30 / 35

第30話 シャワーは別々がいいんですか?

「失礼します……」  ホテルの部屋に入ると黒いキャリーケースがベッド際に寄せてあるのが見えた。 「先払いか」 「あっ……はい。先払いになります」 (やば。頭まわんなくてぼーっとしてた)  桜は慌ててコースを確認する。いつもの自分ならこんなに慌てることなんてないのに、と自分に対して苛立ちさえ募らせてしまいそうだ。 「本日は『初回限定・初恋胸きゅんコース120分3万円』で、オプションでバイブが5000円で合計3万5000円です」 「ああ。それで問題ない」  男は革張りの値の張りそうな黒い財布から札を抜き取ると桜に手渡した。男の骨ばった手の甲に桜の指が触れる。一瞬の接触だったが肌がすべすべとしていて触り心地がよかった、などという素人感想を桜は抱く。  よくよくと桜は目の前に立つ男の容姿を見つめてしまう。この人は何か人を惹きつける不思議な雰囲気を内包している。桜がお客様相手に個人的に興味がわくのはこの男が初めてだった。自分でも何故なのかはわからない。  年は30代前半くらいだろうか。眉毛サロンで整えているように見える少しつり眉の形のいいカーブに目がいく。身長は190センチはあるだろう。センターパートで艶のある黒髪は軽くウェーブがかけられており、襟足も少し跳ねている。海外モデルのようにスタイルがいい。スーツ越しだがしなやかな筋肉が上半身、特に胸と腕のあたりにあるのが見てとれる。顔の造りは彫刻のように彫りが深く、睫毛の影が瞳の下に落ちている。膨らみを帯びた涙袋。少し垂れ目の目尻。まるで氷の女王のように底冷えした瞳。すっと通った鼻筋と真一文字に直線を描く薄い唇。二重幅は狭く目の奥には光が見えない。 「……何か顔についているか」  男は怪訝そうに眉を細めて首を傾ける。訝しむような声音は低くて深い。疑いと呆れの色がありありと滲んでいる。 「すっ、すみません。何もついてないです……。さっそく一緒にシャワー浴びましょう」  桜はふるふると首を横に振り、トートバッグの中からイソジンを取り出す。 「シャワーは」  低い声で男が呟く。その声からは感情が読み取れない。 「はい?」 「シャワーは別々でいい」 「わかりました……」  お客様とボーイが一緒にシャワーを浴びてお風呂に入るサービスが美少年倶楽部の目玉のひとつなのだが、男はそう断りを入れてきた。深く追求せずに桜は了承する。 「イソジンでうがいだけ一緒にしましょう」  桜は男の腕をとり部屋の奥の洗面台まで誘導する。正直なところ、男の身体に気安く触れていいものかと迷った。しかしナンバーワンの桜はどのお客様にも最高のサービスを行わなければならないという自分との約束事がある。だからちまっと男の左肘の辺りを掴んで自分のほうへ引き寄せた。  男はイソジンにも抵抗なくうがいをした。まずはそのことに安堵していると、男が桜にバスタオルを寄越してきた。 「急ぎはしない」  そう無表情で言いきると男はベッドへ戻っていく。スーツのジャケットを脱いでハンガーにかける音だけが桜の耳元に届いた。 「……変わったお客様だな」  本日何度目かも覚えていない回数のシャワーにうとうとしそうになるのを必死に堪える。眠気覚ましのために、熱々のシャワーからコールドシャワーへ変える。 「ひっ」  一気に頭が覚醒してくる。桜は冷水の冷たさを感じ取り、鳥肌がたつままバスタオルを被った。全身の水滴を拭き取り、ホテルに備え付けのバスローブの帯を締める。トートバッグの中からローションとバイブを取り出して男の待つベッドへと向かった。

ともだちにシェアしよう!