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そうして俺たちは手をつないだまま、当座の目的地である大型ショッピングモールにたどり着いた。
二人で自動開閉のドアをくぐり抜け、綺麗な明るいひろい店内に入る。今日は週末でも祝日でもないからか、また昼下がりという時間帯もあるだろうか、このショッピングモール内はさほどに人はおらず空 いていた。一人でスタスタと歩いているカジュアルな服装の人や、未就学児の手を引いて気遣わしげに歩いている母親、はたまた俺たちのように二人身を寄せあってのんびりと歩いている男女のカップルなど、遠近ぽつぽつと人が見うけられるくらいのものである。
俺はちょっと安心した。たとえ俺と手をつないでいても、これくらいの人の数なら多少なりユンファさんも気楽なはずだ。――なおこのショッピングモール内は広いわりに、きちんとちょうどよい空調が効いている。初秋はなかなかに温度調節がむずかしい季節ではあるが、日差しのしたたかな今日の今にかけられているのは暖房ではなく、やや涼しいくらいの冷房である。またほんのりと瀟洒 な香水のような香りもただよっている。
――さて俺は歩きながら、ユンファさんと手をつないでいない右手の、その手首に巻きつけた銀の腕時計で現在時刻を確認した。
……まだ上映時間まではそれなりに時間がある。
とここで、俺の隣でこの腕時計をチラと見たらしいユンファさんが、俺にこうした嫌味を言ってきた。
「随分いい腕時計を着けているじゃないか。…それだけを見れば、どうもデート代をケチるような男とは思えないな…、なあソンジュ…?」
「……ふ、……」
思わず鼻で笑った俺は、腕時計から目を上げながら隣のユンファさんにかるく振り向き、彼のその皮肉っぽく細められた切れ長の目を見て微笑む。
「……俺だって別に、デート代を出し惜しみしているわけではないんです。…まあ今はとてもじゃないが信じられないでしょうけれど……俺のこれが真実であるということは、じきに貴方にもわかりますよ。」
するとユンファさんは「へえ…どうだかな…」と疑わしげな目つきをして言ってから、ふいっとそっぽを向いた。――俺は愛する美男子の、その逸れた美しい白い首筋から浮きでた鎖骨をなんとなし眺めながら、機嫌取りの甘い声でこう言う。
「…きっとご不満でしょうね。けれども、今日だけは俺の“節約”に付き合ってくださいませんか…?」
「減 点 されてもいいならいいよ。」
と彼がそっぽを向いたままそっけなく言う。
「……ふふ…それでも構いません。俺にはたとえマイナス100点からでも巻き返せる自信がありますから。……」
……さて、俺はこのあとまずユンファさんと喫煙室に行った。…これより行く場所では一時間ほど拘束されるためである。――
×××
そうして二人でタバコを吸ったあとは、このショッピングモール内にある更なる目的地へと、俺たちはまた手をつないで向かった。…なお喫煙室を出てすぐに俺がさりげなくユンファさんの手を取っても、彼はもう文句はもとより何も言わなかった。諦めたのか何なのか、彼は自然とまとわりつく俺の手指を受け入れてくれたのである。
ただユンファさんはこのショッピングモール内を俺とならび歩きながらも、軒を連ねる店々に――隣の俺とは真反対の横に――その顔を向け、その店頭に華々しくならべられている商品たちを眺めているようだった。(なかば俺が強いたとはいえ)デートだというのに俺のほうを見てくれないどころか、これでは彼のその美しい横顔さえ俺からは見えない。
「……何か気になるものでもありましたか? そうなら戻っても構いませんよ。買ってあげますから」
と俺が――まあともかく、何か欲しいものがあるようなら買ってあげようかと――声をかけるも、しかしユンファさんはすぐさま「いや…」と無気力なひと言でそれを否定した。ここで俺はちょっと彼のことをからかいたくなる。
