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第37話 八月のさよなら(2)
「なんで!?いつ!?誰と!?」と珍しく大騒ぎする奏汰を無視して兄の和宏は妹の歌音 とメインホールに向かった。歌音は奏汰の反応が面白いらしくにやにやとその様子を見ていた。ホールに着くと母と父と見知らぬ女性がいた。
「歌音ちゃんごめんね、重いでしょ」
女性は妹のそばに駆け寄るが、歌音は
「ぜんぜん!起こしたら可哀想だからしばらくこのままでいいですよ」
と笑った。
「あ、初めまして。葵です」
そしてその女性は奏汰の方に向き直ると丁寧に頭を下げた。肩まである茶色い髪を結んでいたが、ところどころにハイライトを入れている。まつ毛もふさふさだし、ネイルも急遽コンシーラーで隠したのが分かった。普段はもっと派手なのだろう。奏汰は別に値踏みしようとしたわけではなくて、単純にコスメや美容が好きなのだ。
「あ、奏汰です。えっと、奥さん?」
「そう」
和宏はそっけなく答えた。和宏の結婚相手は肌も白くて可愛らしい顔をしていた。にこにこしていて感じも良さそうだ。それでいて物怖じしなさそうな気の強さが垣間見えた。
聞けば和宏は高校卒業後、ふらふらしたのち、世話になった先輩の伝で工務店に就職したという。そこの事務員である葵と恋仲になり授かり婚をしていたらしい。葵は二十五歳で奏汰や和宏よりも年上だった。子供はもう五か月の男の子で名前は颯人と名付けたそうだ。
「お母さんは知ってたの?」
「一応ね。でも会ったのは初めてなのよ。ちっとも連れてこないから。こっちも姑だしあんまり口出されるのもねぇ。嫌でしょ。だけど会えて嬉しいわぁ」
と言った母の顔はもう自分の親というより誰かの祖母の顔していた。久しぶりに奏汰に会ったのにもかかわらず、初めて会った赤ちゃんとお嫁さんに構いきりだった。
父親も「元気だったか?」と声をかけてきたっきりで、それ以上奏汰に何か聞くこともなかった。実の母の葬儀だというのに特に気落ちした様子もない。なんなら少し清々しい様子だ。
奏汰は和やかに繰り広げられる家族団らんの風景に拍子抜けしていた。もっと湿っぽい雰囲気になると思っていたのに、赤ちゃんがその場に一人いるだけで一人の老人の死などかき消されていくようだった。
火葬の準備が整うまで誰も祖母の話などしなかった。
奏汰はなんだかもやもやする。おばあちゃんと最後の別れなのに誰も悲しんでいるように見えなかった。そもそも葬儀も略式で火葬のみだ。祖母の親類はもういないし、従兄弟もいない。孫は奏汰たち三兄妹だけだ。葬式を開いても仕方がないのかもしれないが、これでいいのだろうかと思ってしまう。もっとも、葬儀代を出すことのない奏汰が口を挟むことではないのも分かっている。
火葬炉のあるホールに呼ばれると同時に何体もの遺体を焼却しているようで、多くの炉が設置されていた。祖母の棺が置かれている場所に移動して、奏汰は初めて祖母の遺体と対面した。みんなは平然としていたが、二年ぶりに見る祖母の姿に奏汰は僅かにショックを受ける。
父母も兄も妹も亡くなったその日に顔を見に行ったらしい。兄も実はこの町から電車で行けば二駅ほどしか離れていない場所に住んでいるらしい。遠くにいた奏汰だけが蚊帳の外だった。
訃報を聞いただけで体調を崩した自分がもっと早く会いに行けたとは思わないが、なんともいえない気持ちになる。悔しいような寂しいような情けないような気分だ。
誤嚥性肺炎を繰り返していた祖母は、ここ二週間ほぼ眠っていることが増えていたらしい。だから家族はもう長くないと悟っていたようだ。
なぜ、自分には教えてくれなかったのかと思った。けれどすぐに考えを訂正した。教えてくれなかったのではない。自分が家を出てから祖母のことを一度も聞かなかったのだ。
祖母の棺に入れるために用意された花は白、ピンク、紫などの淡い色のバラやユリそしてカスミ草などの可愛らしい花だった。斎場のスタッフに促されて家族みんなで作業的に棺の中に埋めていく。
いざ祖母の顔の近くに花を添えると、奏汰の手は少しだけ震えた。もう祖母がいないことが不可思議でならない。正直死んで欲しい、と何度思ったか分からない。けれど実際に死んでしまった今、嬉しくもなんともない。では悲しいのかと言われると、それもなんだか違った。
(死んじゃったの?本当に?)
兄妹をコントロールしたがっていた祖母。自分が家を出て行くと告げると泣いて暴れていた祖母。祖母の晩年はなんだったのだろう。育てた孫から煙たがられて、死んだことも特に誰にも惜しまれない。仕方がない、自業自得じゃん、と奏汰は思う。
一方で可哀想だ、とも思ってしまう。厳しかったけれど、育ててくれたのは祖母なのだ。
自分がもっとちゃんとしていたら?自分がもっと祖母に意見を言えていたら?兄に辛く当たるのはやめてくれ、と。自分はこう言われたくなかった、こんなことされたくなかった、と。
しっかり対話できてきたら?
ああ、そうだ。自分は祖母と対話をしたかったのだ。
急に思い至って、奏汰はショックで眩暈を覚えた。
祖母に認めて欲しかった。ありのままの自分を。否定しないで、と。
『奏汰はいい子ねぇ、偉いねぇ』
昔から祖母に言われるたびに安堵した。ああ、ちゃんと正解をした、と思っていた。けれどそれはずっと不正解だったのだ。祖母に反抗し続けた兄の方がよっぽど真摯に向き合っていたのではないか。
(俺はいい子なんかじゃなかったんだよ…)
それを言うには、自分は子供すぎた。しかし今なら言えたかもしれない。
(おばあちゃん、俺いい子じゃないんだよ、本当は。男が好きだし、やらしいことが好きだし、甘いものとか綺麗なものが好き。男らしいことなんて全然好きじゃない。それでもね、生きていけるよ。おばあちゃんが望んだような人間にならなくても案外生きていけるんだよ。きっとおばあちゃんにとってはお兄ちゃんの方がずっと『偉く』なったよ)
兄は逞しくなって立派に働いて結婚して子供を育てている。祖母が生きていたら涙を流して喜んだかもしれない。兄に謝ってくれたかも。そして奏汰のことを知ったらけなして詰ったかもしれない。
それでもいい。理想の自分を愛される方が辛い。辛かった。辛いのだ。
奏汰は自分でも予期せずポロっと涙をこぼしてしまい、慌てて袖で頬を拭いた。泣いていることがバレないように棺から一歩下がり家族の輪からさりげなく外れた。悲しいわけでも寂しいわけでもない。ただ悔しかった。
「大ばあばにバイバイしてあげてね~」
母と妹は起き出して少しぐずぐずしている赤ちゃんを代わる代わる抱えながら呑気に言っている。奏汰は祖母の死が赤ん坊のおもちゃにされているようにで少しだけムッとした。
兄嫁の葵は遠慮しているのか一歩離れたところで見守っていた。一緒になってはしゃがれたら嫌いになっていた、と奏汰は安堵する。
棺の中の祖母は想像以上に小さくなっていて、綺麗に化粧が施されていたものの、きっと言われなければ気づかないほどだったろう。あっという間に花に埋め尽くされて手際よく炉の扉は閉められた。
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