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第一章

「――ス…―――ルギス!……イルギスッ!起きろって」  ペチペチと頬を叩かれ誰かに起こされる。 一体誰だと、重い瞼を上げ小さく呻きながらだんだんと覚醒する。 「――…んん……。なんだ、レムか」  目を瞬かせ自身の顔を覗き込んでいる見知った顔を、眼鏡越しに認識したイルギスはその声の持ち主に応じる。 「なんだじゃないよ…イルギス。また『スリープモード』にしてたみたいだな」  声の持ち主――レムは呆れたような表情でイルギスのほうを見る。 鍵を掛けてはいないとはいえ、主の知らぬ間に勝手に屋敷のイルギスの寝室まで入ってくるとは如何なものか、と思考したがそれこそ今更なので何も言わずに、レムへ返答を投げかけた。 「今日の『役割(しごと)』は終わったんだ。別にいいだろう」  イルギスは『はぁ』と小さく息を吐くと、窓際近くにある深緑のソファからゆっくりと立ち上がり、近くに居るレムへ向き直り、腕を組んで無愛想に答えた。 「こんな真夜中に何の用だ」  カーテンを閉め切られた寝室の中では、間接照明だけがイルギスらを橙色に照らしている。 「そう冷たい言い方するなよ、イルギス。昔からの長い付き合いだろう」 「だから何だというのだ。レム、お前の『役割(しごと)』はどうした…?放り投げて来たのか」 「そんなわけないだろう?ちゃんと『時計塔』には“エデル”を残してきてる」  レムは手のひらを上に両手を広げ、ゆらゆらしながら得意げな顔で答えた。 「あのおっちょこちょいをか。あんなの一体残して大丈夫か?」 「大丈夫だ。簡単な仕事しかないよ。それよりも“おまえ”のことだ――」  ビシッと音が鳴りそうな勢いでレムは、イルギスの顔に刺さりそうなほど近く指差した。 「私のこと…とは?」 「俺のところに『中央管理局』から手紙が来た。おまえのところにも来ているはずだよな、この手紙と同じ内容のものが――」  レムは懐から封筒を指の間で挟み自分の目の前に翳し、それをイルギスに見えるようにひらひらと揺らす。 「………」  イルギスは言葉に詰まりふいっとレムの瞳から視線を逸らす。 明らかに手紙の内容を知っている反応をするイルギスに、レムはため息交じりに言葉を続ける。 「おまえ、またメンテナンス受けてないんだってな。前回俺が無理やり連れて行ったのが最後みたいだが…」 「……別に行かなくても問題はないだろう」 「ほう、最近ここに来るとスリープモードになっているところをよく見るが……」  レムはわざとらしく顎に手を当てて、言葉を途切れさせて、分かり切っている事実をイルギスに突き付ける。 「もしかしてバッテリーの持ちが悪くなってきてて、スリープモードにして充電してるんじゃか?」 「……」 「無言は肯定ととるが?」 「……肯定は…する。…しかし外に出る気はない」 「前回もそう言っていたよな。昔はよく外に出ていただろう。どうして外に出なくなったんだ」 「…………特に意味はない。出たくないから出ないだけだ」  何度も痛いところを突かれ、だんだんイルギスの沈黙は長くなる。 「それはメンテナンスをサボるほどのものなのか?」 「……いつも言っているだろう。メンテナンス自体が嫌いだと」 「だが、いずれ自分じゃどうにも出来なくなるぞ?」  寂しそうな表情で心配するレムに、イルギスは居たたまれなくなった。 「はぁ……わかった。行けばいいのだろう」  イルギスは大きなため息を吐き、諦めて仕方がないとどこか他人事のように了承した。 「自分のことなんだからそういう言い方するな。おまえの身体を案じているんだ。……俺はこれ以上〝プロトタイプ〟を失いたくないんだ。おまえだってそうだろう。おまえは特に俺より廃棄されるところを見ているんだ」 「…私は別に、なんとも思わない」  腕を組みながらイルギスは冷めた様子でそう告げた。 「はぁ、おまえはそういうやつだよ。イルギス……じゃあ明日また迎えに来る」 「……私だけで十分だ」  イルギスはむっとして突き返すように言葉を投げる。 「それだと反故されそうで安心できん。店には予約を入れておく、『中央管理局』は行きたくないだろう?」 「…あぁ。店は……」 「『ラテーナ』だ。