「…そう。…だけれど、あとで改めてゆっくり回りましょうね。…だってユンファさんは、何でも買ってくれる“リッチな男”じゃないと恋愛対象にはならないんでしょう? ――勿論貴方の彼氏にしてもらえるのなら、俺は破産したって何だって好きなものを好きなだけ貴方に買ってあげますよ、…ええ喜んで。」
これは先ほどの仕返しのつもりだったので、俺は我ながらちょっと意地悪な言い方をした自覚がある。もちろんこの美男子の彼氏にしてもらえるのならどれほど貢いだって何らやぶさかではない、俺のその言葉には何ら嘘がなかったが、それにしても少々皮肉めいた調子でそう言ったのである。
といってもこれくらいの皮肉は俺たちにとっては何らいつものことで、たとえば親愛の証にお互いの首もとを甘噛みしあう狼のように、皮肉を言いあうというのも俺たちのちょっとしたじゃれあいに過ぎなかった。……そしていつもならばこうしたとき、ユンファさんは目には目を、というように皮肉には皮肉で返してくるか、俺のことを煽ってくるか、はたまた文句を垂れるか…――なのだが、
「……うん…。……」
とめずらしくユンファさんはまた無気力に、低く鼻を鳴らすように返事をするだけだったのである。
「……、…」
俺は彼のその意外な大人しさに少し驚いた反面、(我ながら小心者だが)もしや彼を傷つけてしまったか、デリカシーのないことを言ってしまったのではないかと、不安な罪悪感と後悔の念を覚えた。
「…………」
「…………」
それも彼は終始俺から顔をそむけたまま――店のほうへ顔を向けたまま――であるので、「うん」と返事をしたそのときの彼の表情が一体どんなものだったのか、ひいては悲しかったのか、ムカついたのか、はたまた、単に店のほうに気を取られていて心ここにあらずなだけだったのか、俺は彼の表情に多少なりあらわれていたことだろうそのヒントさえも得られていない。
「ユンファさん…?」
と俺が不安げに呼びかけても、彼はまた「うん…」とだけ答えてこちらを見てくれない。
「……、こっちを向いて…?」
「…………」
……もはや返事さえしなくなったユンファさんは、やはり頑なに俺のほうに振り返らない。…しびれを切らした俺はいよいよそっと頭をかたむけ、彼の顔をのぞき込んでみた。
……しかしその人の横顔を見たなり、
「……、…――。」
すぐに俺はまた頭を戻して前を見た。
見なかったことにしてあげよう。
――ユンファさんは店や商品などを見ていなかった。いや、おおよそ何も見てはいなかったのだ。彼はその長い黒いまつ毛を伏せていたのである。
そして頬をあわい薄桃色に染め、――ほのかに、はにかんだように微笑していた。
「……、…」
あぁ可愛すぎる、と俺は愛しいあまりに困り笑顔となった。が……しかし名残惜しいことに、ここで俺たちがたどり着くべき場所――「プラネタリウム館」に着いてしまったのである。――
ユンファさんと手をつないでいる俺の足が自然、目指していた目的地であるプラネタリウム館に吸いよせられてゆくと、さすがの彼もその方向に顔を向けた。
ドアなどのないひらけた門構えは、まるでこうしたショッピングモールに入っている映画館のようである。――出入り口頭上にある看板は、夜空を表現している濃い紫や濃紺や黒がなめらかにまざりあった背景にうかぶ、白や赤の星を模した無数の微細な穴のような電球がとり囲むなか、大きい白いネオンで『プラネタリウム COSMOS』との館名が輝いている。
また店の前、向かって左端には現在上映中の作品のおおきい立て看板が置かれている。ちなみにその立て看板の真隣にある店は、このプラネタリウム館と系列店のカフェである。
そして出入り口からほど近い正面には広いチケット売り場が、そこまでの道の左右にはみやげ物が陳列されたラックが置かれている。館内は薄暗い。
……俺の足が迷いなくその薄暗い館内へ歩を進めてゆくさなか、手をつないだまま俺に着いてきてくれてはいるものの、ユンファさんが「プラネタリウム…?」とややいぶかしげに言う。
「…星なんか見て何が楽しいんだ…? 数え切れないほどの埃 みたいな光がただキラキラしているだけじゃないか。」
