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第1話 神々しき男体――狩人の視線

「痛みはここですね」 真っ白な診療室に、静かに響く低い声。 診療台の上、男の肉体が無防備に横たわっている。 まるで大理石の彫像――いや、それ以上に官能的な造形。 その均整の取れた体躯、布越しにさえ圧倒的な存在感を放っていた。 わずかに肌の色を滲ませ、男の肉体の熱を透かしているように見えた。 抑え込まれた強靭な筋肉が、静かに蠢きながら、その束縛を今にも押し破らんとする。 広い肩幅から滑らかに繋がる重厚な胸板は、衣服越しでもその隆起が明確で、生地を押し上げんばかりにせり出している。 鍛え上げられた大胸筋が生む陰影は深く、中央を走る谷間は、険しい山脈の稜線のように浮かび上がっていた。 わずかな隔たりさえものともせず伝わる弾力。呼吸のたびに微かに震え、強固な鎧のように張り詰めている。 そして、頂点―― そこには、ほんのわずかに布の動きを伝える小さな突起があった。 まるで、ぷるんと弾む果汁たっぷりのゼリーの上にちょこんと乗せられた二粒のチェリー。 弾力に富んだその膨らみは、薄布越しにも存在を主張し、指を滑らせれば、ふわりと押し返してくる心地よい弾性すら感じられそうだった。 ……この胸に指を這わせたなら、どうなるのか? 久住司は唇を舐めた。その甘さを確かめるように。 引き締まった腹部は、無駄な一片すらない、鋭利な曲線を描いていた。 腹筋の中央を貫く一本の深い溝は、まるで肉体の軸そのものを示すように、真っ直ぐに伸びている。 光を受けるたびに、その存在はより鮮明になり――さて、指を這わせたなら、触感はベルベットのようにしなやかで滑らかなのか、それとも鍛え抜かれた鋼のように密度のある硬さを秘めているのか? そして、その下。 ――なんという荘厳な巨柱だ。 視界が、それだけで満ちる。この空間に、もはやそれ以外のものなど入り込む余地はない。 骨格に沿って張り出す大腿四頭筋は、岩盤のように硬く、それでいて内には原始の獣性を孕んでいる。 根を張る古木のような圧倒的な安定感。それは何ものにも揺るがぬ強さ。 ――だが、この脚は、本当に揺るがぬものなのか? 指先を這わせたら? わずかに熱を孕み、快楽の波打つように痙攣し――やがて、耐えきれずに震え続けるのか? ――だが、その間にこそ、最も視線を奪う存在があった。 脚の付け根、布地の下に堂々と鎮座する突起。 逃れようもなく、目に飛び込んでくる。 それは、生まれ持った覇権を示すかのように、衣服すら意に介さず、ただそこに君臨していた。 誇り高く、隠すことを知らぬ圧倒的な雄の証。 その輪郭は、傲慢なまでに己の存在を誇示し、理性を焼き尽くすほど求めずにはいられない衝動と、近づくことすら許されぬ畏れを同時に抱かせる。 同時に、抗うことなど許さぬ支配の象徴でもあった。 ――だが、そんな圧倒的な雄が、やがては押さえつけられ、征服される運命を辿ることになるなど、果たして己は想像しただろうか? 布の下で燻る獣が、今にもその檻を引き裂き、解き放たれようとしているかのように――。 ……この布を取り払えば、一体何が姿を現すのか。 そんな考えが、脳裏を掠める。 久住司は手袋をはめ、口元に指を添えながら、唇の端に満足げな笑みを浮かべ、まるで宝石を弄ぶように、相馬昴の顔を覗き込んだ。 精悍な顔立ち。 鋭く隆起した頬骨が、硬質な輪郭を形作る。 ……と、その時、久住の視線がふと止まった。 滑らかな肌に、微かに刻まれた細い線。 首の横、僅かに赤みを帯びた指の痕――爪で掠められたような、それは浅い傷だった。 まるで、悪魔がこの完璧な肉体に走らせた、ひと筋の裂け目。 淡く、消えかけたその傷が、静かに語っている。 前夜、この男が誰かに抱かれたことを。 誰かの指が、ここを這ったことを。 久住の指が、手袋越しにぐっと握り込まれる。 不愉快だった。 喉の奥が、じりじりと焼けるような感覚に満たされる。 舌先で歯を押しながら、小さく息を吐いた。 (……もう二度と、こんな痕がつくことはない。) そして、視線を動かす。 がっしりとした顎は分厚い胸板と釣り合い、無造作に剃られた剃り跡がかすかに残る。 まったく、不器用な男だ。 それなのに――なぜ、このまばらに残る青い影は、こんなにも指先を這わせたくさせるのか。 太く整った眉は、意志の強さを映しながらも、端正な形がどこか気品すら漂わせる。 その下の瞳は、今は閉じられ、静寂に包まれていた。 何も映さず、ただ穏やかに安らいでいる。 眠る獅子のように。 その身体には、計り知れないほどの力が宿っているはずなのに―― だが、いずれは俺の手の中で眠る、小さな猫になるのだろう? そして、何よりも久住の目を引いたのは――。 無防備に開いた、あの唇。 男らしい顔の中に、ほんの一筋の弱さが滲むように。 決して誰にも屈しないはずの戦士が、一瞬だけ見せる油断。 強固な鎧の隙間から覗く、致命的な弱点。 大きく開かれた唇が、わずかに震えながら、空気を孕むようにわななく。 何か巨大なものを受け入れる運命を背負わされているかのように――。 渇きかけた唇は、それでもなお、わずかに艶めき、紅を帯びている。 乾ききった大地に咲き誇る薔薇。 荒涼の中に咲く、その一輪の花は、ひどく脆く、ひどく妖艶だった。 舌先で濡らした跡が、かすかに残る。 ――まるで、俺がそれを潤すことを、待っているかのように。 無意識の誘惑か、それとも本能的な警戒か。 あるいは、触れられることを予感して、怯えているのか。 どちらにせよ。 この隙は、あまりにも、危うい。 もし、今、そこへ指を滑らせたら――。 ゆっくりとなぞり、その熱を確かめたならば――。 どんな反応を見せるのか。 この男は、どんな顔をするのだろうか。 気づけば、久住司の指先が動きかけていた。 しかし、その瞬間―― 「……っ」 相馬昴の喉が、ごくりと鳴った。 張り詰めた首筋を駆け上る、確かな脈動。 その僅かな動きひとつで、すべてがかき消された。 この男は、やはり獣だ。 ……決して、触れてはならないはずなのに。 久住は目を細め、指を静かに引いた。 しかし、微笑みだけは消さなかった。 この喉を、いつか俺の指で震わせる日が来る、と。 (……今はまだ、待とう。) 静かに手を持ち上げ、手袋を整える。 指を曲げ伸ばし、きつく締め直す。 戦場に立つ前の将が、自らの武具を調えるかのように。 そして、ふっと一息つく。 視線は獲物を逃がさぬまま――。 「さて」 ――本当の診療は、これからだ。

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