朝迎えに来る。一日くらい役割を放り出しても大丈夫だろう」 「おまえはダメだろう。時間の管理なんだから」 「まぁ“エデル”にはいい経験になるだろう。一日くらい任せても、何かあれば俺が後でなんとかするし」  レムはクスクスと小さく笑いながら懐に手を入れ、中から金メッキの少し剥がれた懐中時計を取り出す。 そのまま時間を確認し、『さてと』とそれを仕舞いながら帰る準備をする。 「それじゃ、俺は帰るよ。明日、起きているんだぞ」 「……わかっている」  そんなやり取りをしながら寝室を出て、廊下を真っ直ぐ進み、玄関へと辿り着く。 「また明日な」 「あぁ」  ぶっきらぼうに返すイルギスに手をひらひらと振りレムは玄関口の扉を開く。 レムの後ろ姿が扉に隠れて見えなくなるまで、イルギスはレムを見送る。 バタンと扉が閉まる音だけが、やけに大きく屋敷内に響いた。  ――ここ『帝都エテルア』では『人間』と『機械人形(ロボットドール)』が共に暮らしている。 世界的に科学が発展し、新たに蒸気エネルギーが開発された。 街の中央区には、街のシンボルとなっている大きな時計塔、街全体にはテラスハウスが立ち並び蒸気を排出する鉄パイプが煙突と同じように建物から何本も連なって、蒸気を噴き出している。 そして50年前、ここ帝都エテルアで『人と似た機械人形』を作ることに成功した。 帝都エテルアの生活を取り仕切る中央管理局は、街の中央に鎮座しており〝人間と機械人形〟の住民と製造番号の登録・管理をしている。 機械人形に関しては開発部門でしか製造・開発を行っていない。 最初に製造された『機械人形:PROTOTYPE』、通称『プロトタイプ』は主に国の仕事を任せるため20体作られた。 最初ということもあり国が大きな予算を掛けて作り、そこから一般流通させるにあたり『機械人形:TYPE-Ⅰ』、通称『1型』からの型番は予算を大幅削減しプロトタイプよりも機能は充実していない。 ――機械人形は作られたその瞬間から一体一体に『1つの役割(しごと)』が与えられている。 それらは『その役割』に縛られ『それ』を放棄することはできない。 すべては作られた意思なのだ。  昨日の約束通りにいつもよりも三十分早く覚醒し、机の上に置かれた金の懐中時計を開き予定通りの時間が示されておりパタンと閉じる。 それを懐に仕舞い慣れた手つきで身支度を整える。 「――エデル!エデル、どこにいる?」  レムは大きく声を上げ呼びかける。 遠くから「はぁ~い」と間延びした返事をしながら近づいてくる。 「はい!おはようございます!レムさん。お呼びですか?」  ひょこっと扉から顔を出し、レムのいるところまで歩いてくる。 レムも挨拶を返し首元のネクタイを整えながら予定を告げる。 「昨日も言ったが、イルギスと『ラテーナ』へ行くから、『時計塔の番』は任せたぞ」 「了解しましたっ!」  ビシッと敬礼をしレムを見送るエデル。  ――機械人形:12型、エデル。 赤い短髪に月色の瞳、170㎝に満たない小柄な体格。 赤いネクタイを締め、襟付きのベストにハーフパンツ姿の少年のような容姿の機械人形。 お喋り好きで少しばかりドジだが何事も一生懸命に働く。 帝都エテルアの時計塔、その『管理官助手』それがエデルの役割だ。 「では行ってくる」  ひらひらと手を振るエデルを背後に扉を閉じ、レムは時計塔を後にする。  ――機械人形:PROTOTYPE、レム。 金髪にアメジスト色の瞳、背丈は180cm。 ケープ付きの濃い茶色のコートの前ボタンを外し、その中からはベストが見える服装をしている。  レムは時計塔の『管理官』が役割である。 街の中心地近くにある時計塔には大きなアナログ盤がついており、1時間ごとに大きな鐘が鳴る。 レムはこの役割が与えられて約50年が経つ。 レムにとっては長くて短いその時間を常にこの時計塔と過ごしてきた。 今からその50年来の友人とでも言うべきか…同じ型番仲間のイルギスの元へ向かう。 メンテナンス嫌いのイルギスが前回整備をしてもらったのは10年も前になる。 (まったく、奴も困ったものだ)  本来ならば早くても2、3ヶ月…せいぜい1、2年くらいでメンテナンスをしないと何時不調が出てもおかしくはない。 