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85.手があったかい
瑛士さんが庇ってくれた時が、最大の水量だったみたいで、結局その後はそこまで水は飛んでこなかった。イルカショーは歓声と拍手の中終わって、イルカはまた別の水槽に消えて見えなくなった。一生懸命見ていた体から、ふ、と力が抜けた。
はぁ。すっごく良かった。楽しかった。
そう思いながらも、瑛士さんを見て、うう、と申し訳ない気持ちでいっぱいになる。ふとオレを見つめ返して、瑛士さんが微笑む。
「凛太、綺麗に撮れた? 見せて?」
「あ、多分」
聞かれてスマホを開くと、イルカは綺麗に撮れていた。瑛士さんのおかげで、と思っていると、瑛士さんは楽しそうに笑った。
「いいじゃん。写真も綺麗だし。あとでオレにも送っといて」
「じゃあこっちにも」
雅彦さんもクスクス笑いながら、言ってくる。話しながら、レインコートを脱いでいると、回収しにきたスタッフの女の子が「かなり濡れちゃいましたね。大丈夫ですか?」と聞きながら、顔を見上げた。すぐに瑛士さんが「大丈夫です」と綺麗に微笑むと――その子は、その笑顔に釘付けになってるけれど、瑛士さんは気にすることなくオレの方を振り返って笑う。
「出口の手前のショップにTシャツが売ってるみたいだから買おうかな。一緒に選んで?」
「あ、もちろんです。冷たいですよね。もう……ほんとにすみません」
「いいってば。ついてきてね?」
もう絶対ついていきます、の気分でうんうん頷いてみせると、瑛士さんは楽しそうに笑う。瑛士さんをまだ見つめてる係りの人に「お願いします」とレインコートを渡すと、はっと気づいたように受け取ってくれた。
「オレは、凛太とスマホ、守れたから結構、満足」
「そんな風に言ってくれるのは嬉しいですけど……なんか申し訳ないです……」
「だから満足なの。申し訳なくないって」
「でも……」
そんなやりとりをしていると、雅彦さんが口元を押さえて、ふ、と笑った。
「咄嗟に、何にも考えずに庇えるくらい、凛太くんが大事ってことだよ」
「じいちゃん、いいこと言ってる。そうだよ。凛太、そういうこと」
「本当に満足そうだから、気にしなくていいと思うよ」
二人にそんな風に言われて、微妙に頷きはするけれど、でもすみません、とまた言ってしまう。
「もう謝らなくていいよ」
そう言って、オレの頭をポンポンして笑う瑛士さんの、楽しそうな顔を至近距離で見上げていると――。
太陽みたいだなぁ、なんて思ってしまう。
優しくてぽかぽかして、キラキラして。綺麗。
歩き出した雅彦さんと瑛士さんに続いて階段を上ろうとした時、さっき瑛士さんに見惚れてたスタッフの子が、別のスタッフの女の子と、離れたところからこっちを見てるのが見えた。けど、そのまま気づかない振りで視線を逸らして、階段を上る瑛士さんの背中を見つめる。
お仕事中にお客さんに見惚れるとか、きっと普通なら駄目だろうけど。まあ……とても、分かるので、なんだか心の中で、めちゃくちゃ同調してしまうオレ。見ちゃうの仕方ないよね。うん。
そんなことを考えながら階段を上って、また館内に戻ると、今までで一番大きな水槽が見えてきた。
青く光る水槽の中で、大きなエイや亀、数えきれない魚が泳いでいた。
「綺麗ですね」
「ん、あっちの方が見やすそうだね」
「あ、でも、瑛士さん」
「ん?」
水槽が良く見える位置に椅子が設置されていて、瑛士さんはそっちに向かおうしとしていたのだけれど、オレは、そっと瑛士さんの濡れた服に触れてみた。ン? と、優しく瞳を緩める瑛士さんを、見上げる。
「先に、着替えに行きませんか? 向こう、すぐ出口みたいですしお店に先に……服、冷たいので」
「んー……ん、分かった。ごめん、じいちゃん。すぐ戻るから、座ってて」
「分かった。ゆっくり見てるから、急がなくていいぞ」
「ん、ありがと。凛太、いこ」
「はい」
冷たく感じる服から手を離して、瑛士さんの後を歩き出す。
ふと、振り返った瑛士さんは、なんだかすごくふんわりと優しく笑ったと思ったら、不意にオレの手に触れた。そのまま、引いて歩く。……手、繋いでる? と思ったら、くる、と振り返った瑛士さんに、隣に引き寄せられる。
「凛太の手、あったかい。こうしててもいい?」
「あ、はい……そういえば、あったかいってよく言われるかも」
そう言うと、瑛士さんは少し黙ってオレを見つめる。不思議に思って首を傾げると。
「――凛太、手、よく繋ぐの?」
「あ、いえ。作業してたりして手が触れたりする時ですけど」
そう答えると、瑛士さんは「あ、なるほど」と言って、なんだか苦笑している。
「凛太、いつも思うけどあったかいよね」
「そうですか? でも瑛士さんもあったかいイメージありますけど」
そう返すと、瑛士さんは「凛太、夜抱っこしてても、すげー暖かいし」と微笑む。
……抱っこしててもって、なんだか可愛い言い方だなあと笑ってしまうと。
「ほっとする」
ゆっくりとそんな風に呟く瑛士さんに、なんだか、胸の中、ほっこりした気持ちになって。
「……それは、なんか……良かったです」
「――うん。そうだね。ほんと、よかった」
変な返事だったかなと思ったオレを見下ろして、瑛士さんはまた、唇の端をあげて、にっこり笑う。
手を繋いだまま歩きながら、オレは、小さく息を吐いた。
……手、あったかいから繋いだだけ、か。
ちょっとなんだか――――ドキっと、してしまったけど。
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