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第10章 第2話(3)
「アルフさん、ごめんなさい。僕が癇癪 を起こして家を飛び出したあと、アルフさんはいろいろ考えて手を尽くしてくれてたのに、僕はずっと自分のことしか考えてませんでした。自分だけが傷ついた被害者みたいな顔して、おじいちゃんとも気まずいまま、殻に閉じこもってた。毎日送ってくれてたアルフさんのメッセージにも、一度も返信しないまま無視してた」
己の至らなさを悔やむ莉音に、ヴィンセントは大丈夫だと穏やかに応じた。
「気持ちがさだまらず、どう返せばいいのかわからなかったのだということは理解している。私からのメッセージを、莉音がいつも待ちわびていてくれたことも」
送ったメッセージには、いつもすぐに既読がついていたとヴィンセントは笑った。
「ときには送った瞬間に既読になったこともあった。私とのやりとりの画面を、開いていてくれた証拠だ。だからずっと、返事はなくとも、莉音と繋がっていると感じることができた」
たまらず抱きつこうとした莉音の手もとで水が跳ねる。レモン水の入ったグラスを持ったままだったことに気づいて、莉音はえへへと照れ笑いをした。そのグラスをテーブルに置いてから、あらためて恋人の胸に飛びこむ。長身でしっかりと鍛えられている恋人の腕の中に、細身の躰はいつもすっぽりとおさまってしまう。その包まれている感覚が、ひどく心地よかった。
「いつも送信してほどなくついていた既読が滞るようになったのは、十日ほどまえからのことだった。思えば料理教室の講師として活動しはじめたのが、調度そのころからだったのだろう。莉音は殻に閉じこもってなどいなかった。自分なりに考えて、きちんと一歩を踏み出していたのだから」
「たまたま優子さんに話を持ちかけられて、きっかけを与えてもらったからです。そうじゃなかったら、きっとまだなんの結論も出せずに、うじうじと引き籠もってたと思います」
「だが実際には、そうならなかった。話を持ちかけられた時点で断ることもできたはずなのに、莉音はそれを引き受け、最後まで責任を果たして実績を残した。私がふたりのこれからのために手を尽くしたように、莉音もまた、現状を打開しようと懸命に頑張っていたからだ。だからこそ、我々の関係を認めてもらうこともできたのだと思う」
祖父も祖母も、講師を務めるあいだ、余計なことはなにも言わず見守ってくれていた。そこに、無言の励ましがあったことを莉音はたしかに感じていた。
「みんなの協力のおかげで今日という日を迎えることができた。たくさんの人たちからもらった好意や祝福は、ふたりで考えて、ゆっくり返していくことにしよう」
ヴィンセントの提案に、莉音は「はい」と頷いた。
自分を見つめる宝石のような青い瞳がやわらかくなごむ。引き寄せられるまま、莉音はみずからも身を寄せて口唇 を重ねた。
たしかめあうように、想いを伝えるように互いの口唇を啄 み、角度を変えながらその感触を味わっていく。ひさしぶりの触れ合いをじっくり堪能したいのに、あっという間に興奮を掻き立てられて、心も身体も情欲に支配されていった。
首筋から背中にかけて撫でられる感触すら強い刺激となって、喘いだ途端に恋人の舌が割りこんでくる。舌先で上顎をくすぐられ、歯列をなぞられ、口腔内を掻き回されて存分に貪 られた。
絡めとられた舌をきつく吸い上げられると、それだけで下腹部にジンと痺れるような重苦しい疼 きが生じる。躰から力が抜けて、莉音は思わず恋人に縋 りついた。その腰を捕らえられ、ぐっと引き寄せられた瞬間、莉音は背を撓 らせ、「ああっ」とあえかな声を漏らした。
押しあてられた昂 ぶりに、全身が歓喜していた。
昂揚しすぎて敏感になっている感覚が、わずかな刺激すら過剰に受け止めてしまう。
早くすべてを受け入れたいと、逸 る気持ちとほんの少しの怯え。
ただ抱きしめられて口づけを交わしただけで、理性も躰もぐずぐずに融けて、どうにかなってしまいそうだった。
「……ルフさん……、アルフさん……、好き……。大好き……っ」
譫言 のように繰り返す莉音をなだめるように、額や頬、口唇に口づけていたヴィンセントは、やがてその躰を抱き上げると立ち上がった。そのまま、奥の寝室へと移動する。二台並ぶ寝台のうち、窓ぎわを選んで莉音を下ろすと、顔の両側に腕をついて覆いかぶさってくる。
「すまない、莉音。先に言っておく。今夜は、寝かせてやれないかもしれない」
掠れて熱を帯びたその声に、莉音はブルリとその身を慄 わせた。
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