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第四章
「――開けるぞ」
「はい」
エイトは真剣な面持ちでゼノシスから借りたイルギス邸のスペアキーを鍵穴に差し込み、鍵を回す。
ガチャリと大きな解錠音が聞こえ、ドアノブに手を掛け扉を開く。
エイトとエデルは中に入り辺りを見渡す。
「――イルギス。居るか?」
一応、玄関先で呼び掛けるが、やはり反応はない。
「もう少し奥に行ってみよう」
「そうですね」
エイトが先陣を切って奥に進み、近くの部屋に次々入って確かめてみる。
しかし、なかなか見つからずにだんだん焦りが込み上げてくる。
一番奥にある部屋の扉を開ける。
「――あ」
その部屋は寝室で、ベッドの上にイルギスが横たわっていた。
それを見つけた瞬間エイトは言葉に出来ず声を漏らした。
エデルも声を出せずに固まっている。
エイトとエデルはゆっくりと近づきベッドを覗き込む。
「酷い…」
エデルは口に手を当て呟く。
アレスの言っていた通りボロボロの身体で衣服も酷い有様だ。
右肩は少し衣服が破れているが損傷しているか少し分からない。
左足はふくらはぎ辺りの布地は破けそこからコードがはみ出しているのが分かる。
いつも着ているインバネスコートと帽子は床に落ち、眼鏡は枕の隣に折りたたまずに置いてある。
「とりあえず、覚醒させよう」
トントンと頬を軽く叩き、スリープモードから覚醒させようと試みる。
少ししてイルギスの瞼が開く。
「――イルギス。大丈夫か?」
「――…」
ボーッとした表情で数秒間隔があき、エイトと目が合った。
「――ッ!」
瞬間、ビクリと跳び起き右腕で支えようとした身体が傾ぐ。
傾いたイルギスの身体をエイトはサッと支える。
「大丈夫かっ!?」
「エ、エイト…?」
イルギスは意外そうに彼の名を呼んだ。
エデルも近づき複雑そうな顔で、でも少し安心した声で呟く。
「目を覚まさなかったらどうしようかと…」
「ホントだぜ…約束の時間になっても来ないし、電話を出ない、屋敷も鍵が掛かってるで……」
「そうです。ゼノシスさんにスペアキーを借りて…アレスさんはイルギスさんがボロボロだって言ってたしで…めちゃくちゃ焦りましたよ!」
「あのゼノシスが?よく貸してくれたものだ…」
自分なんかのために〝あのゼノシスを説得〟したかのか、とイルギスは感心した。
「とにかく、その肩と足をちゃんと診たほうがよさそうだ。あとそのボロボロの服も変えたほうがいい――」
「――あ、待て」
イルギスはエイトの言葉を遮り左手でエイトの襟を掴みグイッと顔と顔を近づける。
息のかかりそうな距離感でエイトは少し緊張する。
しかし掴まれていた襟はパッと離されイルギスはエデルの方を向いた。
「――エデル、すまないがレムには心配を掛けたくない…私が損傷したことは知らせなくていい。無事だと伝えてくれ…応答がなかったのは…」
どうしたものかと左手を顎に当て考える。
「そうだな、私の寝坊ということにしておいてくれないか?」
「そんなテキトーでいいんですか!?」
「レムなら大丈夫だろう」
エデルは納得できない様子でイルギスを見遣る。
「わ、わかりました…そうだ、エイトさん。鍵、返しておきますよ」
「悪い。まかせた」
エデルはハイッと元気よく鍵を受け取り返事をした。
そして、失礼しましたと小さくお辞儀をし部屋から出て行った。
「で、エデルを厄介払いした理由は?」
「……レムに心配を掛けたくないというのは本当だ、ただ――」
イルギスは視線を下に向け、自身の壊れた左足を見つめた。
「レムにだけは知らせたくない。きっと動揺する」
「壊れてるなんて知ったら誰でも動揺すると思うが…」
イルギスは言い訳を探せずにいるのか再び黙りこくる。
