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第3話

片桐先輩に絡まれるのが日常になってきた頃———中間テストの結果が返ってきた。赤点は回避したものの案の定順位は下の方で、恐らくこのまま行くと期末テストで夏休みが潰れる……。 「はーるき、今日マックド……あれ、どした?」 「…………中間テストの結果が返ってきたんですけど 」 「うん。どうだった?」 「…………おれ、夏休み消えるかもしれない…… 」 「んなわけ無いだろ。評価かテスト見してみ?」 そう言われたため、カバンの奥に取り残された生物のテストを渡してみた。片桐先輩は「字綺麗じゃん」と機嫌よさそうにしていたが……みるみるうちに怪訝そうな顔になる…… 「……あのさ、ちゃんと教科書読んでんのかこれ 」 「読んでますよ。読んでてこれだし、そもそも勉強自体そんなに得意じゃなくて……」 「だってこれ、お前……えぇ……?これ基礎できたら解けるやつばっか……」 片桐先輩の全ての言葉が攻撃的に聞こえてくる……。中学三年間引きこもっていたのがここまでメンタルに効いてくるとは思わなかった。 「そういう片桐先輩はどうだったんですか 」 「え?学年8位 」 勉強してないしなーとおれの解答用紙を折りたたみながら笑う先輩を、おれは今後もきっと許せないだろう——— 「んじゃさ、勉強教えてやるよ。先生んとこ行くよりは聞きやすいだろ?」 「そりゃ、まぁ…… 」 「決まりな。こっちの教室行くぞ 」 片桐先輩はおれの荷物を持って立ち上がり、サッサッと足早に廊下を歩いて行った。 「おれのカバン持ってかないでくださいよ!」 その先輩を追いかけて、おれも廊下を駆け足で通り抜けた。 + 「……ここまででわかんないところ……まあ全部か 」 「おれそこまで馬鹿じゃないですよ 」 「んじゃこれ解いて。さっき作った 」 先輩はルーズリーフをこちらに向けて差し出した。確かにおれに教えてる間に何か書いてたような…… ……まあ解いてみるかとルーズリーフを受け取り、少し考えてみる。 「わかんなかったら答えじゃなくて教科書から引けよ 」 「……はい……」 と言われても、何がわからないのかもわからない。でもテスト前よりは理解できてる気がする……。 「……できました 」 「お、早いな。んじゃ答え合わせするからこれ食ってな 」 片桐先輩はルーズリーフ……もといプリントと交換で、個包装のマカダミアナッツチョコをくれた。しかも高いやつだ。 「いただきます 」 「んー 」 生返事を聞きながら包みを開け、口に押し込む。チョコ自体は少し苦い系だ。しかし苦いだけでなくほのかな甘味とコクもあり、ナッツ自身もミルクみたいに濃厚で幸せな気持ちになれる。 「美味し…… 」 「すげー……周りに花咲いてるみたいな顔してる…… 」 チョコを飲み込み、口が少し脂っぽいが余韻を楽しむため水分は取らない。ふぅ……とため息をつくと、片桐先輩はプリントを返却した。 「はい、八割正解な。こんだけできてりゃ夏休みは大丈夫だろ 」 「ですかね?」 「信じろって。学年8位だぞ俺 」 「本当に勉強してなかったんですか?」 「あー……流石に教科書パラパラって読んだ 」 なんて言っているが、本当はしっかり勉強したんだろう。学年8位なんてそうそう取れるものじゃないし。 「んでさ、春樹……教えたお礼に何してくれんの?」 「押し付けがましくないですか?おれ別に頼んでないのに 」 「先に『夏休み消えちゃうかも〜』って不安そうな声出してきたのそっちだろ 」 「そんなぶりっ子みたいな声出してないです 」 筆記具を片付けながら対話をして……まあ確かにお礼はした方がいいかと思った。でも何がいいんだろう? 「片桐先輩って好きな食べ物なんですか?」 「鶏の唐揚げ 」 「じゃあそれ作るんで、明日夕飯食べにきてください 」 「え、春樹が作んの?」 「はい。中学の頃から家族の夕飯作ってたんで、味とかは保証できますよ 」 学校にも行かず、ずっと部屋に篭ってるのが申し訳なくて気まぐれに夕飯を作っていた。