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第3話 不穏な雰囲気……?

 エンジンの音が止み規則的だった船の揺れがゆっくりと変化して、やがて止まった。  時間にして十五分程度だろうか。船酔いをするほどの距離ではなかったらしく、凌はザックを背負ってすっと立ち上がった。 「いこっか。酔ってない?」 「いやおまえが言う? 俺は大丈夫だけど、なあ、凌……」 「ん?」 「なんか、緊張してる?」  ぴた、と前に立つ凌が立ち止まって振り返る。背が高いから船室の天井に頭がつきそうだ。  サングラスで表情ははっきりと窺い知れないけれど、凌は唇を吊り上げて小さく微笑んだ。 「まぁ、久しぶりの帰省だし。ちょっとな」 「あー、やっぱり……。なんかお前、東京いるときと全然雰囲気違うんだもん」 「ごめん、気ぃ遣わせちゃって。すぐ元に戻るから」 「いや、いいよ。気にすんな」  にかっと笑ってみせると、凌の眉間の皺が少し緩まる。船員のおっさんに会釈をして陸地に上がると、潮の匂いとともに生ぬるい風が俺の茶髪をめちゃくちゃに乱して吹き抜けていった。  見上げた先にはこんもりとした緑の山。  コンクリートの波止場やずらりとならんだ小さなトタン屋根の倉庫、そこで網を繕ったり魚を干す人々——……これまで目の当たりにしたことのなかった風景が物珍しく、俺は思わず感嘆の声を上げていた。 「うわぁ〜! すごい、ザ・港町ってかんじだな〜!」 「ははっ、そんな珍しい? あとで美味い魚いっぱい食わしてもらお」 「うん! すげえ、楽しみ」  荷物を背負い直し、凌と並んで山の方へと歩を進める。  山を囲むように、コンクリートで舗装された道がぐるりと走っているようだ。道沿いには古びた家屋が並んでいる。  家屋のとなりには必ずと言っていいほどに小さな畑があって、そこでさまざまな野菜が育てられていた。都会にいては決して見ることのできない風景が新鮮で、俺は夢中になってきょろきょろと周囲を見回した。  というか、このいかにも”鄙びた村”といった雰囲気は……。  ——なんつーかこう……因習村感ハンパないじゃん……。  畑の隅に置き忘れられている色褪せた三輪車や、ドラム缶の中に溜まった雨水。  古びた民家のそばには漁で使うのであろう網や道具が干してあったり、玉ねぎが軒先に吊るされていたり。まるでノスタルジックな映画の中に出てくる風景のようだ。  俺は時折スマホを構えて、その風景を写真に収めた。 「凌んちってどこ?」 「暑いのに歩かせてごめんな、もうちょっと奥なんだ」 「ううん、いいよ。本土よりちょっと涼しい気がする」 「それはあるかも。ビルもないし、車もほとんど走ってないし」 「え!? 車、いないの?」 「医者が使うバンくらいかなあ。狭い島だし、チャリや原付の移動がメインなんだ」 「へぇ〜おもしろ」  そういえば、今歩いているアスファルトの道も狭い。軽自動車が一台通れるか通れないかというくらいだろう。  凌と肩を並べて潮風にあたりながら歩くうち、なんだか世界に二人きりという気分になってきた。あたりがあまりにも静かすぎるせいだろう。  ——それに、なんだろう。やっぱりいつもと全然空気が違うな……。  遠く海の方を眺めながらゆっくりと歩く凌は、どこか心ここに在らずといった感じだ。  ——ひとりじゃ帰りづらいから、俺を同伴して帰省した? ただついてきてほしいってだけじゃ頼みづらいから、リゾートバイトという口実をつけて俺を連れてきたとか?  ストレートに聞いてみればいいだけのことなのだが、なんとなく声をかけづらい。それに、俺はちょっと嬉しかった。  どんな事情があるのかはわからないが、凌は俺を選んでくれた。  実家というこれ以上ないほどのプライベートな場所に同伴する相手として、この俺を——……!  凌の様子は気がかりだが、大勢いる友人の中から唯一自分が選ばれたのだという事実は、俺を舞い上がらせるには十分すぎた。  むずむずと込み上げてくる高揚感はいつしか鼻歌となって溢れ出していたらしく、凌が隣で肩を揺すって笑っている。 「ふふっ、そんな楽しい? なんにもないのに」 「楽しいよ。なんもないから楽しいんじゃん」 「……変なの。都会で生まれ育ったやつってみんなそうなのか?」 「しらね〜」  歌うようにそう言うと、凌がまた少し笑った。ちょっとでも緊張をほぐすことができているなら本望だ。  だが……確かに人がいない。島に並んだ家には生活感が溢れているものの、人の気配がまったくないことに俺は気づいた。 「けどまぁ確かに、人がいないのは不思議かも」 「ああ……昼間はみんな漁に出てるんだよ。あとは島の裏手の海水浴場で仕事かな」 「例のリゾバ? お客さんもあんま見かけねーけど……」 「ここの海開きは明日からなんだ。その前に準備しないとだからな」 「なるほどね」  それにしても、小さい子どもの姿も一切ないのは気になる。もし俺が子どもの頃にこんな島へ遊びにきていたら、一日中島を駆け回って探検しまくっていただろう。  すると、その疑問を読んだように、凌がすいと山の中腹にある建物を指差した。 「あれ、小学校。島民に子どもはいなくて、みんな本土から通ってくるんだ」 「え!? 船通学!?」 「そ、先生も船通勤。まぁ来年廃校になるらしいけど」 「そうなのか……。凌もそこの出身なの?」 「うん。クラスメイトはたった三人だった」 「すげえ、まじか」  凌の小学生時代を想像するとそこはかとなく萌える。絶対可愛いに決まっている。  三人しかいないとなると、すごく絆が深くなりそうだ。今回の帰省で、凌は懐かしい友人と会ったりするのだろうか? 「そのクラスメイトたちとは集まるのか?」 「いや、それはないよ」 「え、そうなの? なんで?」 「——ふたりとも、もうここには戻れないから」  ざあっ……と、強い風が吹いた。  ふと立ち止まると、凌も同じように足を止めて俺を振り返った。 「え……? な、なんで?」 「ああ、船の事故で……ちょっとね」 「あ、ああ、事故。そう……そっか、ごめん、変なこと聞いて」  ——そ、そっか、そうだよな。毎日船に乗ってここまで通うとなると、事故に遭うってことも当然……。  俺は海に向かって手を合わせ、しばらく目を閉じて黙祷をした。  そんな俺の隣で、凌はポケットに手を突っ込んだまま青い空をのんびりと眺めている。  凌の淡々とした態度を目の当たりにして、俺は少しだけゾッとした。  ——おいおい、同級生が船の事故に遭うなんてそうそうないことだし、悲しいことだろ……? なんでそんな他人事みたいな顔してられんだよ……。  そう思ったけど、それを口にはできなかった。 「もうちょっとで実家だ。行こう」 「う、うん……」  だが凌は俺の違和感を打ち消すようにいつも通りの笑みを浮かべて見せ、サングラスを額の上に乗せた。 「大丈夫だって。うち、幽霊が出るとかそういうのはないから。そんな怯えた顔しなくても大丈夫だよ」 「は? いや怯えてねーし。あー、海の幸楽しみだなぁ」  心の隅に浮かぶかすかな不安と恐れから目を逸らし、俺は凌とともに海沿いの道を歩いた。  

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