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第6話

 カイトが必死の心理戦を仕掛けているところへ、優雅な歩き姿のハロルドが合流した。 「案内をありがとう。仕事に戻ってくれ」  言葉をかけられた使用人の男はあからさまに安堵して飛びすさった。カイトへ向けた厳しい視線はどこへやら、丁寧に一礼して去っていく。 「悪く思わないでくれ」  ハロルドに言われて、カイトはゆっくりと振り仰いだ。使用人の冷たい態度をいうのだろう。その筆頭であるジョージの姿は見えなかった。 「平気です。口が悪いのはお互いさまだから」  使用人の辛辣な言葉を訛りのせいにして肩をすくめる。  この国で使われている英語は、いわゆるイギリス英語だ。アメリカ英語とは発音や頻出する単語が異なる。 「きみの発音は悪くないと思うけれど」  答えたハロルドは、ウール素材のスーツを軽やかに着こなしていた。深緑色のスカーフタイが洒落ている。 (大学のときの短期留学が効いたな)  アメリカとイギリスとオーストラリアで悩み、バイトで貯めた金をすべて注ぎ込んで、もっとも高額だったイギリスを選んだ。両親は呆れていたが、結果としてはいつか役に立つと豪語したカイトの読みが当たったことになる。 「どんな人間にも、出自に合わせたアクセントの癖がある。よい意味での個性だ」  ハロルドの声は、爽やかな秋風のようになめらかだ。  育ちのよさからくる余裕が言動のすべてに滲んでいて、過酷な生活を続けてきたカイトの強張った心をなごませる。自然と安心感が生まれ、相手の立場や地位にも臆することなく話ができた。  やがて町から呼ばれた散髪屋の男がやってきて、カイトはシャツ一枚でイスに座る。  ケープが首に巻かれ、仕上がりについては、ハロルドが勝手に注文を出す。好みを聞かれることもなく、口を挟む隙もない。  散髪屋はまず長々しい祈りの言葉を唱え、大きく息を吸い込むとハサミをシャキンと鳴らして仕事を始めた。  ハロルドはその場を離れる。広大な丘をくだっていくのを眺めながら、カイトは小気味のいいハサミの音に耳を傾けた。呼び交わすような鳥のさえずりも聞こえてくる。  丘の向こうにはまた丘が続き、点在する林は黄葉していた。青い空には薄い雲が流れ、その下をのんびりとした足取りのハロルドが歩く。 (絵になるなぁ。ほんと、王子さまだ)  遠目に見てもバランスのいい体格で、スラリとした長身は細すぎず肩幅がある。腰の位置が高い分だけ足も長かった。 「はい、おしまいだ」  散髪屋のしわがれた声がして、ケープが取られる。足元ではためかせると、切られた黒髪が芝にまぎれるように舞い散った。 「……はぁ、印象が変わるもんだな」  カイトの顔を覗き込んだ散髪屋は、目を丸くしながらのけぞった。 「さすがハロルドさまの見立てだ」  そう言ってうなずき、戻ってきたハロルドに対してはうやうやしく完成を示した。  ハロルドも目を見開き、ぴたりと動きを留めたあとで微笑む。 「うん、よい仕上がりだ。きみもさっぱりしただろう、カイト」 「あぁ、はい。……首あたりが涼しくなった感じがします。また風邪をひかないといいけど」  伸びっぱなしの髪で覆われていた首元をなでながら答えると、ハロルドの手が伸びてくる。冗談だとかわす前にシャツの襟を立てられ、秋の涼しい空気にさらされていた肌が隠れた。 「看病が大変だから、気をつけてくれ」  顔を覗き込んできたハロルドがパチンと片目を閉じた。 あ然とするほど見事なウィンクだ。  カイトは小さく飛びあがってアワアワと腕を振りまわす。 「いやいや、あんた。ちょっと、落ちつきな……」  散髪屋に肩を叩かれ、笑いながらなだめられる。 「こんなに見事な黒髪をしているのに、どこでもいるような男だな。……悪いヤツじゃないって噂は聞いていたけども、さぁ」 「髪は関係ない……」  いきなりウィンクをしてきた『王子さま』が悪いのだ。自分の顔面の良さを理解しているくせに、まるで遠慮がない。  そのハロルドが口を開いた。 「黒髪の魔女は老成しているなんて、古めかしい伝承だ。……彼は魔女でも魔道士でもない」 「……だれが、そう言ったんで?」  散髪屋が腰を低くして問いかける。ハロルドは悠々と答えた。 「本人が言うのだから、間違いない。……さて、カイト。ティータイムにしよう。スコーンを焼いてもらったんだ」  微笑むハロルドに向かい、散髪屋は釈然としない複雑な表情を浮かべている。  カイトはなぜか申し訳ない気持ちになったが、かけてやれる言葉はなかった。改めて、散髪屋に礼を言ったハロルドが歩きだし、カイトもあわてて散髪屋へ礼を言う。置いていかれないように背中を追うと、ハロルドの歩調はすぐにゆるまった。  カイトが追いつくのを待って隣に並ぶ。腕先がすっと伸び、丘の向こうを示した。 「あちらには大きな湖がある。その丘の向こうには小さな湖がみっつ。どれも地下で繋がっている」  地形を簡単に説明されながら歩き、屋敷のなかへ入る。 「山はずっと向こうですか」 「そうだね。ほとんど丘陵地だ」  ハロルドの答えを聞き、今度は東西南北の予測が相違ないことを確認する。そして最後に海への距離をたずねた。 「東にずっと行けば港だ。かなりの距離がある。その前にアバロニアの首都・ケアウィンがある。そこの丘の上に建つ城からなら、海が眺められる。カイトは海が好きなのか」 「山と川と海の位置関係は、押さえておきたいんです」  そこから気象を予測できる。 「できれば、地図があるといいんだけど」 「それもメイプルストームの解明に役立つということか」  ハロルドが興味深そうに答え、立ち止まっていたふたりはふたたび歩きだす。

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