「とりあえず何が起きたかは後で聞くとして…壊れた場所を診るのはダメなのか?」
「そういうわけでは……わかった、好きにすればいい…」
少し躊躇ったイルギスは観念したのか、承諾した。
汚れた身体と服を綺麗にするために、タオルと服の代えの場所を聞く。
すぐそこのクローゼットに入っていると指差され、中を見るとイルギスのいつも着ているのと同じコート類が掛かっていた。
その下にはタオル類が見つけ、水が必要なのでバスルームから洗面器に水を汲んで帰ってくる。
帰ってきたエイトの顔を見たイルギスは諦めた表情で身を投げた。
「――脱がせるぞ」
「あぁ」
上着から脱がせようと手を近づけた時に気が付いた。
中のワイシャツのボタンが数個取れており破けているところもあった。
普段は襟で隠れていて気が付かなかったが、赤い宝石が嵌まったチョーカーを身に着けていた。
とりあえず汚れていた部分を水を含んだタオルで軽く拭き取る。
そのついでに右肩を診てみる。
右肩には機械人形特有の“RD00”というプロトタイプを形容する刻印が施されている。
その関節部にひび割れがある。
(関節部分に少しヒビが入っているが、そこまで手間はかからなそうだな)
少しホッとして綺麗になった身体の上から代えのワイシャツを着せる。
(次は足を診なきゃな…)
脱衣の許可を得て、ベルトに手を掛ける。
ベルトがちゃんと締まっておらず、ズボンのファスナーも開いたままだった。
気に掛かりながらもズルリと膝辺りまで下衣を下ろして気が付いた。
下着の一部に濡れた染みが見え、もしかして局部が破損して潤滑油の類が漏れ出ているのかと思い許可なく下着も一気に取り去った。
イルギスは驚き身体を小さく跳ねさせたが気にせず局部を見てみたエイトの眉間に皺が寄る。
何があったのか大体察してしまい、言葉を紡げなくなり一瞬固まってしまう。
イルギスも俯いたまま声を発さない。
「――と、とりあえず…えーっと」
エイトはぎこちなく視線を彷徨わせ口ごもる。
その間にイルギスの秘部からドロリとした白濁液が零れてきた。
「…“それ”。掻き出しても、だ…大丈夫か?」
液体が零れる場所を指差し、恐る恐るイルギスに尋ねる。
イルギスは言葉を出さないままコクリと頷く。
エイトはタオルを持ち、イルギスの両膝を立させ秘部を見えやすくする。
タオルを秘部の近くに持っていき、誰のものとも分からない白濁液を掻き出すために躊躇いもなく指を突っ込みグイッと穴を開く。
するとドロドロととめどなく溢れてくる。
指を差し込む度に、グチュグチュ――と卑猥な音を立てる。
「はっ……」
浅く息をしながらイルギスはギュッと目を閉じる。
また指を入口まで引き抜くと、ゴポッという空気の音と共に白濁が身体のラインを伝い落ち、あてがったタオルに染み込んでいく。
「――ぅぐっ」
イルギスは小さく呻き、左手を口元に当てる。ドロドロと溢れる度にビクビクと膝が跳ねる。
掻き出しても掻き出しても溢れてきて少し困惑するエイト。
「――よし」
ようやくこれ以上出てこなくなり、入れていた指を引き摺りだす。
別の綺麗なタオルでゴシゴシと手を拭き、イルギスに向き直る。
立させていた膝を下ろし、イルギスに下着を履かせ、左足の状態を診はじめた。
右肩と違い左足は配線を整えたり剝がれている部分の補修など手がかかりそうだ。
そしてズボンの代えを履かせ、コードが干渉しないように左膝上までズボンの裾を捲り上げてあげる。
「イルギス?」
反応が全くないイルギスを覗き込むがイルギスは俯いたまま顔を背けた。
瞳は前髪に隠され、口元に当てられた左手の隙間から頬を伝う光る筋が零れ落ちる。
涙が見えたエイトは、たまらずに身体が動いた。
両腕でイルギスをふわりと包み込み背中をさする。
「ごめん――嫌だったよな。ホントにごめん」
