べてしまった。それもナッツ入りの。  奏汰は忙しい両親に代わって、厳しい祖母に育てられた。彼女はチョコレートとかポテトチップスとかそういうお菓子を子供には食べさせない主義で、おやつに芋とか煮干しとかを食べさせられた。  たまに見兼ねた両親がこっそりお菓子をくれたが、見つかると親まで子供の前で怒られた。自分が怒られるより母が厳しく叱責されているのを見て、お菓子なんかもう食べないと幼い奏汰は誓ったが、大人になってその反動がきた。  今の奏汰はチョコレートやケーキといった甘いものが大好きだ。けれど、肌が荒れてしまうのでドカ食いをしたり、寝る前には食べない。だというのに昨日、光輝が家を出て行ったあと無性にイライラとして眠れず、深夜のコンビニに散歩に出かけた。  夜更けに体に悪いものを口にする背徳感から生まれるスリルとまったりと口の中で溶けていく甘いチョコレートは奏汰を癒してくれた。  その代償が今ここにある。 「はぁ」  奏汰はニキビを指で触れてため息をついた。  朝からパラパラと雨が降っている火曜日だった。梅雨は明けたと報道されていたはずなのに、今週はずっとぐずつくようだ。この分じゃ、今年も織姫と彦星は会えないかもしれない。  奏汰は傘を差して駅に向かう。なんだか足取りが重い。雨が嫌いなせいもあるが、光輝に会うのが億劫だった。  昨日、うっかり行為の最中にカイの名を呼んでしまった後、光輝は家を飛び出した。そのまま何度メッセージを送っても既読にならなかった。悪いのは100%自分なのだが、謝罪すら受け入れてもらえないなんて。 (そんなん、もう無理じゃん)  付き合おうかと話したのは一昨日だ。お試しとはいえ三日目で終わるなんてさすがに思わなかった。 (結局、幻滅したらさよならかあ…)  別に長く続くと期待してはいなかった。だって光輝は『理想』というフィルターをかけて自分を見ている節がある。  恋愛に憧れていて、恋人に憧れていて、そして傷ついていて、そこに都合よく優しくしてくれる人が現れたから自分を好きになった気がしていただけだろう、と奏汰は思っている。  しかし、恋愛の始まりなどそんなものだと奏汰は分かっている。いや恋愛だけじゃない。人間なんて都合の良い部分しか見ない。都合の良いところだけ切り取って楽な方、楽な方へ流れる。  そして奏汰は相手の都合良いように振る舞い、良いところしか見せないようにするのが得意だ。光輝だって自分の良いところだけを都合よく見ていたに過ぎない。  自分もそうだったのかもしれない。光輝だったら自分の嫌なところを見せても好きでいてくれるかもしれない、と思ってしまったのかもしれない。  それくらい彼は純粋だった。けれど。 (俺の悪いところ受け入れてくれる気ないじゃん…)  と奏汰はずっと拗ねた気持ちになっているのだった。  憂鬱な気持ちのまま授業とゼミを終え、奏汰は一人で出口に向かって歩いていた。例によって奏汰は教授の雑事を手伝ってしまい遅くなってしまった。  といっても器具の類を片付けてただけだが。  時刻は18時だが、朝から降っていた雨は止まず構内は暗い。さっさと帰ろう腹減った、と足を早めたところで、 「浅見さん!!」  と彼は横切る猫のように目の前に飛び出してきた。 「うおおお!!」  奏汰は飛び上がったと形容してもいいほど大仰に驚き、後退りした。よく見なくても光輝だった。 「びびった!!なんだよお前!!なんでいつもおどかしてくんだよ!!」  奏汰は心臓を抑えながらまくし立てる。対して光輝は平然としていた。 「だって、浅見さんずっと誰かと一緒にいるし、ゼミの後見失うし、やっと見つけたと思って…」 「いや普通に連絡しろよ!」 「文字だと自分の気持ちをどうまとめていいか分からないですし…」 「じゃなくて、会いたいならそう連絡しろよって話!」 「ああ…。それは嫌」 「なんでだよ!」 「俺、怒ってるから」  奏汰は動悸が落ち着いてきたところで、ハッと周りを見回した。こんな意味深な会話をでかい声で繰り広げてしまったが、誰にも聞かれてないだろうか。どうも光輝といるといつも調子が狂う。 「…まぁ、いいや。俺も話したいことあったからちょうどよかった」 「え……」  と光輝は怯えたような目をした。 「別れようって言う気ですか」  と問う光輝は捨てられた犬みたいだった。