「……ふ、……」
俺は思わずちょっと吹き出した。
ユンファさんがあんまりにも俺の予想通りの反応をしたからである。――そもそも俺が彼に目的地を伝えなかった理由というのはこ れ だ。どうせ彼はこうして(プラネタリウムのみならず)俺がどこを提案しても「興味ない」だとか何だとか言うことだろう、すると結局は一向に話が前に進まない(デートする場所が決まらない)なんてことにもなりかねない。
しかしせっかくのデートである。それも記念すべき愛する美男子との初めてのデートである。俺はそのようなグダグダと締まりのない残念なことにはならないようにと、彼に目的地がこのプラネタリウム館であるということを伝えないまま此処まで来たのだった。
「何笑ってんの」
とユンファさんが吹き出した俺に指摘してくる。
「…ふふ、いいえ別に…。……」
俺は今かえって楽しい気分だった。
……が、まあユンファさんのこの態度にいい気がしない人も多いことだろうとは思う。「何が楽しいの(面白くなさそう)」だなんてセリフは、デートにおける禁忌といえばそうだからである。
しかし俺は彼のそういった人に媚びないところも好きだし、何より、その反応が予想通りであってなおここに連れてきている以上、まさか彼の口から「わぁ面白そう、楽しそうだね」なんて可愛いセリフが聞けるなどとはつゆほども期待していなかった。
さて俺たちはチケット売り場のカウンター前までやってきた。「いらっしゃいませ」と俺たちを笑顔で出迎えてくれたこのスタッフの若い女性は、白いカッターシャツの上に黒いベスト、首もとには紫のスカーフをリボンのように着けている。大学生くらいだろうか。彼女の上向きにカールした細い黒いまつ毛は、その一重まぶたの下の溌溂 とかがやく茶色い瞳をより大きくつぶらな目と見せており、またそのほんのりと薄桃のチークが塗られた白い頬はややふっくらとしている。
……ゲイの俺がいうのもなんだが、クールビューティーというよりかは「可愛い」というにふさわしい人である。
ユンファさんが会計の気配をさっしてか繋いでいた俺の手を離す。俺はチラと彼を横目にうかがってから――彼はやや不機嫌そうな顔をして、カウンター横に置かれた立て看板のポスターを見ている――、再度受付の女性へ目をやって微笑む。
「…直近の“満月と共にお眠り”、プレミアムカップルシートでお願いします。」
すると女性は俺に笑顔を返しながら「かしこまりました。空きのほう確認いたしますので、少々お待ちください」と言ってカウンター上の、彼女から見て右側にあるモニターへと目を下げる。彼女はそのモニターに指をふれて、何かしら操作をしている。……
……そうして無事にチケットを購入できた俺は、受け付けの女性からチケットを受けとり、入場時の諸注意などの説明を受け終えた――そのあと、「あぁそれと」とにこやかに彼女に切り出した。
「はい?」
「…あ れ やらせてください。」
と俺はチラリ――ユンファさんが睨みつけていたポスターに目をやった。すると受付の女性が「あっはい、かしこまりました」と明るい声で応じてくれる。
――ところが、
「っあ゛? 君何言って、…正気か?」
とユンファさんは俺を脅すような低い声をだすのである。しかし俺はニヤリとしつつも、ポスターを見つめたままこう返す。
「……何? これが俺の言っていた“節 約 ”ですけれど…――。」
そのポスターには――無数の星々がきらめく夜空のなか、蜜がけになった三日月に座って寄り添いあう男女の横顔が、微笑みながら目をつむってキスをしているイラストが描 かれている。そのイラストの上には大きな白い明朝体で『期間限定 “蜜月のくちづけ” キャンペーン』と書かれ、さらにそのタイトル下には中程度の大きさの白文字で『プラネタリウム COSMOSで 甘い蜜月のひと時をどうぞ――』
そして男女の足もとにはこのようなことが書いてある。
『 たっぷり蜜がかかったロマンチックな三日月に座って、あなたの恋人と“蜜月のくちづけ”をしませんか――?