「……」
イルギスは腕の中でふるふると頭を振る。
腕の中のイルギスの身体は小さく震えている。
「おまえが…謝る必要など、ないだろう……」
「何があったかなんて聞かないよ」
「……私が悪いんだ。抵抗なんてしなければ破壊されずに…エイトの手を煩わせることもなかったのに…」
エイトは『何故そんなことを言うんだ』と呟き、イルギスの目尻に溜まる涙を指先で拭う。
そしてまた優しく背中をさする。
(やっぱり――綺麗だな)
エイトはイルギスの泣き顔を見て、初めてイルギスの涙を見た日のことを思い出す。
人間のような、まるで――生きているような。
不思議な感覚に陥るのだ。
「やはり、外になんて出るんじゃなかったな……。メンテナンスなどしなくてもいずれ終わりは来る――終わっていても良かったんだ」
吐き捨てるようにイルギスは呟く。
「俺はおまえを終わらせない」
力強くエイトが言い切る。
「俺はおまえが、大切だ。レムだって、エデルだって…みんなそう思ってるはずだ…簡単に終わるなんて言うな」
「私のせいで迷惑が掛かるくらいなら――」
「迷惑だと誰が言ったんだ?」
「……」
「誰も思っていないことを口にするな」
「……すまなかった」
抱きしめていた腕を伸ばし、イルギスの顔を覗き込みながら言い返す。
「とりあえずここでは設備がなくて直せないから、店に連れていくぞ?」
「――わかった」
エイトは枕元のイルギスの眼鏡をそっと掛けてあげた。
そして『おいで』と自分の背中に誘導する。
言われるままにイルギスはエイトの背中に背負われる。
玄関まで着くと、イルギスは耳元で鍵は気にしなくていいと言う。
ゆっくり扉を開け、バタンと足で優しめに扉を閉めた。
イルギスは背負われてエイトの店に運ばれている道中、足を直すには何日か掛かるらしくまずは肩を直すとエイトに言われる。
店の中に入ると適当なソファにイルギスは降ろされた。
「肩は関節を直せばすぐに元通りになる。足は何本か切れてるコードもあるから代えのコードを管理局に発注してからだから数日掛かる」
再び修理の内容を告げられ、『それで構わない』とイルギスは頷く。
「修理が終わるまでここに居てもらうからな?」
「…あぁ」
エイトは奥の部屋に入って行き、ガサガサと物音が聞こえたと思ったら扉が開き工具箱を持って戻ってきた。
ワイシャツを右肩が出るくらいまで脱がせるための許可を求められ、無言で頷く。
テキパキとボタンを外し右袖を脱がせる。半分だけワイシャツを着た状態になる。
人間でいうところの“関節が外れている状態”のためズレを直し、右肩の関節部の内部を開放し、そこの破損部分を確認すると必要な部品や接合部のイカレた部品を交換していく。
塗装や溶接など細かな部分は奥の設備のある部屋でやるそうで、後日に左足と今までやっていたメンテナンス含めて準備が整ったとき開始すると伝えられる。
とりあえずと内部を閉じ、ワイシャツを整える。
「ちょっと動かしてみてくれ」
「――…」
エイトに言われるままにイルギスは無言で右肩を上げ下げし手のひらをグーからパーに切り替えたりをしてみる。
別段おかしいところもなく違和感はなかった。
「問題なさそうだ」
「そうか、よかった」
そういうとエイトは安堵した表情でイルギスの右手を取り手の甲を撫でさする。
「…なんだ?」
イルギスはそのエイトの行動に疑問を投げかける。
「あ、あぁ…悪い。えっと…ちゃんと直ってて、安心して…」
エイトはしどろもどろになりながら答え、ゆっくりとイルギスの右手を肘掛けの上に優しく乗せる。
「エイト――」
イルギスは彼の名を呼び瞳を見つめる。
「……ありがとう」
少しの躊躇いの後、感謝を述べる。
「あ…――」
イルギスの感謝を聞いたエイトは小さく声を漏らし、一瞬固まる。
