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第6話
朝、といっても昼にほど近い時間の、春の優しい陽射しがリビングに差しこむ部屋のダイニングテーブルで、先生と向かい合って座っていた。
僕らの間には形の違うマグが二つ、トーストの乗った皿が二枚置かれていて、その向こうで先生が大あくびしている。この光景を幸せ以外のどんな言葉で表せばいいっていうのだろう。
「朝っぱらから気色悪い顔してんじゃねえよ」
嬉しさを隠し切れない僕の顔を、先生は眠そうな目で見た。
「先生さ、なんか口の悪さに拍車がかかってない?」
「そうか? こんなもんだぜ」
「なんか、僕んちに来てたときとはちょっと雰囲気違う」
僕の家庭教師をしているときはもっと、大人って感じだった。今は、というか昨日からずっと、先生は以前よりも子どもっぽく見える。
「まあ、おまえもう生徒じゃねえしな」
「ふうん」
生徒じゃなかったら、僕は先生にとって何なのだろう。確かめてみたかったけれど、訊いてもきっと先生は答えてくれないに違いない。
「ねえ、先生。次、いつ会える?」
トーストをかじりながら僕は訊いた。それはとても重要なことで、どうしても確認しておきたいことの一つだった。
「……いつって、別にいつでもいいよ」
面倒くさそうに言って、先生は手にしたマグを口元に持ってゆく。先生のコーヒーはブラックで、僕のコーヒーは牛乳入りだった。本当は砂糖も入れてほしいところだったけど、さすがに子どもっぽいから言うのはよした。僕もなるべく早くブラックが飲めるようになりたいものだと思う。
先生が、マグに口をつけてコーヒーを飲む。その唇は、ゆうべ散々キスを交わした唇で、これからもいつだってその唇にキスしていいと思うと嬉しくてにやけが止まらない。
「気色悪いっつってんだよ」
「じゃあおれ、またすぐ来るね」
「すぐっておまえ、入学したらすぐに実力テストとかあるんじゃねえの。勉強だってしねえとついてけねえぞ」
「え。マジで? 大丈夫かなあ。あ、先生勉強教えてよ。ちょうどいいや」
「やだよ。もう家庭教師じゃねえし」
「え、冷たい」
「教えてほしかったら金払え」
「えー。恋人特典ないの」
思わず、言ってみた。先生の顔をそっと窺い見る。だって、そういうことだろう。僕と先生は、もう。
一瞬、眉をぴくりと動かした先生は、マグを置いてイスの上に片膝を立てた。
「特典なんかあるかよ。ばーか」
「えー」
不服そうに抗議してみたけれど、僕は天まで舞い上がりそうな心地だった。
だって先生は、否定しなかった。恋人っていう言葉を。
いいんだ、恋人で。それを先生はちゃんと、認めてくれたってことだ。
「先生、俺のこと好き?」
「知るか」
「俺、先生のこと好きだよ」
「知ってる」
「好き」
「わかったっつの。いいから早く食え。買い物行くんだろ」
「うん」
立てた片膝の上に片肘をついた行儀の悪い姿勢で、先生はトーストをかじった。ちょっと伸びすぎた前髪の隙間から、僕の好きなすらりとした双眸が覗いている。わずかにうつむいて、無防備にどこかへ視線を向けている。
冷たそうに見られがちだけど、本当はすごく優しいこの人を、もうどうしようもなく好きだと思う。もう絶対に離したくないと思う。
もう、今から足りない。
もっとずっと先生を見ていたい。
僕の知らない先生を、もっともっと見たい。
そして、それは夢でも希望でもなんでもなくて、この先叶えられる願いなのだ。
春の浮かれた空気の中で、僕はこの幸福に酔いしれている。
ー 了 ー
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