46 / 46

第46話

  それから数日後、土屋は押し黙ったように職員室の席に座り仕切り考え込んでいた。  藍田の父親に連絡か取れたと言えば、聞こえは良いだろう。  ただどうしたものかと、思い悩んでいる状態の土屋に先ず声を掛けたのは、主任の女性教諭だった。  「土屋先生…どうでした?」  「あっ…いえ…」  「先生と藍田くんのお父さんの話し振りだと、はい。はい。としか聞こえてこなかったので…」    「はぁ…」  『息子が、お世話になっているようで…話には、伺ってます…』  「そうですか…」  『もうしばらく待ってもらえませんか?』  「それは、どういう意味で?」    電話の向こうで、諦めにも似た溜息を吐く藍田の父親が、そのまま話し出す。  『怪我が起こった経緯です。息子からメッセージが、送られてきてました…』  と言う事は、たまにやり取りをしていると言う事か? と、土屋は唸るように頭を傾げた。  普通が通用する範囲ではないと聞く藍田の家族で言えば、希薄な感じもするが…  自分基準で言うと、随分と恵まれている…  安易に土屋は、そう感じながら自分自身に照らし合わせた。  元は待遇の良い会社勤めだったのにも関わらず少しの失敗から酒と、暴力的な父に変貌しそこから自分だけ逃げた母親。  あからさまに、腫れ物扱いをする学校に同級生達…  そんな中で唯一土屋を、土屋として扱ってくれたヤツの存在は、大きくこうやって、藍田を思い出していると視界にそのヤツの姿が、ちらつくようになっていた。    今ヤツは、何をしているだろう…  確かまだ向こうは、昼近くだと土屋は、思わず考え込んでいた。    『朝陽には、家族カードを持たせています。もう少し待って頂けたらと…その…』  藍田の父親は、言葉を濁す。  「何か?」  『他に先生が…』  「まぁ…」  土屋は、戸惑うように言葉を詰まらせる。  『土屋先生は、息子の担任ですよね?』  「はい…」  『例の怪我の時に助けて頂いて今も、家に置いてもらっている…』  「?ん…あぁ〜そうなりますね…」  『それなら…』  何か言いたげたと土屋は、思いそのまま藍田の父親が言い終わるのを黙って待った。    「…つまり。私達夫婦の事には、関わらないで欲しい。手立ては打っています。そう息子には、話してあります…」  そんな説明を、土屋は集まっていた他の教師達に語った。  時刻は、8時過ぎ。  その日の放課後は、元々遅くなると藍田には、伝えてあった為に心配はしなかった。  藍田は、何も出来ない訳じゃない。  自炊をしたり買い物をしたり他の家事を、率先してやってくれている。  「その…言い方だと…ご両親は、離婚でもするつもりなんですかね?」ふくよかお腹の教頭が、問い掛けてくる。  「…多分というか…何と言うか…」  藍田の口ぶりから言えば、元々夫婦仲は良くはなかったように聞かされたせいか、父親を名乗る人物の口調も、どこかそう言う雰囲気を出していた。    校長に教頭、主任と学年主任と自分なんとも言えない面々が、それぞれに顔を見合う。  依然として母親には、繋がらない。  藍田の父親に掛ける前に土屋が、母親に掛けた時、一瞬、繋がったかと思ったが…  直ぐに、ガチャ切りされた。  一応、子供と繋がっている番号だからか…   何となく興味本位で、電源を入れたタイミングで通知バーに学校名が表示されて慌てて切ったように土屋には、思えてならなかった。  「つまり…藍田をどうしたいんですかね?」  「…他に頼る親戚筋がないとか、あとは…藍田本人が、父親の方には来たがらないからと…」  今後、藍田をどうするのか?  その話し合いするつもりがあるのか、ないのか…  「難しいそうな話ですね…」  母親を拒否する藍田と、父親には頼りたくなさそうな藍田と言う説明は付くが、そこまで言う程、藍田と父親の方とは、険悪さが感じられない。  メッセージのやり取りをすることもあるなら…  父親との関係は、世間一般で言う所の良好と言える関係性に近いかも知れない。  