(――笑った)
少し困ったような表情で微笑んだイルギスの人間臭さに驚いてしまった。
「どうした?」
イルギスは急に固まってしまったエイトに問いかける。
「え…っと…。な、何でもない」
「そうか。さっきの感謝は、直してくれたことだけじゃない。私が馬鹿げたことを言ったことを叱ってくれた…そのことを一番感謝しているんだ」
イルギスは自身の右肩を摩りながら目を伏せる。
「エイトはさすがにもう、私に何があったのかは――気付いているよな?」
「あぁ…」
「私が最後にメンテナンスを受けたのが10年前と聞いたよな?」
「メンテナンスが嫌いなんだろ」
『そうだな』とイルギスは肯定し、顔を上げエイトの方を見遣る。
「“メンテナンス嫌い”というのは屋敷から出ない言い訳に過ぎないんだ」
「言い訳?」
「あぁ。誰かと一緒なら出れるんだ」
『一人では外に出たくないだけだ』とイルギスは言う。
エイトは確かに“メンテナンス嫌い”と言う割にはすんなりとメンテナンスを受け入れてくれたことを思い出した。
「過去に…45年前に同じことがあったんだ。あの時は破壊はされなかったが…」
イルギスの言う〝同じこと〟を、エイトは瞬時に察する。
「そう…だったのか…。だから一人で外に出るのを怖がっていたのか…」
「あぁ、あの時…“恐怖”という感情を…知ってしまったらしい」
少し目を細め窓の奥、遠くの景色をぼーっと見つめていたがゆっくりとエイトの方を振り向く。
「だ、何度かエイトの店に行き来しているうちに慣れてきて、私だけでも大丈夫だと思ってきたんだ……でもまた振り出しに戻ったけどな…」
はは、と乾いた笑い声を漏らす。
エイトは『笑えないだろ』と心で呟く。
「今回のこと、ちゃんと教えてくれないか?他人事にはしたくない」
イルギスは目を見開き驚いた表情でエイトを見つめる。
「綺麗な話なんかではないんだぞ。本当に知りたいのか?」
「さっきも言ったが俺はおまえが大切だ。おまえだけに苦しい思いをしてほしくない」
「物好きな奴だ」
そういうイルギスの目尻は柔らかく少し嬉しそうに微笑んだ。
イルギスはことの顛末を語るため、空気を吸った。
5年くらい前から人と関わるのが苦手になった。
機械人形専門店でドールを整備するにあたり利用客のほとんどが一般の人間だ。
レムやイルギスのように管理局所属のドールでもない限り、一般家庭のドールは基本所有者と共に店に来る。
ドールとは普通に接することができるのだ。
だが、人間は――。
「エイト?」
「あ――す、すまん」
少し心配そうな声音でイルギスが呼びかける。
エイトはひとり頭の中で自分の過去を振り返っていた。
「――私の話は終わりだ」
「三人がかりでドール一体を…」
――“だから俺は人が苦手なんだ”。
「エイト、何故君がそんなに暗い顔をする?」
「――っ」
――同じ人間なのに許せないんだ。
言葉に出来ずにつっかえる。
「同じ人間でも、エイトは優しいな」
「え…?」
エイトは思わずイルギスの方を向く。
「私の苦しみを半分貰ってくれただろう。私は“終わりの時”まで全て抱えていくつもりだったから……」
イルギスの顔を見ると今までとは違う晴れやかな表情をしていた。
「君が居れば心強いな。私は臆病だから」
「イルギス――」
――ビーッ。
エイトがイルギスの名を呼んだところで呼び鈴が鳴る。
「すまん、出てくる」
「あぁ」
エイトは邪魔されたと思いながら玄関のドアを開く。
玄関の先には申し訳なさそうな表情をし、大きい鞄を肩から下げた人物が立っていた。
「あ、すいません。新聞なんですけど…ポストに入らなくて…」
「――そうか、悪かった」
エイトは感情のこもらない声音で相手の顔も見ずにそう一言だけ告げると新聞配達員の手から新聞を受け取り、バタンと大きな音を立てて扉を閉じる。