それはイルギスも知っているはずなのだが……イルギスも最初の頃はちゃんと2、3か月に一度はメンテナンスに行っていたというのに。 ある時期からか外にさえ出なくなってしまい、自分の役割だけを全うしている。 (理由を教えてくれもしない…俺は…何もできないようだ…)  頭の中で呟き、思考しているうちにイルギスの居場所まで到着していた。  場所はレムの時計塔から徒歩で約20分。 街の中心より少しだけ離れた場所にある、一見普通の建物に見えるそこは、 ――『機械人形処理施設』。  その名の通り、機械人形を処分する施設である。 『役割を終えた機械人形』、『壊れた機械人形』など様々な理由により運ばれてくる機械人形を処分し、『機械人形の登録名簿』からその『存在』を消す――。 この機械人形処理施設にイルギスはいる。  ――イルギスは機械人形の廃棄をする仕事…それこそが『役割』。  今の自分には到底出来そうもない役割だとレムは思った。  ――ビーッ。と呼び鈴を鳴らし出迎えを待つ。 少しすると、ガチャリと扉が開きイルギスが顔を出す。 「やはり、来たのか」 「当たり前だろうが…お前のためなんだぞ」 「うむ……」  イルギスは納得がいっていないような表情でレムを見遣る。  ――機械人形:PROTOTYPE、イルギス。 レムと似た金髪に桃色の三白眼を持つ。背丈はエデルとそう変わらない。 楕円の眼鏡を掛け左耳には赤い宝石のピアス、帽子とインバネスコートを着用している。 「しかし、どうしてメンテナンスが嫌いになったんだ」  レムは迎え入れられながらイルギスへ尋ねるも、その答えは返ってくるわけもないのは知っているのだ。 この質問は昨日もしたのだが、幾度となくしたことがある。 その度――。 「…………それは――」  長く沈黙して、口ごもる。 その辛そうで…悲しそうで…そして少し困ったような、そんな表情をするのだ。 レムは毎回その表情を見ると、どうしてもその先の言葉を催促する気は起きないのだ。 「いいよ。無理して話さなくても」  レムは優しい表情でイルギスの肩をトントンと手で撫でるようにたたく。 イルギスが悲しい顔から普通の無表情に戻ったとしても、悲しい顔をされるよりも幾分マシに思えるのだ。 この行動が正しいのか、レムにはわからなかった。 「そういえばイルギス。外に出るのは10年ぶりだろう?ここら辺の街並みも、この10年で大分変ったぞ」  レムは言いつつイルギスへ手を差し伸べる。 その手を取り、レムが出口へと促す。 「まあ、当たり前だろうな。変わらないほうが私はおかしいと思うが」  イルギスは屋敷の扉に鍵を掛けつつ応答する。 その鍵をコートのポケットに仕舞い込んで、レムのほうへ向き変え後に続く。 そのまま歩道を道なりに歩き、街の中心地に近づいてくると人だかりが見えくる。 「……人が多いな」  イルギスはボソリと呟き、瞳を細める。 「なんで――…あぁ!そういえば、あと半月ほどで7月だろう」 「だからなんだ」 「7月といえば――七夕…“星繋祭(せいけいさい)”があるだろう?」 「――あぁ……あの中央広場でやるやつか…」  ――星繋祭(せいけいさい)。 100年以上前からの行事で、1年に1度、7月に行われる帝都エテルア最大の祭り。 街の中央広場で2日間、7月6日・7日に開催される。 2日目の最終日には20時~22時まで花火が大きく打ち上り、その花火に願いをかけるという願掛けが有名である。 「俺は毎年、時計塔から特等席で花火を見てるけど…イルギス、今年こそエデルと3人で見ないか?」  レムはニコニコとしイルギスの顔を覗き込みながら尋ねる。 「……花火は、嫌いだ」  イルギスは覗き込まれたことに少し驚き、ふいっと顔を逸らして吐き捨てた。 「う~ん…そうかー…」  拒否されたことに、レムは頬を指で掻きながら困ったように眉を下げる。 イルギスと花火を見たかったレムは残念に思った。 一緒に花火を見たのは確か、45年位前…そうイルギスが外にさえ出なくなったころだ。 「まあ、いつか一緒に見ようぜ…時間はたくさんある」  夜空とは反対の青空を仰ぎレムは言う。 「中央を通ると人が多いし、ちょっと脇のほうに行くか」 「…え、裏のほうを行くのか?」  イルギスはパッと顔を上げ、尋ねてきた。 「ん?…ダメか?」  