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第2話 いざ離島

 凌の実家は、日本海に浮かぶ小さな離島にあるという。  東京から新幹線で二時間と少し。  新潟駅からフェリー乗り場まではタクシーを使った。  凌は俺の特急券や乗車券まで全部用意していて、タクシー代も全部支払ってくれた。  乗り換えアプリを使ってさりげなく総額を調べてみたら、案の定二万円を超えている。さすがの俺も気が引けて、「せめてタク代だけでも出すって!」と財布を取り出す。    すると凌は「いや、いいよ。|結希《ゆうき》、これからめちゃくちゃ働かされるんだぞ? 今のうちにのんびりしてて」と爽やかに笑うだけ。  フェリーを待つ間せめてものお礼に、俺は自動販売機で凌の好きな甘いコーヒーを買って渡した。 「ほい、コーヒー」 「ありがとう。そんな気を遣わなくていいのに」 「だって切符の手配から駅弁まで準備してくれて、しかもお前んちに泊めてもらうわけじゃん? 至れり尽くせりすぎて落ち着かねーよ」 「そりゃまぁ、大事な大事なアルバイトさんだし。こんなど田舎くんだりまで文句も言わずに、よくついてきてくれるよなあ」  ちょっと冗談めかした口調でそんなことを言いながらサングラスを上げ、凌は目を細めて微笑んだ。  大好きな凌とふたりきりの旅路だ。  文句なんかあるわけがない。朝からドキドキしっぱなしだ。  しかも予想通り黒髪になっている。  この間までは色の抜けた金髪で根元に少し黒い部分が見えていたけれど、今日は艶のある黒髪になっていたのだ。  クールな顔立ちに金髪の凌は、見ようによっては”業界の人”っぽかった。  もしくは”怖い人”にも見えかねない怪しさのようなものを醸し出していたけれど、そんな見てくれで実は優しいというところが俺的にはツボだった。  だから黒髪になっていたことにはびっくりしたけれど、黒髪の凌もかなりイイ。  むしろ黒髪のほうが色気が増していて、絶妙にエロいのだ。  ——このハーフアップほどいたら、どんだけエロい感じになっちゃうんだろう……はぁ、俺。妙な気起こさないままこのリゾバ終われんのかな。  そういう不安はありつつも、基本的に俺はヘタレなので何も起こらないことは確実だ。  たぶんひとりでドキドキして、ちょっと込み上げるものがあったらトイレで抜いて、それで終わりだろう。  ——……ん? ちょっと待てよ。地元に帰ったら許嫁がいて……みたいなオチだったりして。……あんまり浮かれすぎないようにしないとな。  迷いのない歩調で海の方へ歩いていく凌の後ろ姿を眺めながら、俺は小さくため息をついた。  七月の太陽は痛いほどにギラギラと照り付けているけれど、凌は待合室には入らず海の方へ歩いていく。錆びかけたベンチに腰掛けて海を眺めながら、ふたり並んでコーヒーを飲んだ。 「疲れたろ。もう一息だから」 「うん、まぁ確かに疲れたけど、俺旅行とかあんましたことないからすげー楽しいよ」 「ほんとに? そういや結希って、休みの間もバイトばっかしてるイメージだな」 「うん、まーね。金稼ぐの好きだし。凌こそ、里帰りしてたって話あんま聞かない気がする」 「ま、遠いしな。帰ったとこですることもないし、東京でバイトしてたほうが稼げるし。……こっちは静かすぎてしんどいし」  いつになく淡白な声音でそんなことを言う凌をちらりと見やる。    表情の抜け落ちたような凌の横顔に、俺はちょっと面食らった。  普段は瑞々しくピンと張ったような空気を纏う凌だが、今日はなんとなく胡乱げだ。久しぶりの里帰りで緊張しているのだろうか。  故郷に帰り、家族や親戚に会うのが気重なのか……?  声をかけづらくて俺まで黙り込んでいると、凌ははっとしたように目を瞬き、取り繕うように微笑んだ。 「東京に慣れちゃったら地元なんかおもしろくないだろ? こっちじゃ場所によっちゃ電波入んないんだぞ? ど田舎すぎて時代から取り残されてんだよ」 「電波ねーの? それは確かにキツイ……」 「だろ? ま、暇だったらトランプでもやって時間潰そうぜ」 「トランプか。……まあ、逆に面白そうだからいっか」  凌とふたりでトランプしながら夜を過ごせるのかと思うと、俄然島でのバイトが楽しみになってきた。  同じ部屋で眠れるのか、それとも別の部屋を用意されてしまうのか……どっちにせよ、こんな特別な夏休みはもう二度とないかもしれない。しっかり味わって楽しまなくては。 「お、船きた。行こ」 「うん! うわぁ〜でっかい船」 「あー違う違う、こっち。あのちっちゃい船」 「え!? あの船!?」  波間を滑るように入港してきた巨大なフェリーではなく、凌はその遥か向こうを指差した。  屋根のある客席はあるようだが、二十人ほどが乗船したらいっぱいになってしまいそうな規模の小さな船だ。 「じゃ、行こっか」 「あ……う、うん。あれっ、チケットとかは?」 「あの人に直接払うんだ。あ、俺が出すから」 「お、おう……」  巨大フェリーから下船しはじめた車やバイクや人でターミナルが活気づき、賑やかになっていく。  大きなトランクを転がしながら清々しい顔で夏空を見上げる乗客たちを眺めながら、俺たちは小さな船のほうへ歩を進めた。  ぱらぱらと船を降りていく人々とすれ違うたび、なぜだかひどく視線を感じた。  グラサンロン毛でモデル体型のイケメンが鄙びた船に乗ろうとしている絵面は、確かにちぐはぐすぎて目を引くだろう。見たところ高齢の男女が多いから、若いというだけで俺まで目立っているようだ。  色褪せたグリーンの椅子に並んで腰掛け、ちらりと凌の表情を伺ってみる。だがサングラスのせいで、その表情ははっきりとはわからなかった。    ただ凌がいつになく不機嫌そうなことや、同時にひどく緊張しているということは、なんとなく伝わってくる。  さりげなく肘で凌の肘をつついてみると、凌はぴくりと身体を揺らして俺のほうを向いた。 「凌、どした? 大丈夫?」 「あー……俺、実は船酔いしやすくてさ」 「えっ!? 酔い止めとか飲んだか?」 「いや、忘れてきた……吐いたらごめん」 「おいおいマジかよ」 「いざとなったらエチケット袋そこにあるし」 「その前に酔い止め忘れんなよな〜」  軽いやり取りをしながらいたずらっぽく笑い合うものの、凌の笑顔はどこか硬い。  船酔いするのが本当か嘘かわからないけど、やはり里帰りに緊張していることは間違いないだろう。  やがて、船がゆっくりと動き出す。  うなりをあげて響き渡るエンジン音がすぐそこで聞こえる。小さな船だから海面が近く、波飛沫が遠慮なく曇った窓を叩いている。  効きの悪いクーラーの生ぬるい風を頬に感じながら、俺は海を睨みつける凌の横顔を見つめることしかできなかった。  

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