「これ食べたーい」と食材を用意されたり、家にあるので適当に作ってと言われたり……気付けば毎日の食事を作るようになっていたのだ。 「俺、春樹とだいぶタイプ違うじゃん。親御さんとかびっくりしない?」 「一人暮らしなんで誰もいませんよ 」 「あ、そうなんだ……へぇ……」 片桐先輩は何か変なことを考えているらしく、こちらを見てニヤリと笑みを浮かべた。 「今日行くんじゃ駄目か?」 「別にいいですけど……片桐先輩のお家、もうそろそろ夕飯作るんじゃないですか?」 「あー、いいのいいの。今連絡するから 」 「はぁ……そうですか 」 ならいいかと納得し、冷蔵庫に何が残ってるか思い出しながらカバンのジッパーを閉めた。買うものは鶏肉とサラダ用の野菜くらいか。 「いっぱい食べますよね。荷物持ちしてもらっていいですか?」 「いいよ、任せとけ 」 唐揚げへの期待か、片桐先輩はとてもいい笑顔を浮かべていた。 + 大きめの鶏もも肉、チューブにんにく、レモン、お客さん用の食器……普段買わないものばっかだなぁと思いながらそれらをカゴに入れ、「これも〜」と持ってきたコーラを戻してくるように告げて買い物を終えた。結局コーラは片桐先輩が買った。 「アパート住んでんのな 」 「一人暮らしですから。契約できないんで家賃は親持ちですけど 」 鍵を開けて部屋に入り、買ったものを一旦テーブルの上へ。「適当に座っててください」と告げて、手を洗ってブレザーをハンガーに引っ掛けた。 「作るとこ見てていい?」 「いいですよ 」 手洗ってきてくださいねと告げて洗面所の方を指差し、洗ってもらっている間に着替えてエプロンを装着。戻ってきた時に「似合ってんじゃん」と何故かテンション高くしていたが、それを横目に漬け汁の材料をジッパー付きの袋に投入した。 「これに鶏肉入れて30分待ちます 」 「へー。その間って何すんの?」 「米研いだり普段は味噌汁の具切るんですけど……今日は具買ってないんで味噌玉だけ使いますね 」 「味噌玉?」 頭にはてなを浮かべる片桐先輩に、冷蔵庫を開けて味噌玉を見せた。顆粒出汁と味噌を合わせたものに乾燥わかめや麩などの乾物を入れている。……正直、作ったもののそろそろ食べ切らないとやばいよなと思っていたため二個も片付ける機会ができてラッキーだ。 「へぇー……そんなもんあるんだな 」 「便利なんで作りました。お椀に入れてお湯を注いだら味噌汁ができます 」 家にいる頃は時間と人手があったからとろろ昆布を入れたりなどバリエーションもあったが、今は流石に面倒になってわかめと麩の味噌玉のみ。それでも美味しいインスタント味噌汁ができるのだから、これを考えた人を自分は尊敬する。 「何か手伝うこととかある?」 「今は無いですね。ゆっくりしててください 」 追い返し、お米を洗って炊飯器へ。一合炊きだから足りなくなるかもしれないが……念のため冷凍庫を確認すると冷凍ご飯が残っていた。無くなったらこれを食べてもらおう。 「春樹って猫とか好き?」 この人追い返してもずっと来るなぁ……。 めちゃくちゃ可愛い猫の動画が回ってきたとかで見せてもらうと、襖をビリッビリにして叱られる猫の動画で思わずクスッと吹き出した。 もっと無いかなとスワイプすると別の猫動画や写真が出てきた。どの猫も可愛いなぁと思いながらスクロールしていくうちに……『# ネコ』で投稿した自分の裏アカの写真が出てきたため、すぐにシュッと上に飛ばした。 「たまーに流れてくるよな、そういうやつ 」 「よくあることなんですね…… 」 もうネコのタグを付けて投稿するのはやめておこう……。これを見た猫好きに申し訳ない。 「大丈夫か?」 「あんまり大丈夫じゃないです 」 はい、とスマホを返して唐揚げ作りを再開することに。頭の中ではさっきの写真のことがずっと頭を回っていた……。確かに身バレ防止にトリミングとか気をつけてたけど……いや、問題はそこじゃない。 「粉だけなんだ 」 「先輩のお家は違うんですか?」 「うちのはなんかドロドロしたやつに潜らせて揚げてる 」 「ああ。