63 / 90
第8章 第2話(3)
「……武造さん?」
「ここに書かれちょんことぅ読んでん、儂には難しゅうてようわからん。だが、おそらく莉音にとっち、よりよいとあんたが思うちくれちょん内容が書かれちょんのやろう。ならばそれ以上、なんも言うこたあねえ」
莉音は思わず、茫然と呟いた。
「おじいちゃん、それって……」
「頭ん固え頑固ジジイゆえ、いろいろ理解が及ばん事態に動転しちしもうた。あんたには随分 世話になっち、ようしてもろうたにもかかわらず失礼なことぅ言うちしもうたけんど、これも孫ぅ思う気持ちから出たことと大目にみてほしい」
「いいえ、そんなとんでもない。失礼をしてしまったのはこちらのほうですから」
「莉音ぅ見ちょりゃあ、あんたがどれだけこん子ぅ大事にしちくれちょったんかようわかる。そりゃあ東京じ過ごしちょったあいだも、ようよう身に染みちょったことなんに、いだとなったら頭に血が上っちしもうち、冷静な判断がでけんごつなっちしもうた」
本当にすまなかったと祖父は詫びた。
「田舎じ暮らしちょんと、噂が立つんも早え。そのせいで人目ぅ気にすることも多いいが、人ぅ思う気持ちに恥も外聞も関係ねえ。本当に大事なんな、本人同士が納得しち、幸せになるるかどうかじゃ。そげな意味では、莉音はあんたとおりゃあ間違いなく幸せになるる」
「おじい、ちゃん……」
祖父はそこで表情をあらため、居ずまいを正した。
「ヴィンセントさん、いや、アルフさん、都合んいい手前勝手な話だが、これまでん数々ん非礼、どうか水に流してもらいてえ。そのうえで、あえちこちらからお願いする。どうか、うちん孫ぅ、よろしゅう頼む」
深々と頭を下げる祖父の横で、祖母もまた、涙ぐみながら頭を下げた。莉音とヴィンセントも、それに答えるように頭を下げる。
「おじいちゃん、ありがとうございます。おばあちゃんも、ありが、と…っ」
途中で言葉が詰まって、莉音はそのまましゃくり上げた。それを見た祖母が、莉音ちゃん、よかったねぇと泣くのでさらにつられてしまった。
「なんや莉音、いい歳しち子供みてえに」
そう言う祖父の目と鼻も赤くなっている。なごみかけた空気の中で、ヴィンセントが不意に、低く呻いた。ハッとして見ると、これまでにない様子で顔を歪めている。
「アルフさんっ!?」
あわてて取り縋ろうとした莉音を、ヴィンセントは大丈夫だと制した。
「え? でも、どこか具合が……」
「違う。ぁ…しが……」
「……? あし?」
「情けないことだが、ホッとした途端に足が…痺れてしまって……っ」
いまは触らないでほしいと言う。
ただでさえ、常人より足が長いのだ。日頃から椅子にしか座り慣れていない米国人のヴィンセントにとって、長時間の正座はさぞつらかったことだろう。
「あっ、え? どっ、どうしようっ。ごめんなさい、僕、全然気づかなくてっ。えっと、うまく崩せたりは……」
「いや、それが感覚がまったくなくて、どう動かせばいいか……」
「あれえ、ほいだら、どうすりゃあ……」
莉音と祖母がオロオロとする中、ヴィンセントもまた、どうすればいいのかわからず途方に暮れている。その瞬間、目の前で笑いが弾けた。腹を抱えて笑っているのは祖父だった。
「おっ、おじいちゃんっ! 笑いごとじゃないってばっ! アルフさん、いま、大変なのにっ」
「うはっ、うははははっ! いや、すまん。気ん毒たあ思うが、たったいままで真面目に話しよったあいだも我慢しちょったんかち思うたらっ…うはは……っ」
ヒーヒーと笑い転げる祖父に、祖母も「お父さんっ!」と窘 めるように言う。だがその口が、徐々に笑いを形作りはじめた。
莉音の目からもすっかり涙が引っこみ、つられてじわじわと可笑しさがこみあげてきてしまう。ヴィンセントもまた、苦痛に顔を歪めながらもなんとも言えない様子を見せ、ついには笑い出してしまった。
賑やかに皆で笑いながら、莉音や祖父母の眼に涙が光る。
この瞬間を、莉音は心から幸せだと思った。
ともだちにシェアしよう!

