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第2話

昨日のこともあり、学校に行くのが少し憂鬱だ。だけど義務教育でもないのに、中学の頃のように長い間休むわけにもいかない。 教室の扉を開けると全員がこちらに注目した。いささか居心地の悪さを覚えながら自分の席へと向かい、腰掛ける。 ……どうして、こんなに見られている? 「あのさ、朝倉くん……」 「っ……な、何?」 中学時代のいじめがフラッシュバックし、声が震えた。大丈夫、遠くの学校なんだから噂を知ってる人なんて居ない。そう思うも、恐怖で心臓が痛くなる。 「昨日、片桐先輩に告られてたよね。付き合ったの?」 「……付き合ってないけど 」 クラスメイトの顔を見れないまま答えると、「よかったー!」と一気に緊張感が解れ、空気が和らいだ。 「いやね、私のお姉ちゃんがここの卒業生なんだけど、片桐先輩って一年の頃からだいぶ遊んでるらしくてさ。朝倉くん大人しそうだし、大丈夫かなってみんな不安になってて……」 「ああ、そう……。大丈夫。心配かけてごめんね 」 こちらを見つめていた理由が『心配』だということに安堵した。……内容が内容なのは少し嫌だが。 「朝倉、片桐先輩が用あるみたいなんだけど……」 ……安堵したのも束の間。クラスメイトの心配の原因が現れた。行きたくないが、無碍にするのも後が怖いため教室の扉に。こちらも朝から少し不機嫌になる。 「なんですか?」 「やっぱ諦められないから付き合って 」 「嫌です 」 しつこくないかこの人。容赦なくぶった斬ると、ニコニコしていたのに急にしゅん……と大人しくなった。 「ひっでえなぁ、俺だって勇気出して春樹に告白してんのに。ちょっとは考えてくれてもよくない?」 「なんで呼び捨てにしてるんですか 」 「名前の響きが好きだからだけど 」 「…………そうですか 」 名前を褒められても特に思い入れがないため何も響かない。それどころかまだ口説いてくることに呆れすら出てくる。昨日『顔が可愛い』と言われたことも相まってか、彼の感情がドロドロとした気持ち悪いものに感じられた。 「なんで付き合ってくれないか教えてくれる?」 「よく知らない人と恋人関係になりたくないんですよ。先輩と違って 」 ……言わなくていいことまで言ってしまったが、これで諦めてくれるならいいだろう。中学の頃の失敗だって、そもそもはこれが原因なんだ。 「……じゃあ知り合ったらいいのか 」 「は?」 「昼休みにまた来るわ。一緒にご飯食べようぜ 」 「は?えっ、ちょっと……」 断ろうとしたが予鈴が鳴った。仕方なく席へと戻り、昼休みは会わないうちにさっさと食堂に行こうと決めた。 ……のだが、この日生憎四限目は体育だった。着替えを終えて教室の外に出ると、案の定待ち構えられていた。 「……あの、先輩 」 「うん 」 「おれ弁当持ってきてないんで食堂行きたいんですけど 」 「あ、そう?んじゃ俺も食堂にしよーっと 」 購買のパンと迷ってたんだよねと言いながらこちらの肩に手を回し、食堂の方まで歩いて行く。連行されてる感があるし、体に触れられているのが嫌だ。 「歩きにくいんですけど 」 「えー?」 気にしないと言わんばかりに先輩はそのままおれを引きずるように食堂へと向かった……。 並んでる間に少し悩んだ末、今日はきつねうどん。先輩に「一杯で足りんの?」と言われたが、おれはそもそも昼はそんなに食べない。 「春樹、ピアスめっちゃ空いてんのな 」 「悪いですか 」 「いや意外だなって。どんなの付けんの?このピンクのメッシュに合うやつ?」 「どんなのでもいいでしょうに 」 いただきますと手を合わせ、先輩が話しかけてくるのを無視して食べる。……横髪垂れてくるな。百均とかでピン買えばよかった。 「なー、髪耳にかけながら麺啜んのってエロくね?」 予想外の発言に思いっきり咽せた。気管に汁が入ったし、鼻の奥が痛くてとても食べ進められそうにない。 「あー、すまん。悪かった悪かった 」 「しょくっ、食事中ッ、ゲホッ、そういう話、しないでください!」 「すまんすまん。でもなんかさぁ、そう見えんだよ。意外と経験あったりすんの?」 ニヤつきながら先輩はそう問いかけてくる。その表情がとても気持ち悪くて、まるで中学の同級生を思い出すようで、吐き気が込み上げてきてとても食事を続けたくない。ため息をつき、席を立って盆を持ち上げた。 