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149.かるがものひな

 いつも向こうでご飯を作って待つことが多いので、瑛士さんの部屋に来るのは、最初の日以来かも。  とにかくめっちゃ広い。  でっかいソファに乗って、目の前のローテーブルにホットミルクが置かれる。待っててと言われて瑛士さんが姿を消した。  ふ、と部屋を見回す。ほんと、広い。静か。――綺麗で、コマーシャルとかにも使われそうなくらい。でっかい電気を見上げていると、瑛士さんが戻ってきた。  手にはいくつかの瓶を持っていて、目の前のテーブルに置くと、オレの隣に腰かけた。 「こっち向いて?」  瑛士さんの言葉に、「自分で塗りますよ……?」と言うと、瑛士さんは首を横に振った。 「オレがやりたいんだよ。触らせて」  ぱちん、とウインクされて、返答に困る。  ……ウインクって、オレにもできるのかしら。なんて思いながら、瑛士さんの手が一つの瓶を持つのをなんとなく目で追う。  一揃いの化粧品たちは、どれもガラス製。控えめなデザインなのに、見ただけで高そうだと分かる。蓋を外した瑛士さんが、手のひらに液体をのせて、オレの頬を包んだ。手、あったかい。そっと伸ばしていく。甘すぎない清潔な感じのする香りが鼻をくすぐった。  ――壊れ物にでも触るみたいに、そっと触れられる。自然と目を閉じると、顔全体に塗られた。 「今日パックとかもしたよね?」 「はい」 「じゃあ今日は基本的なのだけね」  そう言いながら、また別の瓶から、今度はほんの一滴だけ指先に取って、するする優しく伸ばしてくれる。 「化粧水と美容液ね。――あとは、乳液でおしまい」  そんな風に言いながら、また触れてくれる。めっちゃ近い。  全部、いい匂い。  ――こんな風に大事そうに触れられること。まだ慣れない。くすぐったい。オレなんかにって気持ちはあるのに、不思議と拒みたくはない。  瑛士さんは口元に笑みを浮かべて、オレの顔を至近距離で見つめてくるし。恥ずかしいから、少し視線だけ下を向いてしまう。  こんなの、オレには必要ないというか、不相応な気すらしてしまうのだけれど、瑛士さんの表情が優しくて、だから拒む気には全くならない。大人しく触れられたままじっとしていると、瑛士さんはくすっと笑った。 「はい。今日はこれで終わり。どうだった?」 「――きもちいいです。すごく」  自分の頬を両手で挟んで、もちもち感を楽しんでいると、瑛士さんの手が滑りこんできて、また触れられた。 「もともと、凛太の顔はすっきりしてると思ってたんだけど――ほんと可愛くなったね」 「そ。う。……ですか?」  たるみとかむくみとか、きっとそういうのはすっきりはしたから、変わったな、とは思うのだけれど。  「ほんと可愛く」はなってないような気がして、素直には受け取れず、首を傾げると。 「そうだよ。可愛くなった。瞳が大きく見えるかも。ただでさえクリクリしてて、可愛いのに」  瑛士さんはオレを見つめて、また目を細める。  ……その笑い方。  優しくて、あったかくて。……好きだなぁ。 「よし。じゃあ、寝るまでいろいろしようか」 「あ、はい」 「ごめんね、本、読みたかったんだよね。大分時間取らせたね」 「いえ。お仕事疲れてるのに、ありがとうございました」 「ん」  よしよし、と撫でられる。  それからオレは本、瑛士さんはノートパソコンを手に、広いソファで、近くに座る。  瑛士さんの隣は、やっぱり落ち着く。  ――静かだなあと思ったとき。 「あ、そうだ。レコード、かける? いっぱいあるって、言ったでしょ?」 「あっ! かけたいです」 「じゃあ、おいで」  言われるまま立ち上がって、瑛士さんの後ろをついて歩くと、ふと振り返った瑛士さんがオレを見て、ぴたっと止まった。  肩に手が回って、ぐい、と引き寄せられる。瑛士さんは、おかしそうにくすくす笑っている。 「はー。可愛い。……並んで歩いてる、かるがものひな、思い出しちゃったよ」 「――」  かるがもの、ひな……?  一瞬首をかしげて、えっまさか?と見上げる。 「オレがですか?」 「うん。可愛くて」  ぽんぽん、と肩を叩かれる。  瑛士さんの目には、オレは、かるがもに見えているのか?  確かに、瑛士さんのあとをくっついてはいたけど、でも、今のだったら、誰だって後ろ歩くし……。  言葉にするのもなんだかな、みたいな当たり前すぎることなので言えずにいると、瑛士さんはオレを見て、今度はふきだした。 「別に、かるがもそのものに見えたわけじゃないよ? ついて歩いてくる雰囲気がね……」  言いながら、くっくっと笑って……笑いすぎて、なにやら、顔は反対側に逸らされてしまっているけれど、肩は抱かれたままなので、揺れだけは伝わってくる。  何を笑っているのかすらなんだもうよく分からないけれど。  楽しそうな瑛士さんに、和んじゃうのは、間違いない。  黙っているオレを、ちらっと見つめてくる瑛士さんは、笑ってるのに、目だけは穏やかで、すごく優しい。  もう、なんか。ドキドキするんだよね……。  レコードが並んでいる引き出しを開けて、「選んでいいよ」と、まだくすくす笑いながら、瑛士さんが言う。笑ってる理由も気になるけど、でも今はもう、レコードの方が気になる。  一枚ずつ、前に倒しながら見ていると、後ろでスマホの着信音が聞こえた。 「一枚選んどいて」  離れていく瑛士さんに返事をしながら、レコードを見ていると、「もしもし。麻里さん?」と瑛士さんの声かした。 「うん、平気だよ。どうかした?」  ……麻里さんかぁ。こんな夜でも、電話するような仲なんだなぁ。  胸の奥がちくっとする。  気にしない気にしない、と言い聞かせて、オレはレコードのジャケットをめくる手は止めなかった。

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