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第5話

「逢沢、アイディアはいつもいいんだけど、ツメが甘いんだよな」  さっきも冷たい表情で彼に言われたばかりだというのに。また罵られたい自分がいる。 「センスがあるんだし、もっと自信もっていいんだぞ? 案を出す段階では百パーセント完成してなくてもいいんだ。まずは約束を守る。そこからみんなで百パーセント以上のものを作るのが、この仕事のキモだ」  すこしも笑っていない表情だけれど、言葉には優しさと仕事への熱情やヒントが隠されている。ボクは明日哉さんとずっと仕事をしていきたいし、仕事以外でも彼の大切な人になりたいとさえ願っている。  真っ白なラフ案を見せられないとパソコンでデータを表示できずにいると彼は「マウス貸して」と言った。  怒られるかもと、緊張してマウスから手が離せないボクの手のひらに彼の指先の体温が触れた。その部分に見えない沈黙が流れ、明日哉さんの口元から薄く息が零れる──。  そのとき悦んだ鼻孔のことを思い出しただけで、ボクは下半身が疼いてしまった。 「誰かいるのか?」  悶えているボクの姿は、どうやらガラス窓に映ってしまっていたようだ。 「……逢沢?」 「す、すみません……。さっきの仕事の件を謝ろうと思って……」  裸足のまま明日哉さんはボクのほうへ歩み寄る。逆光のせいで暗い影に覆われて表情があまり分からなかった。 「その割には、顔も赤いし、立ち方もおかしくないか?」 「いえっ、そんなことは……」  残念ながら彼の言う通りだった。スラックスの前側はじっくり見れば盛り上がっていることくらいバレてしまうだろう。 「まぁ、ずっと残業が続いていたから、欲求不満なのかもしれないが……。そうだ、心を沈めるためにも一緒に瞑想するか?」  そう言った明日哉さんに肩を掴まれたボクは「ひぃっ」とおかしな声を出してしまう。いま彼に身体を触れられるのは余計に興奮を増長させるだけだから。 「め、瞑想って……。社長はふだんから瞑想しているんですか?」 「あぁ、まぁな。自分の仕事がうまくいかないときや部下を叱ってしまったときとか。あと……」 「も、もしかして、欲求不満のときも?」  ボクは調子に乗って明日哉さんに一歩近づいて尋ねる。手のひらを勝手に握りながら。 「お、おい、逢沢?」 「ボク、社長のことずっと好きなんです。白檀のような香りが社長から漂ってて、初めて嗅いだときから、もう……」  そう言いながらボクはさらに身体を明日哉さんに押し当てて彼の瞳を見上げると明日哉さんは参ったように頬が紅く染まっていた。 「むかし香水の広告へコピーを書いた仕事、覚えてますか?」  彼の胸に顔を埋めて尋ねた。鼓動が微かに耳に届く。明日哉さんの心臓はすこしも落ち着いていないようだった。 「……吐息まで香る、フレグランス。だっけか」 「そう、それです。そのコピーでボクは横峰明日哉というコピーライターに恋したんです。初恋ですよ?」 「それで、この会社に入ったって、社長面接のときに言ってたよな」  明日哉さんの両手がボクの背中を抱き締める。密着した身体は熱を帯び、さらに彼が放つ香りは強くなった。 「覚えていてくれたんですか?」 「初めての新入社員に選ぶくらい、印象的だった」 「……それだけですか? ボク、コピーライターとしても社長としても、明日哉さんという人のすべてに恋しているんです。無表情なときも、コンペを勝ち取ったときに見せる笑顔も、そしていま香る吐息さえも──」  不満をぶちまけるように強く、早口で告げると明日哉さんは溜息をゆっくりついた。 「ったく。人がどれだけ、我慢してきたか分かってんのかよ」 「えっ?」 「だから、どうして俺がこんな場所で瞑想しているのか、分かっているのかって聞いてるんだ」  その明日哉さんの口調は、仕事で注意するときの冷徹な声よりも熱がこもっている。 「逢沢のまっすぐで、人を巻き込む姿が放っておけないから……。俺が近くで見守っていたいし、誰にも触れさせたくないから……。その気持ちを隠すために、瞑想してんだよ」 「もしかして……社長は、むっつりですか?」 「バカ。そういう発言は慎め」と照れた様子の明日哉さんはボクを抱き締めながら深呼吸をした。 「誘ったのは、逢沢だからな。瞑想の先に辿り着く場所へ連れていってやる」 「えっ、それって……? あ、ボクあとで帰りに寄れるホテル探しますっ!」 「ちゃんとラフ案が終わったらな」  そう言った明日哉さんの表情はいちども見たことないくらい甘かった。ボクは慌てて彼の腕をすり抜け、「今夜は社長とエッチしたいので、仕事に戻ります!」と部屋を出た。  もう頭のなかにはアイディアは浮かんでいる。大好きな彼の香りは、ボクにインスピレーションすら与えてくれる。それはいま初めて知った効能のひとつだ。 【吐息だけでも感じます~冷徹社長の秘密の香り~ 終わり】

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