当スタジオ内撮影ブースにて甘い“蜜月キス”をしてくださったカップルの皆さまには、おひとりにつき当キャンペーン限定記念グッズ2点と、更に「カフェ COSMOS」でご利用いただける商品券1000円分をプレゼントいたします。※記念撮影あり
(以下諸注意) 』
――俺が言っていた「節約」とはこ れ である。
無論俺は嘘は言っていない。なぜならた っ た キ ス を す る だ け で、隣のカフェで使える商品券1000円分を(いや、「おひとりにつき」とあるので要は計2000円分も)もらえるからである。
……そしてもちろんデートにはつきもののカフェ、俺たちとてプラネタリウムの鑑賞が済んだならば隣のカフェに立ち寄ることだろう。つまり、俺とユンファさんがこのプラネタリウム館の撮影ブースとやらでキスさえすれば、なんと2000円分もの「節約」になるというわけだ。
が……といってそう、俺がこのキャンペーンにユンファさんと参加したい本当のところとは、まさかその「節約」が目的というわけでもなく――単純にユンファさんとデートらしいデートがしたい、恋人らしいシチュエーションで彼とキスがしたい、……いやそれより何より一生……とにかく、た っ た そ れ だ け のことである。
まあ、それこそ交際前のデートの内はキスも駄目かななんて言っていた俺だが、……しかしあくまでも「節約」のためならば、これに関しては「例外」として許されるべきだろう。――
そして俺とユンファさんは、プラネタリウム館内の撮影ブースにやってきた。
……なおユンファさんはもちろん不満げだった。決して乗り気とはいえなかった。むしろ大反対だったといって差し支えない。――それこそ「嫌だ、僕は絶対そんなことやらないからな」と小声で言いながら俺を睨みつけてくる始末であったが、…そのように彼が俺のことをなじろうとしているあいだにも、受付の女性はもうカウンターから出て俺たちのそばまで来ていた。
そして彼女は屈託のない笑顔をうかべてこう言ったのである。
「…それでは撮影ブースまでご案内いたします。…どうぞー。……」
と案内のために歩きだした彼女は、まるで疑ってなどいなかった。――俺たちがカップルであると。
それは無理もないことである。なぜなら俺たちはここまで手をつないでやって来て、それこそカウンター前に来てやっと手を離したくらいなのだ。それも今ユンファさんの白い首筋には紅い痕がちらほらと残っている。
……すると俺たちは今誰の目にも仲むつまじい男同士のカップル、いや、ともすれば少々「恋は盲目」気味のカップルとさえ見えていたかもしれない。
要するに俺たちは、彼女の目にも「人前でキスをするくらい何とも思わなさそうな(バ)カップル」、というようにでも映ったのではないか。
「…さあ行きましょうか。……」
と俺がユンファさんの腰を抱いて歩きだすと、ユンファさんは不満げながらも結局は俺とともに歩きだした。――この展開の流れ、表面上はあたかも癒やしのせせらぎが聞こえてくる小川かのようなこの流れ、しかし、その実そのおだやかな水面下ではもはや抗うにもエネルギーを要する奔流 のようなこの展開の流れに、彼ももう諦めて身をゆだねる他ないと思ったのだろう。…ここでいま何の迷いもなく前を歩くスタッフの女性に、「やっぱりやめたい」と言い出すほうが労力を要するからである。
が、案内してくれている女性のあとにつづいて俺と歩きながらも、彼はその不機嫌そうな顔をうす赤く染めて(はにかんでいるのか怒りのせいかはわからない)、隣の俺のことをギッと睨 めつけてくる。そしてひそひそ声でこう俺のことを面罵 してくる。
「こんの馬鹿犬、…嵌 められた、なあ聞いてないよ、…」
「…え…? んふふ…俺は貴方にきちんと言いましたよ。“節約”をするってね……」