はて、とレムは首を傾げてイルギスに向き直るが少しうつむき立ち止まっていた。 「え、あ…いや。なんでもない、そのまま行こう」  イルギスは反応がやや遅れたが承諾した。 レムはどうしたのだろうと、小さく疑問に思ったが『それなら、行くか』と気にせずに歩を進めた。 イルギスも遅れないように足早にレムに並行して裏路地へと向かった。  レムと共に人ひとり居ない裏路地を抜け、階段を上り街の一段高い区画へと辿り着く。 イルギスとレムの目的地“ラテーナ”は街の小高いところに建っている。  ――“機械人形専門店『ラテーナ』”(ロボットドールショップ『ラテーナ』)。 機械人形が利用する店で、メンテナンスや修理ができる。 『中央管理局所属の機械人形』はメンテナンス料が管理局負担になっている。  『機械人形整備士免許』を持っていないと機械人形の中身を開け、整備することは法律で禁止されている。 PC接続したり、古くなったり故障したパーツを交換・修理をすることができる。 基本的に足りないパーツを中央管理局に発注し部品交換を行う。  そんなラテーナへ行くのもイルギスは10年ぶりだ。 20年前くらいからに何回かはレムに連れられたことがあるが、店主は優しく・温厚で自分たち機械人形を丁寧に扱うとよく言われていたし、自分もそう扱われた。 「――どうした、イルギス?行くぞ」  レムは振り返り足を止めて思いを馳せていたイルギスに声を掛ける。 「すまない。なんでもない」  はっとしレムの後ろへ続く。 レムはラテーナの扉を開き、イルギスを先に入れ後から自分も入る。 イルギスは店内を見渡し小さな声でつぶやいた。 「――あまり変わらないんだな」 「そりゃあ、な。だが、若干古くなってきてるかもな」  レムは小さく笑いながら店内の奥へ歩き出す。 後にはついていかず玄関でそのまま立って待つ。 「――おーい」  レムは奥のほうへ声を掛け、その奥のほうから声が返ってくる。 「なんだ、うるさい……ってレムか」  向こう側から、頭をガシガシと掻きながらこちらへ向かってくる。 イルギスはその向かってきた顔を見る、しかし彼は記憶にない顔だった。 「…誰だ?そのドール」 「レム、コイツは誰だ?」  ほぼ同時に二人はレムのほうを向き質問する。 レムは同時に聞かれ両方の顔を見て、少し言葉に詰まる。 「えっと…まず、コイツはイルギス。今日はコイツのメンテナンスが目的なんだ。んで、こっちのほうがラテーナの店主、“エイト=ラテーナ”だ」 「…エイト=ラテーナ?――“アインス”はどうした?」 「アインスって……“爺さん”なら5年前に死んだぜ」 「そうそう、エイトはアインスの孫でさ…今のラテーナの店主はエイトなんだ」  ――エイト=ラテーナ。 彼は『機械人形専門店・ラテーナ』の店主を務める青年。 人間らしい茶髪に翡翠の瞳、つなぎ姿、腰に工具ベルトを身に着け、背丈はレムより高い。 イルギスはレムより高い身長を見たことがあまりなく、近くで見ると威圧感が大きい。  イルギスの知る10年前の店主“アインス=ラテーナ”は5年前に亡くなっていたと知り、少し驚いた。 「そうか…アインスはもう亡くなっていたのか…。たしかに最後に会ったころは70歳近かったはずだし、そういうものか…」  なるほど、と納得しているイルギスをよそにレムはエイトに近づき目的を端的に伝える。 「そう、エイト。イルギスはさ、最後にメンテナンスしたのが10年前なんだよ」 「10年!?…なんだそのありえねぇ年数は……。そんなに持つもんなのか…」  あまりの年数にエイトは声を裏返らせ驚いた。 通常2,3ヶ月ごとのメンテナンスが基本の世界なのに、そんなに放置してよく正常に動いているなと感心していた。 「そんなわけでさ、イルギスのこと頼んだぜエイト!」 「…あぁ。まあ普通にやれば大丈夫だろう」 「…………」  イルギスはあまり口を出さずに、レムとエイトの話す様子を眺めていた。 「さーて、さすがに時間かかるよな。終わったら迎えに来るから電話してくれよ」 「…わかった」  レムはイルギスにそう言い、エイトに『頼んだよ』とイルギスを預けた。 レムが『また後で』と手を振り、玄関の扉を開き再度イルギスを見遣り笑顔でまた手を振る。 そして扉がゆっくりと閉まり、店内にはイルギスとエイトだけになった。 