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俺たちはプラネタリウムの鑑賞後、『プラネタリウム COSMOS』に隣接しているその店の系列店『カフェ COSMOS』に足を運んだ。
……せっかく二千円ぶんも商品券をもらったんだ、だがそれもカフェで使わなきゃただの紙切れだ、それじゃあまりにももったいない。何よりこれでカフェに行って何かしらの飲食を楽しまなければ、それこそあの「恥辱のキス」に耐えたことさえドブに捨てるようなものだ――さすがに僕はそこまでのドMじゃない――と言い出したのは他でもないユンファさんである。
なお、もちろん俺は端 からそのカフェにも行くつもりであったので、彼のそれを笑いながらも快諾した。
――カフェの店内は空いている。
今日が平日であることにも増して、人々が昼食をとろうとひと際混み合う昼時を過ぎているからだろう。
またこの店の内装はカフェにしては薄暗い。
たとえるならバーのようにムーディなロマンチックな雰囲気である。主にカップルをメインの客層としているのかもしれない。…なおこのカフェは昼夜を問わず注文可能なアルコール――カクテル――もメニューにあるので、この内装の通りロマンチックなバーとしても使えるのである。
さて、まず扉がないひらけた入り口から店内に入ると、等間隔にもうけられた暖色の照明に照らされている、まるで洒落 たバーカウンターのような木製の注文カウンターがあった。
さらにそこで商品を注文をしてから中へ進むなり、黒い天井から吊り下げられたいくつもの暖色の照明のムーディな明るさ、そしてその薄暗さによく映える一面の夜空を模した壁紙――エメラルドグリーンの床近くから上へ向けて白、ピンク、紫、群青、黒とグラデーションしているトワイライトの夜空に、蓄光式塗料の月、そして金銀の星々が散りばめられている壁紙――が目に入る。
なお、その吊り下げ式の照明ひとつひとつにはゆっくりと回転しているサンキャッチャーが吊り下げられており、たとえばそれは金のエスニック風の太陽、たとえば月、たとえば星、恒星、惑星といったようなモチーフの下に、ところどころに虹がまじった水晶のようなキラキラとした輝きが美しい、おそらくは多面カットされたガラスがぶら下げられているものである。
角度によってはキーンと冴 えた光を放つそのサンキャッチャーの、そのゆっくりと回っている細かいキラキラとした光が落ちて散らばっているのは、照明とサンキャッチャーの真下にある黒茶の木製テーブルである。
店内中央にはバランスよくその円いテーブルが配置されており、角席や壁際の席においてはやや広めの真四角のテーブル、なお壁際と角席は黒いソファ席となっている。
こうしてこの『カフェ COSMOS』の店内は、たしかにプラネタリウムの系列店らしい天体や宇宙がテーマになった内装ではあるものの、男好きするようなSFチックな内装というよりかは女好き、あるいはカップル好きしそうなファンタジックかつシック、洒落た感じのロマンチックな内装である。――また店内には月並みなゆったりとしたジャズが流れている。
そして店内にはすでにカップル客が二、三いたものの、それにしても俺たちはどの席でも選べたが――俺たちは、…というかユンファさんは角席を選んだ。
というのも、注文カウンターから歩を進めてすぐに俺が「どこがいいですか」と聞くと、ユンファさんは無言でさっさとその隅の席に歩いていった。そしてそこのソファ席に座った。
ユンファさんはしゃんと背筋を伸ばして座っている。するとその白い長めの首が――数個紅い痕の浮かんでいるその首が――なお美しく映えている。そして彼に着いていっていた俺が、彼の対面のソファに腰掛ける――彼と向かい合う――なり、彼は目を伏せた無表情でボソリとこう言った。
「……おはようソンジュ」
「……ぷ、クククク……」
こうして俺は早速嫌味を言われてしまった。
――つまりユンファさんは今「おはよう」というそれだけで、俺がプラネタリウムの上映中に眠りこけていたことに対する文句を言ったのだ。
まあもちろん寝落ちしたのは事実ではあれど、俺は途中からは狸寝入りをしていたのだが。