俺はこうしたりと言いながら、ああこの赤い唇に今からキスを…――とその口角の下がった肉厚な唇に目を下げている。その唇が小さくこう動く。
「…ふざけるなよソンジュ、いや、確かに“節約”するとは言っていたが、でもこんなことするとは言ってなかっ、…」
「ええ…だって聞かれませんでしたから。――聞けばよかったのに…? 勿論聞かれたら言いましたよ。ふふふ……」
さてそう歩かないうちに、早速館内の撮影ブースにたどり着いた。ユンファさんが反論をしようとその唇をひらいた矢先、
「撮影ブースはこちらになります」
と立ち止まった女性がその愛らしい白い片手でさし示したその撮影ブースは、プラネタリウムが上映される館内へ入るまでもない、このチケット売り場やみやげ物が売られているひらけた場所の一角に設けられていた。
……といっても彼女の手がさし示したそこは、外側から見れば黒いカーテンで四方をおおわれた、四角い謎の小部屋というような感じである。とはいえ人一人が通れるくらいの隙間は開いているが。
「中にどうぞー」
とスタッフの彼女にうながされた俺たちだが、俺はまずそのカーテンのなかをチラリとのぞき込んでみた。するとそのカーテンの中には、なるほどあのポスターのイラストの世界観が再現されている。
――三畳くらいのこの撮影ブースは、四方の壁(というよりか遮光カーテン)やら天井やらが濃い紫や濃紺がまざりあった夜空の色である。なおその夜空の帳 には、隅に置かれた小型プラネタリウムが投影する微細な星々が、四方八方に美しくかがやきながら極ゆっくりと回っている。
そしてもちろんこの部屋の中央に置かれているのは、琥珀 色の蜜がかかっているような黄色い三日月型の椅子だ。またこの椅子の真上、天井には撮影用の暖色のライトが取りつけられている。そのため、そのスポットライトに照らされている蜜がけの三日月の椅子だけは明るく輝いて見える。
しかしそれだけだ。
案外シンプルなつくりである。
「……ぅぁぁ゛……」
とユンファさんが何か酷いものでも見たかのように低くうめいた。どうも彼はいざとなると気後れをしているらしく、「どうぞ」と言われてもなかなかこの中に入ろうとしないので、俺はぐいっと抱いている彼の腰を押しながらその撮影ブースのなかへ進んでゆく。
「…っほ、ほんとにやるのか…?」
歩きながら、そうユンファさんが不安げな小声で俺にそう聞いてくる。俺は「勿論」と軽快に答え、まずは自分からその三日月の椅子に腰かけた。なおこれはソファのようなふかふかと柔らかいつくりというわけではなく、鉄製のベンチのようである。要するに硬い。
「……、…、…」
……しかしユンファさんは立ちすくんだまま不安げに俺を見下ろし、未だ決心がつかないようだ。
「…おいで」
と俺は彼を見上げて微笑しながら、隣をトントンと手でたたく。
……するとユンファさんはかあぁ…ともはや首から上を赤らめて目を伏せながらも、
「……、…、…」
おずおずと、この椅子の隅にしおらしく腰かけた。
……ユンファさんは小さくなりながら、真っ赤な顔を険しくしてうつむく。
しかし、彼はこれでもできる限り俺と距離を開けて座ったつもりなのだろうが、そもそもこの三日月の椅子はまずこれに座ってキスをする、という大前提がある以上、二人がけのソファとしてもかなりせまい。要は俺がこうしてちょっと距離を詰めてしまえば、簡単にキスのできる近距離となる。
「……はぁ、……」
すると真っ赤な顔でうつむいているユンファさんが小さく息をのむ。
「…ふふ……」
……可愛い。ユンファさんの心臓がドキドキとこれ以上ないくらい動悸している。緊張をしているのか、はたまた羞恥からのストレスか、…とにかく可愛い。俺までドキドキしてきてしまった。――俺は彼が自分の膝においている手の、その生白い手の甲に手のひらを重ねる。
