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第46話 付き合ってあげる(6)
ー追憶ー
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「光輝」
俺を呼ぶ声に振り向くと、そこには昔好きだった同級生がいた。
「シャーペン貸して」
俺はなぜか声が出せない。声が出せないままシャーペンを貸した。俺は彼から目が離せない。そのままじっとしていたら授業が始まった。俺はなぜかそれにひどく安堵した。
はっと光輝は目を覚ました。一瞬、どこにいるのか分からなくて混乱したが合宿に来ていることを思い出す。横を見ると佐伯がすやすやよだれを垂らして寝ている。時刻はまだ七時を回ったばかりだった。
「はぁ……」
光輝は寝ながら髪を掻き上げて息を吐いた。冷たい額はうっすら汗をかいている。昔、好きだった人の夢を久しぶりに見てしまった。きっと昨夜、佐伯と話して高校生活を思い出したせいだ。塩でもまきたいところだが、同室の一年生達が食い散らかしたポテトチップスの残骸しか塩分がない。
でもそれで充分かもしれない。あんなクズには。
一年ほど前、高校三年生の夏休みに光輝は同級生を好きになった。クラスは違ったが予備校が一緒で、つるむようになってしまった。成り行きで初体験もしてしまった。好きになったことは仕方ないとしても、初体験の記憶は後悔しかない。いや最初から最後まで後悔しかない。忘れられるものなら、全ての記憶を消したい。
何があったかを説明するのは難しいが、とても簡単に言えば弄ばれたのだ。その事実が光輝をいつまでも苛む。
その頃、光輝はずっと考えていたことがある。なぜ俺は男が好きだというだけで、皆と同じことができないのだろう、と。早ければ中学生でもしている行為をなぜ自分はできないのだろうか。普通にデートをしたい。キスをしたい。セックスだってしてみたい。そして友人とそんな話で盛り上がりたい。なぜ同性が好きだというだけで一切できなくて隠さなければならないのか。
早く大人になりたいなあ。そんなことを鬱々と考えて過ごしていた。
そこに現れたのが例の同級生だった。彼は興味本位で光輝に近づいて惚れさせた。人懐こくて甘い毒のような男だった。好きになってはダメだと気づいた頃にはもうダメだった。
夏休みの間、多くの時間を共有した。色々なことをした。けれど結局振られてしまった。その後、今日見たような夢を何度見たか分からない。
高校を卒業してからも彼が夢に出てきた時、このままじゃだめだ、と思った。大学に入ったら彼氏を作ってやると密かに燃えていた。早く忘れたい。あいつのことを忘れたい。全部上塗りしたい。嫌な思い出を幸せな記憶で塗りたくってやりたい。光輝は行動に移すことにした。
初めてマッチングアプリに登録をしてみた。しかしその下品さに光輝は辟易した。『裸の写真が欲しい』だの『ヤりたい』だの性的なメッセージばかりくる。しかも大量に来る。ある程度は覚悟していたが、それなりに見た目が良く若いというだけで男の欲望の的になる。誰も光輝の内面を見ていなかった。
もうアプリは辞めようかと思っていた頃、カナタからメッセージが来た。カナタは性欲を匂わせるようなことは一切言わなかった。年も近いし、気さくでそれでいて柔和な言葉を使う人だった。それだけで随分好感を持ったことを覚えている。少しだけメッセージのやり取りをした後、会ってみることになった。
待ち合わせ当日は人生で一番そわそわした。受験の時だってこんなに緊張しなかった気がする。髪型は大丈夫か?服はださくないか?ガキっぽく見られないか?見せるようなことにならないと思ったが、下着まで新しいものを履いていった。
来る途中に映るガラスや鏡を見るたびに、自信のないパッとしない自分が映る。やっぱり来なきゃ良かった。がっかりされたらどうしよう。イメージと全然違う人が来たらどうしよう。怖い。不安感がピークになった時、高くも低くもない柔らかい声が降ってきた。
「コウ君ですか?」
緩くパーマをかけた茶色い髪、大きめのラウンドの眼鏡、その奥の垂れ気味の優しい目。背も高くロングのカーディガンとゆるっとした薄地のワイドパンツが似合っていた。それでいてカナタは威圧感を与えない穏やかな雰囲気をまとっていた。
「……っ」
光輝は思わず目線を逸らしてしまった。しまった感じ悪いと思われたかな、と思いつつも直視ができない。想像よりお洒落でかっこいい人が来た。プロフィール画像はもちろん見ていたが、ぼんやりしていてよく分からなかったのだ。
部活などをしていなかった光輝は年上の男と話したことがほとんどない。親戚だって年下の女の子ばかりだ。三歳ほどしか離れていないはずだが、カナタは落ち着いた雰囲気も相まって随分大人に見える。
光輝が戸惑っていると、カナタはそれを見透かしたように優しいままお茶に誘ってくれた。期待していなかった分、カナタが素敵な人間に映った。いや、それでなくてもカナタは顔立ちも整っているし、妙に紳士的だった。こんな人間実在するのかと思うほど。