近くのテーブルに受け取った新聞を置き、イルギスのところに戻る。
「はは、私が言えたことではないが随分と無愛想だな」
「ぐっ――人と喋るのは苦手なんだ」
「そうなのか?」
イルギスは不思議そうな表情をしたが、確かに今まで自分が知る範囲では自分やレム、エデル…ほぼ機械人形相手だったことに気付く。
「理由は…いや、喋りにくいか…」
「別に大丈夫だ」
「何かあったのか?」
「そうだな――」
イルギスの座る一人掛けソファの近くに椅子を近づけそれにエイトは座る。
そのまま腕を組み、話を始める。
「5年くらい前かな…爺さんから店を受け継いですぐくらいに、初めての客が来たんだ。爺さんからの常連客じゃないことが嬉しかったな…」
エイトはあの頃を思い出し遠い目をする。
その初めてのお客さんはドールのメンテナンスに来たのだ。
2日でメンテナンスは終了しドールの所有者の女性も喜んでくれた。
「この仕事が楽しいと思い始めたのもこの頃だ。だけど――」
その女性とドールは約一週間後に再び現れた。ドールの腕が破損していた。
理由は女性を庇ってのことらしい。
その時はドールの破損も大した事なく、女性も無事で良かったと思っていた。
しかし一週間後くらいにまた訪れた。今度は顔の右半分を破損させたドールと現れた。
右目は大破損しており、瞳の型番が古く同じ形状の瞳孔タイプがなく色をそろえることができなかった。そのせいで瞳は違和感が残る印象になってしまった。
そして、その女性とドールが訪れる頻度は上がる。毎回ドールがどこかしら破損した状態で――。
さすがにエイトもおかしいと気が付く。
女性はドールを心配するどころかエイトとしか話をしない。
初めて訪れた時はさすがにわざとではないだろうが、確かに破損状態は大体いつも人が付けられる破損が多かったし基本どうにか修理できた。
――俺に会いに来ているのか…ドールを壊してまで…?
エイトは理解に苦しみ、さらに再び訪れてきた際にこっそりとドールに聞いてみた。
『――彼女はエイトさんのことが好きだとおっしゃっていました。あなたに会うため、“少し壊れてほしい”と』
そこでエイトは、絶句した。
女性はそんなことのためにドールを破壊した、そのことに大きくショックを受けた。
『俺が直す限り、女性はドールを壊してしまう…』
エイトは頭を抱えたが、彼女にこれ以上ドールを破壊させられない。
だから今日の修理が終わったら、伝えなければならない。
『今日は、ありがとうございました』
女性はペコリと軽くお辞儀をしてお礼を述べる。
彼女がドールを壊しているとはとても思えないような柔らかな雰囲気。
そんな彼女を呼び止める。
ドールを破壊しているのか、と問い詰めた。
すると開き直り『あなたのためにいつも通っていたのに』や『ドールなんて壊しても直るじゃない』など、その発言にエイトは心を痛めた。
女性は自分の私利私欲のためにドールをわざと壊し、エイトに会うためだと言い放つ。
――そんな彼女を理解することは到底できなかった。
エイトは伏せていた瞼を開き、イルギスの目をまっすぐ見つめた。
「爺さんの影響でドールが大好きな俺には、壊すなんてこと理解できない。だから…あの時から、人とどう接したらいいか分からなくなったんだ」
「そうだったのか…」
イルギスは眉の下がったエイトの顔を眺める。
「その女性とドールはもう二度と来ることはなかったが……どっちも無事にいればいいが…」
「君は優しいんだな」
「え?」
「“どっちも”ということは、あの女性も入っているんだろう?」
エイトは自然と口に出していたがイルギスに指摘されてようやく気が付いた。
「君が気にすることじゃない。常識が通用しない人間も存在する」
イルギスは直してもらったの右腕を伸ばしエイトの手に自分の手を被せる。