「おはようございます、ユンファさん。」
「……、…」
俺が嫌味を物ともせず悠々と微笑んだのが気に食わないユンファさんは、俺のことをじっとりと睨みつけてきた。――しかし呆れ顔ですぐにまた目を伏せた彼は、着ている水色のパーカの腹ポケットから自分のスマートフォンを取りだし、それを見下ろしながらサイドボタンを長押しして、電源を入れている。プラネタリウムの上映に合わせてスマートフォンの電源を切っていたのである。
「……そうだ、これどうぞ。」
と俺は自分が着ているトレンチコートのポケットから、先ほどもらった記念品――「蜜月のくちづけ」キャンペーンの参加に際してもらえる記念品――を取りだし、キラキラと光のかけらが泳いでいる黒茶のテーブルの上、ユンファさんの前まですーっとすべらせた。…一つはクリアファイルのような素材の小さいフォトスタンドである(薄オレンジ色に黄色い垂れた蜜が描かれている、ポケットの中にも入る写真サイズのものだ)。そしてもう一つはキーホルダーだ。
「…………」
仏頂面のユンファさんは無言で目の前のその二つの記念品を見下ろし、袋に入ったキーホルダーを手に取った。が、フォトスタンドに関してはすーっともう片手で俺のほうへ返してきた。
「……そうですよね、嵩張 りますものね。では、帰りの際に改めてお渡しいたしますので」
こう言いながら俺は目を伏せ、そのフォトスタンドを再度自分のトレンチコートのポケットの中にしまう。
「チッ…馬鹿野郎、そういう意味じゃ……」
「失礼いたします。…お待たせいたしました、こちら“Venus のカシスオレンジティー”です。」
とここで店員の若い女性が、俺たちの注文した商品を座席まで運んできてくれた。――俺は笑顔で顔を上げ、「はい」と手を上げる。「Venusのカシスオレンジティー」は俺が頼んだものである。笑顔を返してくれた女性は俺の前に、まずは濃紺のコースター、そしてそのコースターの上にそれを置く。
「ありがとうございます」
俺はふと目の前にあるオレンジ色のドリンクを見下ろす。
この「Venusのカシスオレンジティー」――長めの円柱型のグラスの中には、たっぷりの角ばった氷が入ったオレンジジュースが満たされ、そしてそれの底からは赤みの強い濃紫のカシスシロップが上へむけてグラデーションしている。またオレンジの水面には輪切りのオレンジが立てかけられ、更にはその水面中央にあるミントと金粉が彩りを添えている。これには黒いストロー(口にする部分が白い包装紙でかくされている)が刺さっている。
ちなみに「Venus」とあるが――これに関してはギリシァ神話の女神の名ではなく――金星の意味である。
「続きまして…こちら“Mars のトマトプラムジュース”です。」
「…はい、そちらに」
と俺は対面にいるユンファさんを片手で指し示した。彼は目を下げて先ほどのキーホルダーを開封していたが、店員の女性がふたたび笑顔で、彼の前へコースターとその真っ赤なドリンクを置くと、
「……ありがとうございます」
そうしとやかに礼を言いながら、店員の女性の目を見上げてほんのりと微笑する。彼のその美しい微笑に、女性は思わず照れたように破顔した。
「……はは、はい、…続きまして、……」
「……、…――。」
……俺は彼のその様子を見て、少し思うところがあった。――
そうして俺たちが頼んだ商品が出そろった。
まずはドリンクである。俺の「Venusのカシスオレンジティー」はその名の通り、カシスシロップとオレンジジュース、紅茶を合わせたノンアルコール・カクテルだ。
そしてユンファさんが頼んだ「Marsのトマトプラムジュース」は、俺のものと同じ長い円柱型のグラスに入れられた真っ赤なドリンクだ。こちらもノンアルコール・カクテルである。その赤は濁っている。見た目はほとんどトマトジュースといった感じである。
特筆する点があるとすれば、くし切りになったブラッドオレンジが、なかばまで切り剥がされたその皮をもってグラスのふちに引っかけられており、さらに真っ赤な水面にはやはりミントと金粉が添えられている。こちらも黒いストローが刺さっている。
俺たちが注文したドリンクは以上である。