まぁ…あんな母親だ。  懐く方に無理がある。  それでも、最初は歩み寄ろうとしたかも知れない。  無関心で、毎日とは言わなくとも、度々暴力を受けていたとしたなら尚更だ。  家に帰りたがらないのは、仕方がない。  周りに頼れる人達が居なかった。  周囲を遠ざけたり無関心になるは、分かる気もするし気薄な感情表現になるのも仕方がない。  「父親とだけでも、やり取りが出来ているなら少しは、マシかもしれませんねぇ…」  学年主任は、迷いながら腕組している。    この電話の為にと言う表現は、使いたくないが、土屋を含む集まった4人は、憤るようにため息を付く。  進展がないと言えば、大まかとした進展は望めなかった。  分かったことは、藍田の家庭不和の兆候と父親が離別を視野に動いていると言う所か? と、土屋は考えをまた巡らせた。  「一番の問題は、藍田をどうするか? ですかね…」    角張ったメガネのズレ落ちたフレームを、直しながらまた学年主任が腕組みする。  「それで藍田は、いつ頃…学校に?」と続けると土屋は、首を振った。  「制服は、ハンガーに掛けて藍田が寝泊まりしている部屋の壁に掛けておきましたが、いつの間にかにクローゼットの中にしまい込んだみたいです…」  「そうなんですか?」と、イケオジ風と言われる校長が口を開く。  「学校や同級生達の事も…口に出すこともなく話題にすらならない状態で…勿論、家庭での事も同様です…」  藍田が土屋に話す内用は、借りた本の感想やその日のテレビや時事でネタぐらいだった。  「じゃ…喋らないわけじゃないんですね?」  「まぁ……」  そう主任が言うのには、理由がある。    「実を言うと、今日…土屋先生に断りを入れて朝の内に藍田くんの様子を見にご自宅に伺ったんです。でも近付くのを拒否られまして…一瞬顔だけは、出してくれたんですけど……」  「どんな様子でした?」と、校長が問い掛ける。  「…今までの藍田くんとは、少し違うように見えました。何か、終始怯えて居るような…」    同じく土屋は、頷いた。  「私と話をしている時も、まぁ…怯えはしませんが、沈んでいると言うか、上の空と言うか…そんな時が、たまに有ります。」  それが、本来の藍田の姿なのかも知れないと思ったが、それ以上は黙った。  「それは、そうと藍田くん。お昼ごはんは、どうしているんです? ちゃんと食べていますか? 食べ盛りですから。うちの子供達も、口を開くとお腹空いたですから…」  「確かにそう言う時期でもありますよね。まぁ…冷蔵庫の食品が、減ってますから。何かしら適当に作って、食べてはいるようです」  土屋自体、一人暮らしなこともあり暇な時に作り置きおかずなどを、冷凍していることもあり自分自身でも特に夕飯には、困ったことはないが、藍田がどう思っているかは分からない。  「不満を言わないのか、不満がないのか、言えないのか…今まで一人で居る事が、多かったせいか…ウザがられないか…それだけが、不安ですかね…」  思わず土屋は、本音を漏らした。  「ただ…言わなくても…」  夕飯にと、一品から二品、野菜炒めや簡単な混ぜ合わせたサラダなどを作ってくれている。  「あの藍田が…」  一同は、驚いているようだった。  「でも…良かったです。何かしら食べられると言う事は、ちゃんと考えられていると言う事ですから」    主任は、頷く仕草を見せながら職員室に備え付けられている小型の冷蔵庫の前に歩み寄る。  「あの…もし良かったらんですが、家で作った炊き込みご飯を、お握りにして冷凍にしたモノなんです。良かったらですけど…」  本当だったら朝の時点で、手渡したかったのだろうと、土屋は思っていた。  「あからさまにすると藍田くんの性格だと、ウザがられるかも…ですから…」  そう言って主任は、保冷バックに入れられた大き目のお握りを数個、土屋の前に差し出した。  「助かります。ありがとうございます」  正直に藍田が、昼間何かを食べていると言っていても、何をどう食べているかまでは、土屋自身不安だった。  