彼の手の甲を撫で、軽く握り込む。
イルギスの手からは温度を感じないが、その冷たい手から自分の手の温度が冷めていく。
「まぁ、私も苦手なことは逃げてきたから…君のことは言えないが…」
「俺は人を傷つけるのは嫌だが、反抗できない相手を傷つけるのはもっと嫌だ」
イルギスに握られていた手をエイトはギュッと握り返す。
「誰にも喋ったことはなかったが…イルギスに話して楽になった、ありがとう」
エイトはそのままイルギスの顔を見ると、照れたようにニカッと笑った。
心が軽くなったエイトとイルギス。
握っていた手を気付かないうちに放し、エイトは立ち上がる。
「いつの間にかこんな時間か」
壁掛け時計を見るともう夜だ。
「修理が終わるまでウチにいてくれ。備品も2、3日後には届くはずだ」
「エイトがいいのなら。私はそれで大丈夫だ」
「じゃあ――」
「…は!?」
そういうとエイトはイルギスをふわっと横抱きにした。
イルギスは驚き反射でエイトの首の後ろに腕を回す。
「な、なんだ!?」
「スリープモードにするっていってもソファじゃアレだろ…俺のベッドを使ってくれ」
「君はどこで寝る気だ?」
「まぁ…爺さんの使ってたベッドでいいかって」
「なら私がアインスの方でいい」
「そ、そうか?」
エイトはしっかりとイルギスを抱え直し二階にある二つの部屋の奥側、エイトの亡くなった祖父“アインス”の部屋を開き、汚くないか軽く確認しそのままイルギスをベッドの端に座らせた。
「そういえば、イルギスは爺さんを知っているんだったか」
「あぁ、20年以上前からレムとメンテナンスに来ていたからな。最後に会ったのは10年前だが…」
イルギスは少し目を細め当時のことを思い返す。
「そうだったのか」
「エイトはやはりアインスに似ているな」
エイトは『そうか?』と不思議そうな顔をした。
「あぁ、容姿の雰囲気もアインスに似ているが…ドールの扱い方が似ている…エイトもアインスも、優しい」
イルギスは言いながら優しい表情になる。
「私のことを放っておかなかった君は優しいと思うぞ」
「褒めたって何もないぞ?」
イルギスは『そうか』と言い小さく笑った。
エイトは『そういえば』とイルギスに一つ尋ねた。
「爺さんと親しかったのか?」
「ん?まあ普通だと思うが…レムのほうがよく喋っていたけどな」
「20年以上前から爺さんの店に来てたんだよな?」
イルギスが外に出なくなったのは45年前だと言っていた。
「その間…20年間くらいはメンテナンスを受けてなかったのか?」
「いや、外には出ていないが“ゼノ”がメンテナンスを…」
「“ゼノ”って?」
エイトはイルギスの言葉を遮り問いかける。
「“ゼノ=クレイドール”といえば分かるんじゃないか?」
「ク、“クレイドール博士”か!?」
「そうだ」
イルギスの言った『ゼノ=クレイドール』は、あの“機械人形の設計者”だ。
帝都エテルアに住んでいて、“クレイドール博士”と聞いて知らない者はいない。
それくらい有名な偉人だ。
「プロトタイプの機械人形だったら、ゼノと関わりがないヤツなどいない」
「な、なるほど」
「ゼノは私を気にかけてくれていたな。よく揶揄われて、あまりいい気はしなかったが」
イルギスは腕を組み過去を思い返し、少しムスッとした表情をしていた。
「さあ、過去のことはもういいだろう?エイトには苦労を掛けた。疲れているだろう、もう休んだほうがいい」
イルギスはあまり詮索されたくないのか誤魔化すようにエイトに早く寝なさいと伝える。
「…わかった」
エイトはまだ聞いてみたいことがあったが仕方がないと扉へ向かい把手に手を掛けエイトの祖父の部屋を後にした。
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