ちなみにこの二点はどちらも890円(税込)だったので、これだけでほとんど二千円分の商品券を使った格好である――どうりで二千円分もプレゼントできるわけである、要は「ドリンク一杯無料」といった感じのそれだったようだ――が、俺たちはさらに二人分程度のパーティープレートと――銀の皿に流星型のポテト、バター醤油とキャラメルのポップコーン、骨つきフライドチキン、星型のチキンナゲットがサラダと共に盛られている――、そしてユンファさんはサラダ付きのホットサンド、俺は同じくサラダ付きの黒いバンズのチーズバーガーを頼んだ。
俺たちはお互いに昼食がまだだったのである。
「美味しそうですね」
と言いながら俺は個包装されていたお手拭きを開け、それで手を拭いている。なおユンファさんも目の前のホットサンドの載った皿を見下ろしながら、お手拭きで手を拭いているのだが、若干不満そうにこういう。
「……高いけどな。やけに」
「…ははは、…カップルってなかなか良い客なんです。相手に良いところを見せようとして、デート中はちょっといいお値段でもさっとスマートに払いますし…――また料理の見た目がお洒落ですと、それだけでデートにはぴったりだ、と判断する…。それに、お洒落なフードメニューなら“ここに行きたい”と恋人におねだりするような人も少なくはないことでしょう。――更に言えば…見た目がいいとSNSなんかにもアップする人が多いですし、それによって宣伝にもなると……」
俺がこんなことを何らはばからずに滔々 と言うと、ユンファさんは目を伏せたままにふっと冷笑した。
「君、店内でよくそんなことを言えるね。…正直僕らだって、あのバカップル共と同じ穴の狢 だ。」
「…貴方こそ失礼ですよ。んふふ……」
俺たちはなかなかに嫌な奴らである。
……ユンファさんはお手拭きを丁寧にたたみ、それをホットサンドの皿の横に置くと、その白い男の両手をそっと合わせた。
「さて……いただきます。」
「……、…」
俺は手のひらに広げたお手拭きに片手の側面を置いたまま固まった。
ユンファさんはこんがりと焼けた三角のサンドイッチを一つ取ると、両手でそれをつかみ、大口でひと口それの角にかじりつく。するとザクッと剛健 な響きの音が立つ。
「……、…」
俺はいまだユンファさん、目を伏せてもぐもぐと咀嚼 している彼を眺めている。と、彼は上目で俺を見やった。
「……?」
その薄紫の瞳は淡々と『何だよ、何かおかしいか? なぜ君は食べないんだ?』と俺に問うている。
……いや、何もおかしいことはない。
「……ふふ…、……」
俺は彼のその問いに微笑で返し、お手拭きをたたんで脇に置くと、彼同様に手を合わせて「いただきます」、そして黒いハンバーガーを丁寧に両手でつかんだ。――
このハンバーガー、まあユンファさんの言うとおり少々高いのはそうだ――税込み1,800円はなかなかに強気な値段設定である――が、しかしこの印象的な黒いバンズの見た目ばかりか、味も美味しいではないか。二枚のビーフパティは肉厚でジューシー、とろけた二枚のチェダーチーズは意外にもしっかりとナチュラルチーズのクセがあり旨味が濃い、レタスとトマト、紫たまねぎも新鮮でさわやかにシャキシャキとしている。…すると値段相応、とも思えるな。
「……ところで…プラネタリウム、どうでした?」
と俺がハンバーガーを半分ほど食べすすめたあたりで尋ねると――目を伏せ、その赤い唇の端についたシーザーサラダの白いドレッシングをお手拭きで拭いていたユンファさんが、
「まあまあだった」と答える。
「まあまあですか? そう。ふふふ…、……」
俺はふとユンファさんの前にあるサンドイッチの載った皿――残すは多少のサラダとサンドイッチ一つとなっている――それの隣に置かれた、彼のスマートフォンに目を下げる。……それにしても白いドレッシングがついた彼のその赤い唇、…いや。しばらくホテルには……。
……ともかく彼のそのスマートフォンには、先ほどの「蜜月のくちづけ」の記念品としてもらったキーホルダー――琥珀色の蜜がけになった三日月の下、三本のオーロラ加工されたビーズの紐が垂れているもの――が付けられている。
