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ガラガラガラガラ……
「いやぁ~~何だか懐かしいですねぇ~~。初めての子育てにはりきっていた時、チハルをこういうのに乗せて散歩していたんですよぉ~。当然当時は1歳児くらいだったんですけどぉ~」
キンジロウは輝かしい思い出に浸りながら、乳母車を押して歩道を突き進んだ。一見すると派手めな服装のおばちゃんが幼児を連れ回しているような平凡な光景に――思えるわけがない。乳母車のサイズが、大人一人すっぽり収まるくらいに縦長ジャンボであるからだ。それはもはや乳母車というか、患者を運ぶストレッチャーと差し支えない。
それでも、見てくれは立派に乳母車であった。バスケットに花柄のキュートな可動式の日よけシェードがついていて、音楽プレーヤー付きモビールの他、肩こりや腰痛持ちにも優しいマットと、寝不足に苦しむ人も安心して眠れる枕とお布団を完備。更には電動自転車のようなアシスト機能がついていて、アイのような成人男性が寝そべっていても楽々移動できる。赤ちゃんプレイ勢にしっかり配慮された作りに、キンジロウは感服した。
「乗り心地はいかがですか~? 小石や砂利で多少アスファルトの上がガタガタしておりますが、痛くありませんか~?」
「――自動車はなぜ未だに座るスタイルにこだわり続けているのだろう。楽だ……非常に快適だ。雨風の対策など改善の余地はありつつも、布団の中で寝ている間に目的地に辿り着けるとは夢のようだ。我々は一度乳母車 に立ち返る必要があるのではないか……」
「アイ様ぁ~、まるでガラスの棺に眠る白雪姫のようにお美しいですよ~。ほら、道行く人もアイ様を見るなり、綺麗に捌けていきます~」
「想像してみろ、乳母車が道路を行き交う光景を……。何と前衛的な事か。仕事場の駐車場に着いては帰る。観光地に着いては帰る。通行人と衝突しても他意はないのだから無罪放免。誤ってどぶ川に落ちてもそのまま棺桶として機能する。平均睡眠時間が短いとされる日本人に相応しい乗り物ではないか……」
つっこみ不在の噛み合っていない会話を交わしつつ、二人はイブキが向かったとされるカフェチェーン店へ到着する。追っ手から逃れるために、人ごみの多い駅のホーム周辺をうろちょろして、潜伏先として飛び込んだらしいのだ。
乳母車を自転車の駐輪場に止め、シェードで全体を覆い、鍵と乳母車専用チェーンをかけてしっかり盗難防止策を講じる。そしてキンジロウは可愛いおめめがぱっちりとした赤ん坊の、アイはくしゃくしゃにぐずった赤ん坊の、目と鼻だけ開いたリアルなゴムマスクを頭に被って店に突入した。尾行に不慣れな変態と風邪でボケた変態の織り成すスペクタクルに、接客担当のベテラン店員はマニュアルが吹っ飛んで尻込みしてしまう。
赤ん坊マスクの変態どもは、一番奥の席にイブキたちの姿を認めると、アイを筆頭にずんずん進み、遠くから顔がギリギリ見える対角の席を選んで座った。顔を隠したマスクといい、スマートに手仕草での意思疎通といい、強盗でも一発やらかしそうな雰囲気である。
注文を受ける接客担当は、相当勇気を振り絞ったであろう。キッチンに隠れる同僚たちに追いやられて、おずおずと近づいてきた。
「ご……ご注文はお決まりですか?」
「田中(仮名)の血液」
「ひぃっ!?」
「あ、コーヒー二つで。一つはミルク多めでお願いします~」
強盗ではなく、血飲み子と乳飲 み子だと分かった店員は、そそくさと離れて行った。息苦しくなったキンジロウは、一旦マスクを目の上までめくりあげてターゲットの様子を窺う。イブキの向かいに座っている救世主は、彼と同世代くらいの若者のようだった。パーマの入った髪に可愛げのある人相で、椅子に掛かっているグレーのチェスターコートは、彼にはややクールすぎる気がする。二人共この場で昼食を取っていたようで、店員が食べ終えた皿を下げに来ていた。
「ふーむ……話が盛り上がっているみたいですけど、この席からだと会話内容までは聞き取れませんねぇ。どういった関係なのか知りたいところですけど、アイさんも下僕 も目立ちやすいから、これ以上近付くのは危険ですし……」
「『へえ! 中森さんもアニマルカフェ行ってたんですね! 俺もあそこの常連でして、ちょっと前に出て来たばっかりだったんですよ』、『そうだったんだ! 僕は初めて入ったけど、いろんな小動物や鳥たちと触れ合えて楽しかったよ』」
頬杖を突いたアイは、会話中の二人を見ながらぶつぶつ呟き出した。
「唇の動きで分かるんですか!? 流石ですっ!」キンジロウは音もなく拍手する。
「小説の種に使えそうだと思って、最近習得した。――『俺たち、結構気が合いますね。結婚してください! 第一印象から決めてました!』、『うっそーマジ? あのシュレッダーチャンピオンの田中に告られるなんて、これって運命 !?』」
「アテレコになってません?」
「『でもでも、僕には理解あるダーリンがいるのにぃ~ぴえん』ハァハァ『寝取られの一つや二つ許容せずして……』ハァハァ『何が理解あるダーリンですか……』ハァハァハァハァ」
「風邪が辛いんですか? それとも寝取られ展開に興奮してるんですか?」
「『中森さん好き好きー。もぉーめっちゃ好きぃー。ゾッコンラブ』」
「田中くん(仮名)トイレに行っちゃいましたよ」
精度は酷いものだが、少なくとも「アニマルカフェ」というワードが出て来た最初の会話は割と自然だったように感じらた。(断食モード中の冷静な)キンジロウの視点からしても、不倫を匂わせる妖しいムードというよりかは、旧交を温めているようにしか見えないのだが。
(服装が違うから気付かなかったけど、彼とは会社ですれ違った覚えがあるなぁ。ひょっとすると仕事関係の子かもしれない)
もはや監視も忘れてイブキをガン見するアイに対し、キンジロウは過度に心配するほどでもないと伝えた。それでも頭の中が沸騰しているアイは、ギャン泣き赤ん坊フェイスで凄んだ。
「間近で尾行していたくせに、一切の違和感も抱かなかったのか? 最初から最後まで、イブキの行動のすべてが怪しいだろうが! フラワーマーケットに寄った後、服屋、雑貨屋、家具屋、書店、ペットショップ、極めつけに宝石店だぞ! 明らかに誰か、それも大切に思っているやつ――ぽっと出の間男に贈り物をしようとしているじゃないか!」
「ええ? あの、アイ様、おそらくそれは――」
キンジロウが何か言いかけたその時、ドアベルが騒がしく鳴り響いて、不審な三人組が店内に突入してきた。
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