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第9章 第1話(2)

 昨日はあのあと、ウェディングパーティーのことを祖父母に説明し、承諾を得たあとでヴィンセントは早々に引き上げていった。茉梨花や桂木と当日の打ち合わせをして、いろいろ準備をするためとのことだった。  それならば自分も一緒にと思ったのだが、ヴィンセントは莉音を制して、それよりも考えておいてほしいことがあると告げた。パーティーの終盤で、列席者への挨拶をヴィンセントがすることになっているという。場合によっては莉音にもコメントを添えてもらうことになるかもしれないから、そのつもりでいてほしい、と。  ほんのひと言ふた言、気持ちを伝える程度でかまわないと言われたが、そこからはもう、緊張のしどおしとなった。  料理教室の講師を経験して、人前で話すことにはだいぶ慣れた。だが、料理教室の場合は、あくまで調理の手順や注意点を参加者に説明していくことが中心となる。集まってくれるのが身近な人たちで、その人たちに向かってあらたまった場で挨拶をとなると、一気にハードルが上がってしまう。かえってプレッシャーを感じてしまって、どうしたらいいのかわからない。そういえば学校の授業で当てられるのも苦手だったな、などと思い出したら余計に緊張してしまい、昨夜はまんじりともしないまま朝を迎えてしまった。当然、朝食もあまり喉を通らず、祖母に余計な心配をかけることとなった。  心ここにあらずといった状態で迎えに来てくれたヴィンセントの車に乗り、祖父母よりひと足早く会場となるレストランへ移動。待ちかまえていた茉梨花の支持で二階へと通され、現在に到っている。  用意された部屋は、ヴィンセントと莉音でそれぞれ分けられていた。  莉音は一昨日食事をした奥の部屋に通されると、その場に控えていた女性スタッフに採寸され、この日のために持ちこまれた洋服掛けの中から、莉音の体型に合ったドレスシャツを渡された。髪をセットし、記念撮影用のメイクをするまえに、シャツだけ先に着替えるようにとのことだった。三〇分後には、階下でウェディングフォトを撮影するという。ヘアメイクを担当してくれるのは、茉梨花が手配してくれた彼女専属のスタッフだそうだ。  言われるまま着替えを済ませ、プロの手によってヘアメイクも完了すると、スタイリストも兼任していた茉梨花専属のヘアメイクアーティストは、アームバンドでシャツの袖の長さも調整してくれ、そのまま袖口にカフスボタンも留めて、ひとまず部屋から出ていった。  ひとり部屋に残った莉音は、採寸後にあらためて洋服掛けから選んでもらったタキシードに着替えた。シャツガーター、パンツ、サスペンダー、アスコットタイ、ベスト、ジャケット。教えてもらった順番どおりに身につけていく。  純白の上下に、ベストとタイは華やかなシャンパンゴールド。  用意してもらった衣装はあまりに豪華で、自分には分不相応なのではないかと畏縮してしまう。寝不足と緊張のせいで思考がマイナスになってしまい、晴れやかな気分にはどうしてもなれなかった。  料理教室の講師のときは、とにかく必死で弱音を吐く暇もなかった。自分にすべてを任せてくれた優子の期待を裏切ることはできない。わざわざ参加費を払って足を運んでくれる受講者にも楽しんでもらいたい。その一心で無我夢中だった。  最初はとても緊張したけれど、ここで引き下がることだけは絶対にしたくないと歯を食いしばって乗り越えた。それなのにいまは、ただただ心細くてたまらなかった。  料理教室の講師より、責任が伴わないぶん気楽なはずなのに。今日は独りではなく、ヴィンセントも一緒にいてくれるのに。  自分で自分を制御できなくて、ますますどうしたらいいのかわからなくなる。早瀬夫妻が部屋に来たのは、そんな緊張と不安がピークになっている、真っ只中のことだった。 「莉音くん、大丈夫? そんなに心細かったかな。最後にスタイリストさんもちゃんと整えてくれるし、アルフももうすぐ支度が終わって、こっちに来るから大丈夫だよ」  早瀬に言われて、莉音はうんうんと何度も頷く。その様子を見て、早瀬は気遣わしげな様子を見せた。

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