そっちのが油も汚れませんもんね 」 うちの家もドロドロに潜らせて揚げていたが、自分は粉を纏わせて揚げる方が好きだ。完全に好みの問題だし、片桐先輩はバッター液の方が食べ慣れているだろう。でもおれはこっちが好きだから今日は粉だけ着けて揚げる。 「お皿用意してください 」 「はーい 」 棚から皿を用意してもらい、鶏肉を熱した油にドボン。醤油の焦げる匂いとパチパチと拍手のような音がキッチンに響いた。 ある程度時間が経ったところで唐揚げを避難させ、少し休ませた後にまた高温で一気に揚げる。ザクザクした手触りのためもう確実に外側は揚がっているが…… 「はい、味見 」 皿を用意した後も後ろでウロチョロしている片桐先輩に、小ぶりなのを一つ摘んで差し出した。一瞬戸惑った顔をしたものの、早くと急かすとそれを口内に収めた。熱そうにはふはふとしていたが…… 「……わ、うっま 」 「ちゃんと火通ってますか?」 「通ってる通ってる……あのさ、もしかして俺のこと実験台にした?」 「そんな人聞きの悪い…… 」 ご飯を注ぐように告げ、雑談をしながら油の切れた唐揚げを皿に盛っていき、仕上げというように片桐先輩がコーラ2本をテーブルの上に置いて夕飯の準備が整った。 「いただきます 」 二人で囲う食卓は狭くて、誰か呼ぶならもう一回り大きなテーブルが必要だと感じた。確かに一人だとこの大きさで十分だけど、今後友達ができて家に呼ぶ時なんかは不便かもしれない。 「今まで食べた中で一番美味いわこれ 」 「そんな大袈裟な 」 「いやマジだって 」 美味しいと褒められると嬉しくなってくる。また招待しようかな、今度は何を作ろうかな、なんて考えて楽しくなってきた。 + 『手伝う』と告げた片桐先輩にお皿をすすいでもらい、皿洗いを終えると時刻は六時半。いつもならそろそろ宿題に取り掛かり諦める頃だが、今日は学校で教えてもらって終わらせてきた。 エプロンを定位置に戻して片桐先輩の横に腰掛ける。また猫画像を漁ってるのかと思いながら「何見てるんですか?」と覗こうとすると、「んー」と言いながらぐいっと頭ごと押しのけられた。 「春樹にはまだ見せらんないやつ 」 「なんですかそれ…… 」 人の家でエッチなやつでも見てたんだろうかと思いながら体勢を直し、持ってきたお茶を片桐先輩の近くに置く。テーブルの上だしまさか落とすなんてことはないだろう。 「春樹さあ、メシ食わすだけなら弁当でも良くない?なんで呼んだの 」 「朝早起きしたくないからです 」 「そんだけ?」 「そんだけ 」 頷くと片桐先輩は「ふーん」とだけ呟きスマホをテーブルの上に置いて、その手でおれの頭を撫でてきた。撫でられるのにもだいぶ慣れてきて、これ以外に特に何かされるわけでもないためもう何も気にならない。 「まあどっちでもよかったけど 」 「何が……」 撫でる手が後頭部に周り、問いかけようとした口が塞がれる。ちゅ、ちゅ、と何度も口を吸われ、気付いたら先輩越しに天井を見上げていた。 「春樹、ネコしたことある?やったことないならちゃんと優しくするから 」 頬を撫でられ、ぞわりと鳥肌が立った。視界がだんだん暗くなって、服の裾から手が入ってくるので思い出したくないことを思い出してしまう。 ナメクジのように口内を這い回る舌が 雑に撫でて、強く引っ張ってくる手が 怖いと言ってもやめてくれない『それ』が とても怖くて、全てが嫌で、 「……え、春樹?春樹 」 目頭が、顔全体が熱くなる。なのに体は震えていて、喉を通る息も熱を持ち声帯を揺らした。 「なんっ、なんっで、おれ、ばっかりぃ……!」 何度目元を拭っても流れる涙は止まらない。「ごめん」と謝る声が聞こえるが、謝りたいのはこっちだ。謝ったら許して、何もしないでくれるかもしれないのに嗚咽で何も言えない。 「……帰るわ。その……本当ごめん 」 何も言えないまま、片桐先輩が家を出る音が聞こえてからも落ち着くことはできなかった。 信じていたのに裏切られたのが悲しくて、怖くて、楽しかった夜がとんでもなく辛い夜になった。

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