炊き込みご飯なら、まともなモノを食べているように見えるから安心と言えば、安心だと受け取った。  主任が、周囲の生徒達から世話焼きオバサンと言われている事は知っていたが、こう言う所に気を向けてくれるのは、さっきも自身で言っていた通り同じ年頃の子供が、居るからだろう。  だからそれがウザイという言葉や表現にも繋がったりもするが、実際そう言うウザさが、有り難かったと思える様になるまでには、時間が掛かる。  土屋は、気を取り直すようにペットボトルのお茶を一口飲んだ。  藍田を助けて、藍田を保護するかたちで部屋に匿うように泊める事になって約三週間になる。   藍田が受けた母親からの度重なる暴力の件は、土屋や藍田の治療した藤里を通して教職員達に伝えてあった。  そして、三週間と言う節目で藍田の体力も戻ってきた事を受け親と話し合う為にと、前もって主任が、藍田を見舞う形で来てくれたのだが…    藍田は怖がってなのか、一瞬顔だけ出して部屋から出てこなかった。  一部の教員達からは、警察に相談すべきだと言う意見もあったが、母親が任意で取調べを受けたなどと他の父兄の耳に入ったりすると…  「間違いなく問題になりますからね…」  「遅かれ早かれ藍田くんの耳にも、届くでしょうから…」  せっかく外に出られるようになった藍田を、追い詰めるような真似はしたくないとの結論に至った。    一応念の為に校長を通して、市の教育委員にも連絡にしてもらったが…  現場の判断に任せると言われたそうだ。  「…私、思うんですけど精神的にも、長年母親にケガを負わされたショックは、大きいと思います。それに少し前までは、父親からも、ほっとかれたと言うのなら藍田くんは、大人を信用出来ないんじゃないかと…」  大人と言うフレーズに強い拒否反応を、見せていたふうにも思える。  「今日、私が訪問した時に感じましたが、自分の母親と同じ年ぐらいの女性である私を、あまり良く思ってないと思いました。だから父親にと思ったのですが…色々上手くいかないものですね…」  「…………」  土屋が、答えに迷っているのを見兼ねた学年主任の男性教師が、土屋に代わって話し出した。    「そうですね…もうしばらく藍田の様子を、ここに居る四人で共有しながら藍田に声を掛けて続けて、また連絡を取るにしろ来るにしろ…父親の出方と言うものを見るしかないのかも知れませんね…」  「はい。その方が、良いのかも知れません。その時は、また…よろしくお願いします」  俺が、頭を下げるとその場で解散となり各々が、足早に帰宅し俺自身も荷物と主任から預かった冷凍お握りを保冷バックごと持ち出し駐車場へと急いだ。  少しキーンとした空気の中で、車に乗り込みエンジンを掛ける。  徐々に暖房がきき始める車内で一息吐くと、俺は車を走らせ近くのコンビニの駐車場へと車を止めスマホで、とある人物に連絡をとった。  「もしもし土屋です。先程は突然すみませんでした。今、大丈夫でしょうか?」  『ハイ…度々すみません。息子や私達の事も含めて…』  「いえ…」  『息子に掛かった治療費や食事代、日用品等の金額は、こちらに請求してもらって構わないので、遠慮なく言ってください!』  「はぁ…」どう返事を返せばいいのか、判断を迷う所ではあるが…  「少し前に学校を出まして、近くのコンビニに止めて電話をしています。改めまして…私は、藍田 朝陽さんの担任をしています。土屋 了と言います。それで…話したいと言う要件とは?」  俺がそう言うのには、理由がある。先程の電話で、藍田の父親から話したい事があると、しばらく経ってから一人のタイミングで電話を掛けて欲しいと告げられたからだ。    『今まで、逃げていて何をと思いますが…』  「……………」  『朝陽は、最初から私や妻の事について…何かに気付いていたと言うか、取り敢えず高校まではと…そんな意思があったと思います』    誰に対してもあんな態度で、友達も居るのか居ないのか、それでも何が起こっても、一応は学校にくる藍田を、最初は少し変わったヤツだと思っていた。  