2 / 5
第2話 診察台の供物――捩じれゆく愛と欲
人は、美しいものを目にしたとき――その手に収めたくなるものだ。
それは理屈ではなく、抗いようのない欲求。
そして今、その欲求が静かに、だが確実に、胸の奥からせり上がってくるのを――久住司は止められなかった。
診療台の上――。
横たわる男の肉体は、あまりにも完璧すぎた。
まるで、神々への生贄。
その肉体は、何もかもが整いすぎている。
無駄なものは一切削ぎ落とされ、ただ純粋な「強さ」だけが宿る身体。
それは、手を伸ばすことすら躊躇わせるほどに、美しく――
なのに、なぜか、この手で汚したくなる。
(……こんなものが、この世に存在していいのか?)
それは、脳内を奔る、あまりにも禍々しい想像だった。
あまりに鮮烈すぎて、焼き付いて離れない。
(……今、俺は何を考えた?)
目の前の男は、患者であり、対等な男。
そして、この場の支配者――本来ならば。
だが――
俺の内なる炎は、神々の聖域すら侵し始めている。
――そう、診療室のドアが開いたその瞬間から。
太陽神アポロンが降臨したかのような、清らかで神聖な輝き。
穢れを拭い去るほどの烈火と、溢れる生命の煌めき。
そう思ったのは、一瞬だった。
だが、次に目に入ったのは――眉をひそめ、頬を押さえる男の姿。
強者としての風格も、圧倒的な存在感も、すべてを纏っているはずの男が。
傷ついた小さな兎のように、眉を寄せ、痛みに耐えていた
そして、あの眼差し。
救いを求めるような、必死の乞い。
「……お願いします、先生。」
その声音は低く、けれどどこか弱々しかった。
その一言が、久住の中で何かを弾けさせる。
――これは、いい。
「診察台に上がれ。」
久住が、初めて命令を下した。
そして、次の瞬間。
相馬昴は、迷うことなく飛び乗った。
命令を待っていたかのように。
従順な子供のようで――。
だが、跳躍したその一瞬――
それは、久住がたとえ幾度生まれ変わろうとも、決して忘れることのない「動」の美だった。
大きな体が、一片の迷いもなく、無駄なく、しなやかに弾む。
重力すら味方につけ、空気を切り裂くような滑らかさで、診察台の上へと舞う。
着地する瞬間、診察台が、わずかに揺れる。
無邪気な若獣が戯れるように。
本能が生んだ、一瞬の遊びがある。
それでさえ、力強さと精密さを余すところなく示し、抑えきれない躍動感が滲む。
久住は、息を止めた。
(……美しい。)
その瞬間、確信した。
(俺が、この男を支配できる。)
この隙のない男が、俺の言葉ひとつで、こうも素直に従うのか?
この完璧な肉体が、俺の指示ひとつで動くのか?
――こんな感覚は、初めてだった。
だが、気づいてしまった。
「強者を支配する快感。」
「支配が許されると悟った瞬間の、甘美な陶酔。」
久住は、初めて、自分の中で何かが目覚めるのを感じた。
――この美しさが、どこまで俺に染まるのか。
久住の目には、そこが決定的な隙に映った。
あの双丘。
膨らむたび、猛獣が静かに息を整えているように見えた。
そこにあるのは、ただの肉の塊ではない。
まるで、淫らに誘う鼓動。
鼓動に合わせて、ふわりと波打つ柔らかな影。
それは、揺らめく灯火のように、ゆっくりと揺れ、時折、微かに震え――。
熟れすぎた果実。
ただそこにあるだけで、罪深い。
指先が触れる瞬間を、今か、今かと待つように――。
その皮を破る瞬間を、ただひたすらに。
それは、禁忌の実。
「……お願いします、先生。」
――遠く、微かに、記憶の中でこだまする声。
久住の脳裏に、あの言葉が蘇る。
お前は、俺に何を求めている?
(……この場所に、指を這わせたら)
(……この膨らみを、掌で包み込んだら)
それを求めているのか?
「……お願いします、先生。」
その声が、離れない。
脳の奥に、焼き付いた呪詛のように。
まるで、相馬昴という男が全身で囁いているように。
ゆるやかに波打つ双丘。
ゆっくりと持ち上がり、沈む。
「……お願いします。」
――甘く、熱を含み、揺れる。
「先生。」
――脈を打つ。
息をするたびに、肉体が語る。
この男の身体が、俺に懇願している。
「触れてくれ」と。
噛みついた瞬間、二度と後戻りできないと知りながらも、手を伸ばさずにはいられない。
久住の喉が、僅かに動いた。
たかが、呼吸。
それだけで、ここまで蠱惑的な印象を与えるなど、ありえない。
――しかし、相馬昴という男は、そういう存在だった。
この肌に触れたら、何かが崩れ、何かが生まれる。
相馬昴。
まるで、戦場を駆け抜けてきた戦士。
幾度の闘争を刻んだ顔。
痛みと勝利を知る肉体。
――なのに。
診療台に横たわった瞬間――
彼の顔に、ふっと笑みが浮かんだ。
それは、わずかに力の抜けた、安堵の色を帯びた微笑。
長く苦しんだ痛みから、ようやく解放される。
そんな期待と、小さな安らぎが滲んでいた。
その笑顔は、あまりにも無垢で、まっすぐで。
無防備で、ひどく純粋で。
傷ひとつ知らぬ子供のように――。
その笑顔が、久住の胸を灼く。
なぜ、その顔を俺に向ける?
なぜ、そんな顔で俺を惑わせる?
(この白に、俺の色を落としたら――。)
この男は、本来なら支配する側の人間。
生まれながらに頂点に立つ男。
――だからこそ。
壊れないほど強いものほど、跪かせたくなる。
支配者ほど、支配される姿を見たくなる。
清らかなものほど、深く穢したくなる。
本能が、そう囁く。
この男の背筋を丸めさせ、
その腕を掴み、握り返す余裕すら奪ったなら――
どんな顔を見せる?
――怯えるのか。
――抗うのか。
――それとも、受け入れるのか。
どれであろうと、久住にとっては甘美な誘惑。
(……あの腕を、この手で絡め取る日が来るとしたら――)
――まだ、その時ではない。
ぞくり、と背筋を這う快感。
欲望が、少しずつ形を成していく。
ゆっくりと、確信に変わる。
一度狙った獲物は、決して逃がさない。
――この男は、俺のものになる。
* * * * *
相馬は、どんな侵犯に堕ちていくのか——?
連載進行中、毎週金曜更新予定。
すぐに全話を読みたい方は、有料配信ページをご利用ください。
詳細を知れるブログのリンクは、説明欄の下部にあります。
https://ci-en.dlsite.com/creator/30033/article/1422322
ともだちにシェアしよう!

