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第1話
春休みは忙しかった。
中学卒業から高校入学までの休みって、春休みっていうのかな。
まあそんなことはどうでもいいか。とにかくいろいろ忙しかった。制服や教科書を用意したり、卒業で離ればなれになる同級生たちと別れを惜しんだり。
それでも忙しくしている間中、僕の頭の片隅に、いや、むしろ真ん中あたりにずっと、先生がいた。頭から離れるわけもない。
だってずっと夢見ていた瞬間が、現実になったのだから。
あのとき、先生は僕の腕の中にいた。
細身だけれど筋肉質な身体。ほんのり紅くなった白い肌。色の抜けた癖のある髪がシーツの上を泳いで、のけぞらせた首に浮いた咽仏を僕が食むと、先生は小さく息をはいた。
日常の中であのときのことはしょっちゅう頭をよぎったけれど、そのつど僕は全力全身でそれを払いのけた。詳細を思い出すと僕の身体がやっかいなことになるからだ。
僕の先生。
愛想がなくてぶっきらぼうで口が悪くて、いつもだるそうでやる気がなくて、そのくせ家庭教師として僕の受験を真剣に考えてくれて、実のところは優しくて礼儀正しくて真面目で、それから案外自分に自信がない、僕の先生。
実際、先生があんなふうに僕の気持ちを受け入れてくれるとは思わなかった。今だって信じられないくらいだ。僕が本気だってことをわかってくれているとは知っていたけれど、全然相手にされていないと思っていた。
なのに。
いったい先生は、どういう気持ちであのとき、波音に満ちたあの部屋の、降るような満天の星の見えるあのベッドの上で、僕に抱かれてもいいと言ったんだろう。自分より六つも年下の、中学を卒業したばかりの僕に。
でもとにかく先生は、また会ってくれると約束した。先生の家に行ってもいいって。
忙しい合間をぬって、僕は幾度か先生に電話をした。僕は忙しいつもりだったけど、先生の方がもっと忙しかった。バイトとか実習とか追試とか課題とか、僕にはよくわからないけどやることがいっぱいだとかで、なかなか会ってくれなかった。
もしかして、と僕は少し心配になった。
もしかして、先生は僕のことを避けてるんだろうか。
もしかして先生はあのときのことを後悔してるんだろうか。
今となっては僕のことなんかうざったくてしょうがなくなってるんじゃないだろうか。
一度そんなふうに考えてしまうと、悪いほうへ悪いほうへ想像は広がる。まさかこのままなし崩しに、僕と縁を切るつもりじゃないよな。そんなことさせてたまるもんか。
僕はしつこいくらいに先生に電話をかけた。
「だから、時間ができたら連絡するっつってんだろ」
呆れたような声がスマホごしに聞こえてくる。どんな声だって、先生の声を聞ければ僕は嬉しい。
「だって、もうすぐ休みが終わっちゃうよ」
すでに四月に入っている。本当なら休みの間に何度だって会いたかった。
「わかってるって。あとちょっとで時間があくんだって。って、なんで俺おまえに弁解してんだよ。おまえは受験終わってせいせいしてるかもしんねえけどな、こっちはバリバリの学生なんだよ、勉強中なんだよ、ジャマすんな」
そう言って切られてしまった。といっても、先生の口調は怒ってるふうでも乱暴でもなかった。いつもの淡々とした言いようだ。
しかたがないのでじっと待った。先生は言ったことをたがえたりしない。
案の定、ちゃんと連絡が来て、ようやく会いに行けることになった。入学式まであと数日のところだった。
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