でもそれは、違う気がした。    主任の一言が、発端だ。    「朝陽さんは、もしかして大人が苦手と言う節があるのでは?」  『…大人になりたくない。いつだったか、そんな事を聞いた気がします』  あぁ…やっぱりと、土屋は車の座席に深く背中を預けタバコに火をつけた。    『そりゃそうですよね…見本となる親が不仲で、側に居ない。私は仕事で家を空けることが、多かった。信用されるわけがない…』  ウィンドを少し開け吐き出したタバコの煙を外に逃がす。  ボンヤリと曇る視界に一旦、目を閉じてカーラジオの音源に耳を傾ける。  時刻は、八時を回ったらしい。  『あの…先生…』  「…なんでしょうか?」  「もしかしたら朝陽は、このまま学校を辞めるかも知れません…元々、高校卒業が期限みたいな…約束とでも言うのか、そんな話しを…例の冬休み明けに話したんです…」  『オレの事は、気にしなくていいから。連絡もしてくれなくて良いよ。高校は、こんなんだから卒業できるか分かんねぇけど…できそうにない時は、連絡するから…』  「朝陽さんが、そんな事を?」  「ハイ…」  やっぱりなとドコか腑に落ちると言うか、まぁ…今、学校を辞めたとしても、藍田の成績からすれば編入もきくだろうし。    『それに…今後、学びたいと思う事があれば、私は応援しようと思っています。ただそれは…今じゃないんだと…おそらくなんですが…』  藍田は、俺達によく似ている。  どちらのどう言う所じゃなくて…  酷く歪んでて、曖昧な表現になるが、俺達も手の届く距離の人間の全てが信じられなくて、自分の身内でさえ疑うしまつだった。  誰かに、不満を言った所で意味がない。  そんな共通点だけで、俺達は一緒に居た。  愛だの恋だのの共通点は、無かったと思う。  人一倍寂しい。  人一倍苦しい。  他人事みたいに自分が、惨め過ぎて恋愛の悪乗りに便乗したのも本当の事で…  だから自然と藍田を、引き寄せてしまったのだろうか?    『それで…相談なのですが、朝陽を一人暮らしさせようかと…』  「自律的な?」  『いつまでも、先生にお世話になるわけには……』  もっともな意見だろう。    「朝陽が、こちらに来たがらないのは、ご承知の通りです…私は、こちらの支部を任されているので…追々とは、戻ることはできそうもなくて……」  責任のある立場と連絡先の備考に書き添えてあった事を、ボンヤリと思い出していた。  「仮に学校を辞めたとして、その後は?」  『それは…まだ本人も、決め兼ねているようで…』  藍田の担任として話をしたい。  さっきの電話で、そう告げられた。    「環境を変えたい。受験をやり直したい。仕切り直ししたい。そうやって辞めて言った生徒もいるようです…働きながら学べなくはありませが、環境は甘くはないです。まぁ…本人次第と言えば、それまでですが…」  『先程も言いましたが、朝陽は学校を辞めたからと言って、私の方に来ることはありません。母親になんってのは以ての外…金の話になりますが、資金はこちらで持ちたいと思ってます。でもまさか、母親と子が、ここまで拗れているとは…思ってもみませんでした…」  一瞬、涙声になり掛けそうになったが、気を持ち直したのか静かに言葉を続ける。  低い声は、ドコか藍田を思わせるトーンだった。  そう言えば、こうやって藍田の父親と話すのは初めてだが、顔は今年の初めに藍田がやらかした行方不明後に会っていたと今更、思い出した。  「…そうでしたね。あの時の先生達の中にいらっしゃたんですよね…」    こっちとしては、体をぶっ壊した前担任の空席を埋める補強要員よ立場だったし…  まさかあのまま担任になるとは、思わなかった。  「あのそれで、話したいこととは?」    ゆっくりとした口調で語られる言葉を、俺は聞き入った。                        

ともだちにシェアしよう!