「それじゃあ、はじめに色々とチェックするか」  こっちへおいで、という風に手招きしエイトはイルギスを奥の部屋へと迎え入れる。 この部屋にしか設備がないため、機械人形をウィルスチェックやディスクチェックなどをするときは必ずここで行う。 祖父アインスの代からそれは変わらない。 「ここに横になってくれ」  後に付いてくるイルギスに整備台に寝るように促す。 (あまり喋らないんだな…レムとはよく話すようだが……。機械人形も人見知りするのか?)  エイトは心でそう思ったがべらべらと喋るレムよりも静かでやりやすいし居心地も悪くない。 「それじゃあ、スリープモードにしてくれ」 「…わかった」  イルギスは小さく返事をしそのまま瞼を閉じだ。 「さぁて…と、10年も整備してないなんて…どんな不備があるのやら」  エイトは独り言を呟きながら、イルギスへパソコンを接続し作業を開始した。  ――スリープモードにしていると、暗い暗い闇の底で身を小さくして目を閉じている…そんな感じがするのだ。 機械人形が感じる…というのはおかしなことだとは思う。 だが、確かに私はそう感じるのだ。  ――機械人形はみんなそうなのか、はたまた私がただおかしいだけなのか。 それは全くわからなかった。  でも約40年以上前はそういう風に感じることはなかったと記憶している。 やはり私の何かが変わってしまった、もしくは壊れてしまったのかもしれない。  「――終わったぞ。イルギス」  ぽんぽんと肩を叩かれ、ゆっくりと瞼を上げ身体を起こす。 「……」  目を瞬かせ焦点を合わせ、何も喋らないイルギスに不安を感じたエイトが顔を覗き込んでくる。 「おい、大丈夫か?しゃべれるか?」 「…大丈夫だ」 「よかった、失敗したかと思っただろ」  どうやらエイトはイルギスがなかなか反応しないことに失敗してしまったのかと心配していたようだ。 「悪かった」  謝罪を口にし、イルギスは整備台から降りる。 「終わったとは言ったけど、まだまだ今日だけじゃ終わんないからさ。パーツは足りないし、調整も残ってるし……明日か明後日かまた来てくれ」  スリープモードになっていたから気が付かなかったが外はもう真っ暗で夜になっていた。 「…もう日が落ちていたのか」 「あぁ、かなり時間がかかっちまった。10年もメンテナンスサボってるからだ」 「………」  イルギスは言い訳もできずに押し黙る。 「そういえば、レムに電話すんだろ?電話ならこっちだ」  エイトは気にせず思い出したように口にする。 「……悪い」  付いてこいと電話のあるほうへ移動する。 好きに使っていいぞと言われ、イルギスはレムのいる時計塔の番号を回す。 数回のコールの後にエデルが電話に出る。 『――もしもし?時計塔管理室、エデルです!』 「エデルか。イルギスだ」  エデル誰からだ、と奥のほうからレムの少し焦ったような声が聞こえてくる。 『――レムさん。イルギスさんからです!』  代わってくれと、レムの声が聞こえ持ち代えるがちゃがちゃという音を立てながらレムが電話を替わる。 『――イルギス、終わったのか?悪い、ちょっと…てか大分立て込んでて……』 「なんだ、歯車の調子でも悪いのか」 『そうなんだ。また変な音立て始めてさ~。やっぱり老朽化が進んでるからな…。そのままになんてできないから……すまん!迎えに行けそうもない!……お前だけでも帰れるか?』 「帰れるに決まっているだろう」  イルギスは少々ムッとしてぶっきらぼうに言い放つ。 『そっか、悪いな。気をつけて帰ってくれ』 「あぁ、わかった。じゃあな」  がちゃりと受話器を置き、イルギスは玄関のほうへ無言で歩いていく。 「あれ、帰るのか?レムはどうした?」  エイトは無言で玄関のほうへ向かうイルギスを呼び止め問いかける。 「レムは時計塔の修理で来られない。だから帰る」 「そうか、じゃあ…明日か明後日どっちに来られる?」 「どちらでも構わない」 「なら早いほうがいいな。明日、同じ時間に来てくれ」 「わかった。邪魔したな」  イルギスはくるりと踵を返すと玄関の扉の把手に手を掛けた。

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