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第30話 奏汰の迷走(5)

 飲み会がゆるく進行していく中、奏汰は光輝が席を立ったタイミングでさりげなく自分も席を立った。トイレに入っていった光輝を出口の辺りで待ち伏せて声をかけた。 「鳥羽」 「………」  光輝は声にこそ出さなかったが『げっ』と呟いたような顔をした。 「今日来ないかと思った」 「来たくなかったけど会費払っちゃったし…」 「ちょっと外で話さない?」 「………」  光輝は返事をしなかったが、店の外までついてきてくれた。  店を出ると路地の隙間に小さなベンチと灰皿スタンドが置いてある簡易的な喫煙所がある。  今日は天文サークルが貸切状態であり、喫煙者もあまりいないため光輝と奏汰以外は誰もいなかった。  奏汰と光輝は小さい木製のベンチに二人並んで座った。狭くて僅かに服がくっつく。 「サークル辞めないでくれてありがとう」  奏汰は電子煙草を吸って煙を吐きながら言った。光輝はその煙をぼんやりと眺めた。夜だというのに涼しさは全くない。今夜も熱帯夜になるだろう。もわっとした湿度の高い風が時折二人に吹きつける。風に乗って奏汰の煙草と香水の匂いが漂ってきた。シトラスの匂いだった。  光輝は奏汰と一緒にいるようになってから、奏汰が五種類の香水を使い分けていることを知った。奏汰は香りのするものが好きらしく、アロマやお香や石鹸も好きだと言っていた。煙草を吸うのも匂いが好きらしい。  奏汰のことを一つ一つ知っていくのは楽しかった。奏汰のことをちゃんと好きだったと思う。恋をしていたと思う。けれど。 「九月の合宿終わったら辞めます。それも費用払っちゃったし」  と光輝が答えると奏汰は視線を落としたまま 「そっか……」  とだけ答えた。 「…………」  光輝は何も言わずに奏汰と過ごした約一ヶ月を思い返した。『恋人との生活』に憧れと理想があったのは認めるし、それを奏汰に押し付けていたと言われればそうだったかもしれない。勝手に期待して勝手に幻滅したと言われても、そうだったとしか言えない。  カイという男を好きなままでいいと言ったのは自分だ。それでも構わないと思ったのも紛れもない事実だ。  キスをしているところを見せつけられたのはショックではあったが、奏汰がここまで懸命に潔白を訴えているなら、本当にキスしかしていないだろうし、きちんと別れたのかもしれない。奏汰にそのような嘘をつく狡さがないのは分かっていた。  気持ちの上では、整理はついていた。しかし光輝が奏汰を受け入れられないのは、もっと別にあった。 「昔、俺には二番とか三番は無理って言われたことがあって」  光輝はおもむろに口を開いた。奏汰は視線を光輝に移す。光輝は少しだけ遠い目をしていた。 「俺にはそういうの耐えられないと思うから無理って意味なんですけど」  光輝は昔を懐かしむように語る。 「本当にそうだったなあと思って」  そして僅かに自嘲するように光輝は笑う。 「奏汰さんに好きな人がいてもいいって本当に思ってたんです」  寂しげな表情に奏汰はぐっと胸が詰まりそうになる。光輝が過去に何があって何をされたのかは知らないが、健気に自分を好きでいようとしてくれていた人になんてことをしたのだろう。奏汰は光輝を抱きしめたくなって手を伸ばす。 「でも奏汰さんがその人と一緒にいた時の顔…」 「顔…?」  奏汰は伸ばしかけた手を止めた。何やら光輝が険しい表情をしている。 「めっちゃくちゃデレデレしてましたよ。自覚あります?」  キッと光輝が睨んできた。 「えっ!?」  奏汰はそんなことを指摘されると思わず驚いた声を上げた。 「そもそもあのハメ撮りもそう!」 「えっ!?」  光輝は思い出したら不愉快になったのか、だんだん口調がヒートアップしてきた。 「顔!!」 「顔!?」 「俺の前じゃしたことないようなデレッデレのとろっとろの顔!!」 「……えぇ…」 「もうずっとその顔が頭にへばりついてて、本当に気持ち悪い!」  光輝は思い出したものを振り払うように頭を振った。 「俺の前ではしてくれないくせに!!」 「そ、そんなことないよ!するよ。いっぱいする!!今は君が好きだ!」  奏汰は光輝に乗じて大きな声を出してしまい思わず自分の口を押さえた。一瞬だけ光輝も気圧されたように口をつぐんだ。 