「……キーホルダー、付けたのにね…? まあまあですか、そう…? 俺は正直不思議で堪 らないですよ。どうも矛盾している。」
と俺が上目遣いにユンファさんをからかうと、彼はきまり悪そうに切れ長の上まぶたを伏せたまま、その群青の瞳を横へ逸らし、仏頂面でこう言う。
「……別に…これ付けていたら、一年間は一割引になるらしいから……」
「はは、だから言っているんですよ。つまりユンファさん――このプラネタリウムに、また俺と来たいと思っ……」
「ってない。この馬鹿犬。」
しかしユンファさんは即座に俺のそれを否定した。そして彼はふん、と鼻を鳴らして、目線は横のままにこう小さい声でいう。
「…まあ…他の人とのデートでなら、何回かは来てもいいかなと思っただけだ…――でも別に、ソンジュともう一回来たいとは全然思わないね。」
そして彼は「だって」と勝ち気な目つきで俺を見やりながらニヤリとする。
「…僕とのデート中に爆睡ぶっこくような奴だし?」
「……はは…、まあ気に入ってくださったのなら何よりですよ。…」
「だから気に入ったわけじゃ、…」
とユンファさんは眉を顰 めたが、俺は笑顔のまま目を伏せる。
「…また来ましょうね――今度は眠ってしまわないように努めますので。……」
そしてまたハンバーガーを大きくひと口――やっぱり可愛いなぁユンファさん……どうしてそう素直に「面白かった」と言えないのか、まあまたそれが可愛らしいのだが、とにかくまた一緒に来よう。――
ハンバーガーを食べ終えた俺は今スマートフォンを見ている。ちなみにユンファさんもホットサンドを食べ終えており――食べ終えたときも彼は手を合わせて「ご馳走様でした」といっていた――、俺たちは今ドリンクを飲みながら、ちょいちょいパーティープレートのナゲットやポップコーンなどをスナック感覚でつまんでいる感じだ。
――チロン、…にわかに、テーブルの上に置かれている彼のスマートフォンが鳴った。俺はニヤニヤしながら対面のその人を見やる。
「……、…ん……」
とその肉厚な赤い上下の唇で黒いストローの先をゆるく挟んでいたユンファさんが、気だるげに顎と目を下げて自分のスマートフォンを取る。――そして彼はソファの背もたれに背をあずけながら、人差し指ですいすいと操作しているスマホの画面を無感情的な白んだ表情で見下ろしていたが、
「……、…、…」
……途端に険しいものとなったその顔をみるみると赤らめてゆく。――悠然 と微笑んでいる俺は朗らかな声でこう言う。
「…どうです、なかなかよく撮れていますでしょう」
「……、…、…」
するとユンファさんが横にふいっとその赤い険しい顔をそむけ、その先で「はぁー…」と重々しい神経質なため息をつく。そしてガシャ、彼はやけになって自分のスマートフォンをテーブルの上へ放り捨てると、気難しく胸の前で腕を組んだ。
この薄暗さにあわく光っているそのスマートフォンの画面には――先ほど俺たちが撮ったばかりの「例の写真」、あの「蜜月のくちづけ」の写真が映し出されている。
そうだ。
もちろんせっかくのデート中に自分のスマートフォンをばかり眺めて愛する人を放置している男、だなんていうのはまあ最低ではあるのだが――しかし俺が今このときにも、いや、いつだって夢中になっているのはそう、今俺の目の前にいるこの美男子だけ――、いま俺は先ほど撮ったばかりのその「蜜月のくちづけ」の写真を、自分のスマートフォンに保存していた。
なお余談だが、この記念写真というのは、注文すれば有料で紙の写真にプリントアウトしてもらうこともできる他、「プラネタリウム COSMOS」の公式アプリに無料会員登録をすれば無料でスマートフォン等へのダウンロードも可能になる。
……そしてせっかくなので俺は、一枚三百円のパスケースサイズの写真も三枚(所持用、保存用、ユンファさん用)注文したのだ――ちなみにプラネタリウム館を出る際、店員の彼女に言われていたとおり受付カウンターに寄ってそれを受け取ってからこのカフェにきたのだ――が、……しっかりとその写真を収めたフォトスタンドを先ほどユンファさんに渡したところ、彼には(き っ と 今 は か さ ば る た め に )受け取り拒否をされたのである。