「おい、どこ行くんだよ。うどん半分で足りんの?」 「……あんたのせいで食事を続ける気にならなくなったんですよ 」 食堂のおばちゃんにどうしても食べられなくなったと謝罪して、早足で教室へと向かった。後ろから自分の名前を呼びながら追いかけてきているが返事をしたくない。 「なあ、春樹ってば。ごめん、俺そんな下ネタ苦手って知らなくて」 無視して早足で教室に戻るが、向こうのほうが足が長い分すぐに追いつかれた。駄目だ、胃がムカムカする。これ教室に戻る前にトイレ…… 「なあって。ちょっと聞いて 」 肩に手を置かれ、一気に嫌悪感に包まれてばっと手を振り払った。それでも剥がれることはないそれにどんどん気分が悪くなる。今どんな顔をしているんだろう。片桐先輩の驚いたような申し訳ないことをしたというような顔が胸を締め付けてくる。瞬きの度に『あいつ』の顔と重なって目を逸らした。 「……おれに、関わらないでください 」 深呼吸をしてそう告げると先輩への嫌悪感は落ち着いてきた。大丈夫、この人はあの人じゃないと自分に言い聞かせるように目を瞑る。目を開けた後に「ごめん」と言われ、おれは返事できずにそのまま教室に戻った。 + 結局授業中に気分が悪くなり、先生に言って保健室で休むことにした。昼食も半分しか食べてないからお腹も減った。腹の音がすごかったのか「これ食べて」と先生にチョコ菓子をもらったが……少し食べる気になれない。 「低血糖は危ないわよ。お昼ちゃんと食べなきゃ 」 「ちょっと、諸事情で食べられなくて……。いただきます 」 食べなきゃ気持ち悪いままなので包みを開けてかじる。こってりとした甘さとほんの少しの酸味が脳をふわーっとさせて幸せな気分になった。 「それ食べたらチャイムが鳴るまで寝てなさいね 」 「はーい 」 チョコを完食し、再度ベッドに寝転んだ。窓の外からは体育をしているのか賑やかな声が聞こえてくる。 「せんせー、だるいから寝ていい?」 「私には元気そうに見えるけど?」 いかにもサボリであろう人間の声が聞こえてきた。先生は多分閉めるのを忘れたベッドのカーテンを閉じて入ってきた生徒を追い返そうとする。 「いや、なんか本当に気分悪くて。昼もあんま食えなかったし 」 「あら、片桐君も?」 「も?」 ……今会いたくない人間の名を聞いたような。いや、寝よう。寝て何も考えないようにしよう。 そう考えて仰向けになり目を瞑ると——— 「……あ、春樹じゃん 」 シャッとカーテンの開く音がして、見ると片桐先輩がこちらを見下ろしていた。 「……なんでカーテン開けてんですか 」 「誰が寝てんのかなって。やっぱ昼足りなかったんだろ 」 「誰のせいだと思ってるんですか。早くどっか行ってもらえます?」 背を向けて布団を頭まで被った。全然止めてこないが先生は何をしてるんだろう。 「いいだろ、先生今いないんだから 」 よっこいせ、と片桐先輩はこちらのベッドの足の方に腰掛けた。……別に避ける必要もないしそのままで居ると、少しこちら側に寄って座ったようで、真ん中付近のマットレスがたわむ感じがした。 「昼休みはごめんな。下ネタもだけど……あのさ、そんなに俺怖かった?」 「……別に。こっちこそ、強く振り払ってすみませんでした 」 顔も見ずに謝るのはどうかと思って布団から顔を出した。こちらが勝手に嫌な相手と重ねただけだし、片桐先輩はそれほど悪くない。腹が膨れ、布団の中に居て心に余裕が出て来たのかそう思えるようになった。 ふと彼の顔を見ると、安心したような表情を浮かべてこちらに手を伸ばしてきた。 「わっ……何、なんですか本当……」 「べーつに。いいだろ、頭撫でるくらい 」 そのままわしゃわしゃと髪を乱された後、髪を整えるように、指先を滑らせるように撫でられた。その感触が少しくすぐったくて思わず手を退けると、片桐先輩はポンポンと軽くこちらの頭を叩いた。 「お前本当可愛いなぁ。な、家どの辺?一緒に帰ろうぜ 」 「なんでそんなにおれに構うんですか 」 「んー……見てんのが楽しいから 」 「はぁ……?」 どこが楽しいのかよくわからないが……なんか断ってもしれっと着いてくる気がする。着いて来たら来たで……適当に寄り道して帰ることにするかと決め、「なー、いいの?だめ?」と聞いてくるのを無視して再度頭まで布団を被った。

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