「……もう遅いですよ」  光輝は静かに言い放った。 「もう一度、君に好きになってもらえるように俺も頑張るから。だめ?」  奏汰はすがるような目をしてきた。元々垂れている目尻がさらに頼りなく下がっている。捨てられた仔犬のような顔をされて、光輝もググッと心が揺れる。こういう顔はきっと信頼している人にしか見せない顔だ。  奏汰は時々こういう表情を見せてくるからずるいと思う。いつもにこやかな表情を崩さず余裕のある態度を見せる奏汰が、情けない表情をすると堪らなく可愛く思えてしまうのだ。奏汰といるうちに嗜虐心のようなものが芽生えてしまった気がする。  しかし光輝はもう自分を大切にできないのが嫌だった。一年前に好きだった人からぞんざいにされた経験から、自分を粗末に扱う人と付き合うのは止めようと誓っていた。もっと自分を大切にしようと。  あのキスを見た瞬間、奏汰の一番好きな人には勝てないと思ってしまった。自分は一番大切にしてもらえないと。そう思ったら途端に奏汰が嫌になってしまった。もう奏汰の問題ではなく、自分の問題だと光輝は思う。 「じゃあ俺と結婚してくださいって言ったらしてくれますか?」 「!?」  光輝の突然の申し出に奏汰はぎょっとする。驚いて電子タバコを落としそうになった。 「できます?できないです?」  奏汰が動揺していると、光輝はすかさず詰めてくる。 「え?結婚?は法律でできないけど…」 「モノの例えですよ。俺と一生パートナーでいてくれますか?もし法律変わって結婚できるってなったら即してくれますか?」 「…それは飛躍しすぎなんじゃない…?」 「…やっぱりできないんだ!その程度なんですね…」  と言って去ろうとする。奏汰は慌てて光輝の肩を掴んだ。 「いやいや俺たちまだ学生だぞ。そんなの誰とも考えたことないよ」 「だから俺となら考えられますか?って聞いてるんです」 「それは…」 「口先だけでも即答できないなら、もういいです」 「口先だけで即答できる問題じゃないだろ…」 「俺は結婚したいんです!!結婚してくれる人がいんです!!それくらい俺のこと好きになってくれないと嫌だ!」 「重っ!」 「そうですよ、俺重たいんです。だから奏汰さんとはやっぱり合わないと思います。俺からしつこくしたのにすみませんでした。じゃ」 「待ってってば」  奏汰は再び光輝の肩をがっしり掴んで逃げられないように力を込めた。 「なんなんですか?俺がいない方が自由に誰とでもヤれるからいいじゃないですか」 「別にヤるのが好きなんじゃないってば!俺も普通に恋人が欲しいんだよ」 「だからあのセフレの人と付き合えばいいじゃないですか」 「あの人とは付き合えないの!!」 「その人と付き合えないから俺と付き合うんですか」 「そういう意味じゃないよ!!」 「じゃああの人が今、付き合おうって言ってきたら奏汰さんは絶対そっち取りますよね」 「そんなわけない!コウくんを選ぶ!!」 「!」  光輝は驚いた顔をして動作を止めた。奏汰の目は真剣そのものだった。光輝の心がざわめく。こんなふうに熱く告白されるのは初めてだった。  掴まれた肩が熱い。光輝は心臓がドキドキと脈打ち、頬が紅潮していくのを感じた。  「連絡先ももう消したし、動画も全部消したよ」  『動画』という言葉に光輝は再びカッと反応をした。 「当たり前だろ、そんなの!ってゆーか、まだ持ってたのかよ変態!!」 「う、うぅ…」  光輝に罵られて奏汰は項垂れた声を出した。勢い余って要らないことを言ってしまったと後悔した。 「じゃあセックスなしで付き合ってください。その間浮気もせずにいてくれたら許せるかも」 「どういうこと!?」  再び話が突飛な方向に行ってしまい、奏汰は素っ頓狂な声を上げた。 「奏汰さんが本当に俺のこと好きだったらセックスしなくても付き合えるでしょ!」  光輝は自棄になって言っているような気がしたが、奏汰もまたそれに乗せられてしまうくらいには冷静ではなかった。 「もぉ〜〜〜!!わかった!俺と付き合ってくれるなら全部君の言う通りにする!」 「えぇ!?」  と言ったのは光輝でもなければもちろん奏汰でもなかった。奏汰と光輝が声のした方を反射的に振り向くと光輝の友人の佐伯が何とも言えない顔をして突っ立っていた。

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