カナタといる間、カナタを想う間、数か月前まで好きだった同級生のことを忘れることができた。恋だ。もう一度恋をしたんだと光輝の心は喜びで満ちた。それほど光輝は誰かに特別優しくされることに飢えていて、愛してもらうことを渇望していた。
だって、一刻も早く幸せになりたい。
けれどもたった一回、親密な時間を過ごしただけでカナタとは連絡が絶えてしまった。やはり自分はだめだったのだと落ち込んだ。
自分の流されやすくて惚れっぽい性分は分かっていたし、カナタという男だってビギナーズラックのようなものだと分かっていたし割り切ろうとはした。したけれど。
「カ、カナタさん!?」
再び、出会ってしまったのだから仕方ない。きっと運命の人なんだ、と思った。
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奏汰と出会ってから三ヵ月ほどしか経っていないのか、と光輝は布団の中で思い返した。あの時の自分はかなり馬鹿だったと思う。本当に自分は誰かを好きになると馬鹿になる。光輝は一人顔を赤らめた。けれど本当にあの時は運命だ!なんて思ったし、心底奏汰を好きだったのだ。
今だって奏汰が好きだ。あの時のような盲目さはないし、奏汰に抱いていたイメージはだいぶ変わってしまったけれど、今の奏汰だって可愛いと思う。
誰にでも優しくて、よく周りを見ている人。裏を返せば、弱くて、気にしいで、ダメな人。ふっと光輝は笑う。だめだめな奏汰の方が自分にはお似合いな気もする。王子様然とした奏汰は手に余る。
それでもまだ、取りこぼしている奏汰がいる。全部の奏汰が欲しい。自分を好きだというのなら、全て捧げられたい。
「んん~~~~~!鳥羽…起きてる…?」
佐伯がむくりと体を起こした。気づいたら八時近くになっていた。
「はよ…」
光輝も体を起こす。
「ビュッフェ行かなきゃ…」
佐伯はまだ寝ぼけた動作でごそごそ支度を始めた。朝ごはんは各々勝手にとることになっていた。
ホテル内のレストランのビュッフェで朝食をとり、部屋に戻っている途中、奏汰を含む三年生の集団とすれ違った。三年生ともなると皆一様にあか抜けていて、大人の男に見える。しかし、奏汰はその中でも群を抜いてかっこいい。
おはようございます、と簡単な挨拶を交わしそのまま通り過ぎようとした時、奏汰が光輝の肩を掴んだ。
「鳥羽、借りてくね」
と奏汰は佐伯に告げると、半ば引っ張るように反対方向に連れていかれてしまった。取り残された佐伯がなんともいえない顔で二人を見送っていた。
連れていかれたのは屋外の喫煙所だった。光輝と奏汰以外は誰もいない。太陽は夏を終わらせまいと燦燦と照っており、今日も暑くなりそうだ。
「無視するかと思った」
光輝は電子タバコを吸い始めた奏汰を見つめながらぼそっとつぶやいた。奏汰は誰かといる時…いや、いない時でも学内では光輝を無視していた。元々、そういう取り決めをしていたので、それを恨んだことはなかったが、悲しいといえばいつだって悲しかった。
「うぐ…根に持つなあ」
痛いところを突かれた奏汰は、眉を八の字に下げた。光輝を悲しませている自覚は充分にあったのだ。
「気を使ってるんですよ」
「もう無視しないよ。そりゃさすがに学校でいちゃいちゃするのは嫌だけど、もう君に寂しい思いさせないように努力する」
いまいち決まらない顔のまま奏汰は言った。
本当に俺のこと好きになってくれたんだなあ、とぼんやり思う。めちゃくちゃ嬉しい―!という気持ちより、くすぐったいような少し緊張するような不思議な気持ちだ。でも心地よい重みがある。恋人のいたことのない光輝には初めての感覚だ。誰かの好意を受け取るのは手放しに嬉しいだけではないのだと知る。大事なものを渡されたような。落とさないように気を付けないと、というような。
「っていうか、何の用?」
照れ隠しにそっけない物言いになってしまった。そんなことを見越しているのか奏汰はくすっと笑った。
「用なんかないよ。君がいたから二人きりになりたいなーって思っただけ。佐伯くんには悪かったけど。あとで謝っておいてね」
またくすぐったい気持ちになる。この気持ちをどう処理していいか分からない。世の想い合っている恋人たちは毎秒こんな気持ちになっているのだろうか。
「奏汰さん…誰もいないから一瞬だけ抱きついていい?」
消化しきれない気持ちを散らすべく、光輝は尋ねる。しかし奏汰は返事はせずに、煙草を持っていない方の手で、光輝が抱きつくより先に自らの胸に引き寄せた。
「………」
ふわりと奏汰の香水の匂いがする。フルーツのような甘い香り。光輝は奏汰の腕に抱かれながら意外そうに奏汰を見上げた。
「まぁ、もう最悪バレてもいいかなって…」
と言いつつも、奏汰の顔が少しだけ引きつっている。光輝は笑ってしまいそうになる。けれどせっかく勇気を出してくれたのだから指摘しないで黙っておく。
「君に好かれる方が、大事」
光輝は無性に奏汰を触りたくなった。隅から隅まで全てを触りたい。これは本当に自分のものなのか確かめたい。
「帰ったら…奏汰さんのこと全部ちょうだい…」
光輝が奏汰の胸に自分の頭を預けた。
「いいよ」
奏汰の唇が光輝の額に柔らかく触れた。
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