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0 Prolly

最初に鼻をついたのは、靴の匂いだった。 ゴムと汗、それから、どこか懐かしい土のにおい。あの夜、廃墟で転んだときに拾った泥が、靴底にまだ残っている。 カミロは、それをなぜか拭ききれないでいる。ティッシュでなぞるたびに、記憶の底をこすってしまうようで、妙な気持ちになるからだ。 スニーカーを手に取ると、手のひらに匂いが染みつく。それは、夜の街をスケートボードで滑った時間や、廃墟の空き地に寝転んで笑いあった声の温度だったりする。 ただの匂いなのに、そこには確かに「時間」が詰まっている。 カミロはこの靴を、一度も捨てたいと思ったことがない。遠くへ行きたいとも、今の生活を変えたいとも、思ったことがなかった。 ただ、目の前にある日々をちゃんと過ごして、その中で大切なものを拾ってきた。 それだけで、充分だった。 __けれど、あの夜。 テオが少しだけ遠くを見るような目をして、「行こうぜ」と言った。 冗談みたいな声だった。 でも、その奥に、何かが混じっていた気がした。 何かが変わるかもしれない。 変えられるかもしれない。 ほんの一瞬だけ、そう思ってしまった自分がいた。 カミロはスニーカーを履こうとして、やめた。手のひらに残ったのは、ただの靴の匂い。けれど、それは、自分の中に確かに積み重ねてきた時間の匂いだった。 その靴を履かない選択をした朝、カミロは、自分がどこにいるのかをはっきりと知っていた。 __それで、よかった。

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