さらに俺はデジタル写真のほうも今しがたに嬉々としてダウンロードし、そして、その記念すべき写真を今ユンファさんのスマートフォンに――メッセージアプリを経由して――送りつけたのだ。
ちなみに――その写真を見たときに俺はなるほど、あの撮影ブースの造りが比較的シンプルであったその理由とはこれか。と納得していた。
というのも――完成した俺たちの写真は、まるで一枚の絵画かイラストか、というようなあと付けの金の豪奢 な額縁 に囲われていた。
またキスをしている俺たちが座 す琥珀色の蜜がかかった三日月上部のちょうど真上には、『蜜月のくちづけ』との白い明朝体のタイトルが入っている。そのタイトルの下には『あなたと三日月の上で交わしたキスは 忘れられない甘い蜜の味がしました――。』なんてロマンチックな詩が書かれており、また写真の右下には『©プラネタリウム COSMOS』と小さく記されている。
そして肝心の俺たちの様子はというと、ユンファさんと「蜜月のくちづけ」をしている俺の横顔は――ユンファさんの顎をつまみ上げ、彼のふっくらとした赤い唇に自分のあわい朱色の唇を押しつけている俺の横顔は――、いかにも悠々としたおだやかな――しかしいくらか勝ち誇ったような――微笑を浮かべているが、…その一方で、ユンファさんのその横顔は全体がうす赤く染まり、ぎゅっと固く目をつむっているのもそうだが、彼はその端整な黒眉をひそめながらも眉尻を下げて、…端的にいえば彼のほうは「(羞恥に)耐え忍んでいる顔」をしている。
しかし、俺の黒いスラックスの両膝はきもちユンファさんのほうに傾いているのだが、意外なことに、前向きだった彼の黒いダメージジーンズの両膝も――なおやぶれたジーンズ地の隙間からはその白い骨っぽい膝がのぞいている――、わずかに俺のほうに傾いているように見える。その結果、俺の膝は彼の膝の側面あたりに押しつけられている、いうなれば彼の膝の側面が俺の膝にもたれかかってきているようなのだ。
それも――撮影中には気がつかなかったが、何ともときめくことに――このときユンファさんの生白い片手は、俺のベージュのトレンチコートの二の腕にそっとそえられていたようで、写真にはその人の青い太い静脈 が浮いた白皙 の手の甲がしっかりと写っている。
ちなみにユンファさんは緊張のあまりその身を固くしていたため、その人の肩も若干すくめられてはいるのだが――そのわりに、彼のその長めの美しい白い首筋にうかぶ数個の紅い痕は、生々しいほどにくっきりと鮮明な真紅をもって写し出されていた。
それにしても…やはりユンファさんは美しい男だ、と俺はその写真を眺めながらしみじみと思う。たとえその端整な横顔がうす赤いしかめっ面となっていようが、それであってもなお彼は美しい。もちろんわかっていたことだが、写真映りまで抜群となればいよいよその美貌は本物といえる。
何ならその美貌が恥ずかしそうに火照りながらしかめられている、ともなれば、「可愛い、愛おしい」とときめくし、あるいは「エロい、セクシーだ」とときめくばかりで、このうす赤いやや不快げな横顔もまた、それはそれでその人の美貌の魅力を引き立てているようですらある。
……ところがユンファさんはこの写真を気に入らなかったらしい。彼は俺からその赤らんだ顔をそむけたままに「絶対保存するなよ」と低い脅すような声でいう。
「嫌だ。はは、というかもう保存しました。――だからユンファさんに共有したんじゃないですか?」
「……ふーー…っ」
とユンファさんが俺を威嚇するようないら立ったため息をつき、こうぼそりと低い声で言う。
「一生の恥だ」
俺はユンファさんとの「蜜月のくちづけ」をスマートフォンのロック画面、それの背景に設定しながら、彼のそのセリフを嬉しく聞いた。
「なるほど…」
としみじみ言った俺はさらに、設定し終わった彼とのキス写真をまじまじと眺めつつ、嬉しげにやわらかい声でこう言った。
「…とすると…ユンファさんはもう、俺とのこの記念すべき初デートを一生忘れられない…いや、忘れないでいてくださる、ということですね…。あぁ俺凄く嬉しいなぁ」
「いいや、…絶対に忘れてやるからな…っ!」
「忘れたくとも忘れられない一生の恥を、ですか。…んふふ…――今日のこと…どうぞ忘れないでね。……死ぬまで…一生。」
