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■あなたは誰?

(『冬野大空』に、『冬野美海』……。虎丸先生から聞いて字面は判明したし、同年齢の兄と下の妹って事も分かってるけど、さっぱり思い出せない。一体何者なんだ……?)  平日の真昼間に寝室でゴロゴロしながら、イブキは考えるのに没頭していた。婚約破棄してから一週間が経った今もマンションに住まわせてもらっているが、どうにも職探しに身が入らない。原因は分かっている。アイが頑なにイブキとの繋がりを話さないからだ。  二人が会わなくなって、今日はもう五日目。チハルを含めて三人で飲み会をやっていた時期ですら、隣人という垣根を越えてどこかで顔を突き合わせているような日数であったが、ゴミステーションや道中でばったりというのもなくなっている事から、あれらは偶然の遭遇ではなかった事、あるいはアイが本気でイブキと疎遠になりたがっている事が推し量れた。  イブキ自身も、流石に滞在時間が長くなってきているのが申し訳ないので、一度実家に帰ろうと、引っ越し業者と連絡を付けていた。そうなったら本当に会う機会はなくなるだろう。 (チハルともアイさんとも別れて、三人バラバラになってしまった。チハルとはもう修復出来ないけど、アイさんとこのまま会えなくなるのは寂しいな……)  イブキは寝そべりながら辺りを探って、気晴らしにと呼んでいた本の山の中から一冊を手にした。緑色の空の表紙で察する。『明日の君へ』だ。イブキは書店にて、女性だらけの中恥ずかしい思いをしながらも、有言実行していたのだ。 (サイン、結局貰いそびれちゃったな)  イブキはページをパラパラとめくり、目についた活字をさらった。 (大空と美海……アイとその妹と同じ名前って事は、大地が僕って事になるのかな。大地とイブキ……大地の息吹って事なら、まああながち間違ってはいない推理かもな)  これ、いつ頃出版されたものなのだろう? イブキは体を起こし、奥付を確認してみる。二年前……重版を考慮しても、高校を卒業してまもなくといったところだろう。ちょこっとしか書かれていない著者略歴にも、「高校卒業後にデビュー」との記載があった。 (高校卒業後にデビューとか、うらやま~――あれ? 今誰かの声が入ったな。とにかく、高校時代にアイさんとの間に何かあった可能性があるな。アイさんの真似をして、この機に詳しく調査してみるのもいいかもしれない)  それにアイ=大空という事で、にわかに心配している事もある。誰とも結婚は叶っていないが、ストーリー上で大空に待ち受けている結末は……現状確かにそうなりかけているのだが、最後に見たアイの姿を思い返すと、何だか妙にそわそわとしてくる。 (合鍵はあるけど、向こうが望まなかったら不法侵入になっちゃうしなぁ。―—よし、引っ越しついでに嗅ぎ回ってみよう)  だらけモードからやる気モードに切り替えたイブキは、引っ越しの準備に取り掛かった。大きな家具類は引っ越し業者に、持ち運び出来るものは実家に連絡し、親の車に乗せてもらって少しずつ運び出す。  実家へ戻るたびに、イブキは情報を得られそうな人に会って聞き込みをした。両親にもさりげなく話を持ち掛けて、「冬野大空」や「冬野美海」という名前にピンとこないか尋ねてみる。すると。 「『ミウ』って名前の子はいたじゃない。ほら、小学校の時にいた双子の姉妹の、ミウちゃんとミヨちゃん。中学二年生の時の担任もミウ先生だし、そのクラスにも男の子でミウ君はいたし、塾で隣の席になったって子も、あんたの友達のケンジ君が飼ってた猫も、キヨシ君の間に生まれたお嬢さんもミウって名前じゃなかった?」 「僕の人生『ミウ』だらけな件。確かにそんなに珍しい名前じゃないから、一つに絞るのは難しいか。『冬野』って名字はどう?」  床で一緒に洗濯物を畳みながら、イブキの母はうーんと唸る。風呂から上がり、酒の缶を開けている父は、顎に手をやった。 「『冬野美海』って、この町に越して来た時にイブキとよく遊んでた、女の子の事じゃないか?」 「! 何かそれっぽいぞ! 詳しく!」  ビビッときたイブキは、父に詰め寄って驚かれた。  父の情報をまとめる。イブキには小学6年生の時、当時父の努めていた工場が、もっと流通の便が行き届く場所へ移転となった都合から、現在住む町まで引っ越していた過去がある。あと一年、という中途半端な時期に転校となってしまって、不安だった矢先に仲良くしてくれた子の一人が、一つ年下の冬野美海であるという。  更にその情報の信ぴょう性を高めたのは、彼女がもう亡くなってしまっているという点だった。小学校卒業後に会えなくなって間もなく、彼女は病に倒れてしまったそうだ。 「うーん……、美海ちゃんて子には申し訳ないけど、僕自身は全然覚えてないな。転校先の子達って、みんな僕の事を珍しがってくれて、結構フレンドリーだったからさ」 「薄情な奴だな、可哀そうに」 「ていうか、小学生の頃の記憶なんてもう大分薄れちゃってるよ」 「兄の方はどうなんだ? そっちは『大空』って名前だったはずだ」 「僕より母さんと父さんの方が記憶力いい件。二人共、当分は元気にやっていけそうで何よりだよ……」  とりあえず、自分の身の周りに符合する名前の人物がいると知れたわけだ。  それからイブキは、高校時代の友人に電話で尋ねてみたり、所縁のありそうな場所を訪れる。海原高等学校だ。久しぶりに学び舎の校門前に立った時、イブキは懐かしい気持ちでいっぱいになった。記憶より少し古くなったように感じられる建物に、窓から見える日焼けしたカーテン、学校のシンボルであるアスナロ。在校生達が体育の授業をしている広々とした校庭では、体育祭なんかのイベント行事をしたなあ……なんて思いを馳せる。 (――あれ? あそこにいる人、ひょっとして松木先生じゃないか? ハァ~まだ現役だったんだな。なんか嬉しい)  当時と変わらず体育教師をやっている、松木という人物を発見してちょっと得した気分になるイブキ。そうしてハッとした。高校時代を知る先生方なら、何か情報を得られるのではないかと。イブキが高校を卒業してそこまでの年月は経っていないので、他にもまだ残っている先生はいるかもしれない。  授業中であるのは忍びないが、イブキは松木に向かって手を大きく振り、自身の存在をアピールした。

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