光輝は自分の前以外だとクールぶっているようだが、感情がすぐ顔に出る。それが可愛くて、そして少し厄介だった。 「うん…だって俺のこと嫌になっちゃったでしょ」  奏汰は昨日の暴言を吐いて飛び出して行った光輝を思い浮かべる。 「そりゃ…ちょっとムカついたけど…」   (ちょっと…?) 「俺の知る『ちょっとムカついた』とだいぶ違うんだけど…」 「もういいです。浅見さんがそのセフレの人?が好きなのはよく分かりました」 「あー!そういう話をここでするな!!一回学校出ようか」  と言って奏汰は光輝を引っ張った。  大学を出るとパラパラと雨が降っていたので奏汰が傘を差す。ネイビーのメンズ用の大きな傘だった。光輝はなんの特徴もない透明なビニール傘を使っていた。  敷地から出て駅まで続く街道をしばらく歩いたところで、 「奏汰さんとそのセフレの人っていつから付き合ってるんですか?」  と唐突に光輝は尋ねてきた。 「えぇ…そんな話する…?関係なくない…?」 「関係なくないですよ!俺彼氏ですよ!一応!」  奏汰はぎょっとしてつい周りを確認してしまう。雨のおかげで周りに会話が聞こえることはないだろう。といってもこの時間はほとんど人がいないが。 「はぁ…そうか…そうだね…逆に聞いてくれる?」  カイのことを今まで他人に話したことはなかった。光輝と付き合うと思わなかったので、だいぶ明け透けに自分のことを話してしまっている気がする。今更隠さなくていいか、という気持ちの方が強かった。 「カイくんはさ、俺が初めてした人なんだよ」  と昔を懐かしむようにしみじみと切り出した奏汰に 「そ、そんなことまで聞いてない!!」  と光輝は騒ぎ出した。 「で、いつからの付き合いか?だっけ?高二だったかなあ」  奏汰は騒ぐ光輝を無視して話を続けた。 「そんな昔から!?」 「でもその時は会っただけ。何もしてない。高校生とはヤらないって言って帰らされちゃった。そんでさ、大学入ってからもう一回連絡したの。ダメ元で。そこから、ずるずると今に至ってます…めちゃくちゃ要約するとこんなかんじ」 「そんな長いことセフレ関係なんですか?なんで付き合ってないんですか」 「カイくんは一人の人と付き合えないんだって」 「なにそれ、クズじゃん」 「……」  光輝が率直な感想を述べると奏汰は明らかにムッとした顔をした。その反応につい光輝もムッとしてしまう。 「そんな人が好きなんですか?ずっと?」 「そうだよ、悪い?」  奏汰は拗ねたようにそっぽを向く。 「今も?」 「今も」  奏汰がちらっと光輝の顔を窺うと、やはりシュンとした顔をしていた。傷つくなら聞かなきゃいいのに…と奏汰は呆れた気持ちになってしまった。 (いや、カイくんを好きなまま付き合った俺が悪い)  雨が降っている。差した傘に雨が跳ねてポツポツと軽快な音を奏でている。駅が近づいてくると、少し車が増えてくる。地面の水たまりにネオンやテールランプが反射して寂れた駅前がいつもより賑やかに見える。 「ごめんね。やっぱり君とは付き合えない」  奏汰がそう告げるとふいに光輝は抱き着いてきた。光輝は自分の傘を地面に捨てて奏汰の傘に入る。 「いいです、大丈夫です。その人が好きなままでいいです。でも俺のことも好きになって」 「…………」  光輝は奏汰の肩口に顔を押し付けた。なんだか泣きそうな気持ちになった。自分はもう好きな人に振られたくない。光輝は半ば強迫観念のようなものに囚われている。その自覚はあった。あったが、どうしようもなかった。 「だって奏汰さん、その人のものじゃないですよね。いつか一番好きになってもらうから、このまま付き合いたいです」  今日の奏汰はベビーパウダーのような甘くて優しい香りがする。雨のせいで余計に匂い立つ。 「そんな不毛なこと…」 「奏汰さんだって同じじゃないですか…」 「……そうだね…俺たちって不毛だね…」  その時、駅方面から一人の女性が二人に向かって歩いてきた。大学しかないような道なので人通りは少ないのだが、もしかしたら夜間学生かもしれない。  奏汰は少し迷ったが、光輝を引きはがさなかった。自分の大きい傘を少し傾けて光輝と自分を隠した。    狭い箱の中に二人で閉じ込められたような気持ちがした。けれど居心地は悪くなかった。  

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