俺はそう微笑して言いながら、自分のスマートフォンをバッグにしまいなおした。――
会計を済ませてカフェから出ると、俺の隣にいるユンファさんがめずらしく感じよく微笑んで俺にひと言「ご馳走様」と言った。――もちろん俺は会計のすべてを請け負ったのである。つまり彼のそれは何ら普遍的な礼儀の挨拶だった。
「……、…、…」
しかし――俺は目を丸くして隣の彼を見た。
するとユンファさんもやや目を丸くする。
「……? 何だよ、何か変なこと言ったか…?」
「…い、いいえ…? はは…、…――。」
実をいうと、俺は先ほどから――。
しばしばユンファさんに惚れ直している。
これはともすると彼に失礼な感情かもしれない。
ただ事実…俺は普段から無愛想で意地っ張りで高飛車、プライドの高いユンファさんが、折りにふれて「ありがとうございます」と店員に向けて微笑するだとか、食事の前には「いただきます」と丁寧に手を合わせるだとか、俺に対してでさえ奢られたなら微笑んで「ご馳走様」、……そういった礼儀正しさを持っていることが何か良い意味で意外だった。
といってもさすがに、…たとえばユンファさんが店員に対して高圧的な態度を取る人なんじゃないかだとか、俺だってそこまでのことを思っていたわけではない。
しかし――料理の前で両手を合わせて「いただきます」「ご馳走様でした」と丁寧にいう人、店員が施してくれるサービスに「ありがとうございます」と言うにしても、きちんとその店員の目を見て微笑みながらそれをいう人、というのは――今日日 なかなかに珍しいと思うのは俺だけであろうか?
また、それこそユンファさんはマナーもきちんと守る人らしかった。
彼はプラネタリウムホールに着いてすぐ、俺よりも先にパーカのポケット内に入れていた自分のスマートフォンを取り出し、それの電源を落とした。
もちろんプラネタリウムも映画館同様、スマートフォンの通知音などは他の鑑賞客の迷惑となるために、それの電源を落とすようにとのマナーがある。
そしてその注意喚起もホール内に流されてはいたが、彼はそれを聞くまでもなく即座に自ずからスマートフォンの電源を切ったのである。それはおそらく映画館同様迷惑になるだろう、と彼自身が判断したためだ。
しかしまあ、それこそ今に思えば――ユンファさんの口調にもいつも何となく(下品なことや単語は平気で言うが)上品さがあるし、彼はいつもしゃんと背筋を伸ばしてもいる。
その姿勢の良い立ち姿の凛々しさもさることながら、座っていてもなお彼の背筋はいつも凛と伸ばされているのである。…もちろんセックス中はまた別の話にはなってくるのだが。
俺はユンファさんの生まれ育ちの話など聞いたこともないが、しかし――これは我ながら上流階級家庭で生まれ育った故の俺の直感もあるだろうか――何か育ちの良さ、品のよさ、優雅さというものが彼のその立ち振る舞いの節々に感じられるような気がするのである。
これまではセックスばかりで、デートをしてみて初めて知ったような彼の一面だったが――案外ユンファさんも良いところのお坊ちゃん、だったりするのかもわからない。…まあ思えば彼はアルファ属の遺伝が濃いオメガ属の特徴を有してもいる。この国のアルファ属はそのほとんどが上流階級の者だ。
何にしても惚れ直した。ますます俺のタイプだ。
俺はユンファさんの片手の指に自らの指をからめ、するりとまた自然彼と手をつないだ。そして彼にこう笑いかけた。
「…はは…、また惚れ直してしまいました」
「……は?」
ユンファさんがいぶかしそうに俺を見て眉を寄せる。俺が「なぜ」惚れ直したかを明言しなかったからだろう。しかし俺はそのことを語らず、歩き出しながら前を向いてこう言った。
「……ふふ…、…あー、絶対にユンファさんと結婚しよう、俺…――。」
何にしても――やっぱりユンファさんと結婚したい。…まあ俺の両親は、そもそも俺が選んだ人ならば誰だって受け入れてくれるとは思うが、…しかしこの人ならば、俺の両親も即座に認めて喜んでくれそうな気がするのである。
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