「さあユンファ…彼氏の俺とキスをしましょうね……」
「……、…、…」
しかしユンファさんは聞こえていないのか、カタカタ震えながらただうつむいているだけである。
上からのライトに照らされてなおわかるユンファさんのその赤面の度合いはなかなかに深い。彼はその赤らんだ顔をうつむかせ、不安げな、少々泣きだしそうな顔をしている。――しかしそれでさえなお儚げ、可憐と見えてとても美しい。
スポットライトに照らされて艶めいているその伏せられた黒い長いまつ毛、頬にまで落ちているそのまつげの繊細な影、まつ毛の下で不安げに潤んで小さく揺れている紫の瞳、…ほんの少し開いているその赤い肉厚な唇をよく見れば、その唇もまるで怯えているかのようにふるふると震えている。
愛おしい…――本当に美しい人である。
「……、…」
俺は改めてユンファさんのその美貌うっとりと見とれてしまったが、
「お二人のタイミングで大丈夫でーす。お願いしまーす。」
とスタッフの彼女から声がかかる。
今は見とれていていい状況ではなかったね。
俺はユンファさんの赤らんだ頬に片手をそえる。
「……ッ、…」
と、彼は驚いたようにビクンッと肩をすくめた。俺は「大丈夫ですよ」と彼を安心させようと笑う。
「さあ目を瞑って…? 思っているよりもすぐに終わりますよ。…これはパシャリ、の一瞬のことなんですから……」
「……っ」
ここでやっとユンファさんが俺に振り向いた。そして彼は可愛すぎるほどの涙目で俺を睨んでくると、震えた小声でこう文句を垂れる。
「っこの、…ぬけぬけと、…この馬鹿犬…! そもそもこんなの詐称じゃないか、僕は本当はお前の彼氏なんかじゃないんだから、これで商品券2000分ももらったところであのお姉さんに本当のことを言ったら僕たちは詐欺罪に問われてもおかしくは…んっ…!」
「……ふふふ…、……」
俺はユンファさんの顎をつまんで上げ、さっとそのうるさい赤い唇を斜めから唇でふさいだ。俺は目をつむっている。さらにちょっとしたいたずら心で、ちゅ…とほんの軽く彼の唇を吸う。すると――めずらしく息を止めている――ユンファさんが、ぴく、とその肩をわずかに跳ねさせた。
……そうして俺たちが唇を合わせると、頃合い女性スタッフが、
「はーい、ではお写真撮りまーす。いきますね…三、二、一…――」
――パシャッ
「……はいっ、ありがとうございます、とっても素敵なお写真撮れましたーー」
と女性スタッフの声かけに、俺はゆっくりと目を開けた。――ユンファさんもまた薄目を開け、いよいよ今にも泣き出しそうな弱々しい涙目で俺を見てくる。その潤沢な紫の瞳は小刻みにゆれている。
そしてユンファさんは、すっかり威勢を失ったか細い声でこう言った。
「…ば…ばか……」
「…ははは、…すみません…」
駄目、これはちょっとあまりにも可愛すぎる。
さて――俺は「ありがとうございます」と女性スタッフのほうへ笑顔で振り向きつつ、ユンファさんの片手を取って一緒に立ち上がる。彼は立ち上がるにおいて少々よろついた。
……そして、俺はあたかもユンファさんを支えるようにしてまたその細腰を抱きながら、彼にぽそりとこう耳打ちする。
「これで俺との記念すべき初デートが、そう簡単には忘れられないものになりましたでしょう…? 今日のこと…絶対に忘れないでね……一生。」
この「節約」の一番のメリット、一番の目的とはつまりそ れ である――。
「…チッ……」
するとユンファさんは舌打ちをもって(俺への)不満を表現したが――しかし彼はこのあと、案外プラネタリウムにおいては気に入るのだった。
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