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第69話 真柴の秘密

 大沼の手はとても熱くて、触れられたところが発火しそうになる。桜の反応をうかがうようにゆっくり身体に触れてくる。  目を閉じているから大沼がどんな顔をしているのかわからない。ただその手つきが桜を翻弄する。 脇腹を何度か手がいったりきたりして、くすぐったさに身体が小刻みに揺れた。  大沼の手がようやく脇腹から離れる。桜はやってくる刺激に身体をこわばらせた。 「ひっ」  大沼の指は桜も予想していなかった部分をつついた。  驚いて目を開けると、大沼は微動だにせず桜の反応を見ているようだった。大沼の指は桜の蕾を優しくつつく。  今まで誰にも触れられていないそこは何の反応も示さない。客にさえ触れさせなかったところだ。  自分も触れたことのない場所を触れられて、桜は冷や汗がでた。大沼の行動が理解できない。 蕾をくるりと指の腹で一周すると大沼は嘲笑うように言った。 「あいつは男が好きだ。相手を攻めるのが好きな男だ。お前を抱いて、熱に溺れるように悦ばせるのが睦月だ」  真柴は男が好き?  タチってことか? 「……別にどうでもいい。俺は真柴さんの抱き枕兼ハウスキーパーなだけ。プライベートに踏み込む気はない」  桜の本音だった。大沼の前では、あくまで仕事として真柴に従っているだけという印象に留めておきたかった。  でも実際は真柴は男が好きと聞いて、少し嬉しくなったのは事実だ。自分にも希望が芽生えた。  大沼の言ったことは稲妻のように桜を貫いた。言葉が出ず放心したように天井を見つめる。大沼はそれ以上桜に触れず、ソファに座り直した。  ソファの前のデスク下にあるウェットティッシュをとると丁寧に手をふきはじめる。大沼の動きが全てスローモーションに見えた。 「知らなかったって面だな」  男は再度深く息を吐ききってから電子タバコを吸い始めた。独特な匂いが桜の方まで流れてくる。 「とりあえずお前が今は売り専じゃないことはわかった。疑って悪かったな」  そう言いつつも消して悪びれている様子はない。とりあえず謝罪はしたぞ、というスタンスのようだ。 「……なん、であんたが謝るんだよ」  消え入りそうな声で聞く。 「今まであいつと一緒にいる男はホストかマッチングアプリで引っ掛けた男だったからな。気に入らなかったんだ。あいつの弱い心につけこむ奴らが」  大沼は電子タバコを口元から離し、未だ放心状態の桜に言い捨てる。 「……」 (そうか。俺以外にも、相手はいたんだ)  そう思ったら昼間にはしゃいでた熱がしゅんと静かに引いていった。まだ大沼の放った言葉を飲み込めない桜は、真柴の笑顔を頭の中に思い浮かべていた。  優しくていい人。  それが偽りの姿だなんて思いたくない。 (俺に見せてくれた笑顔は嘘だったのか?)  真柴に寄せていた信頼がすーっと薄れていくのを感じた。けれど、まだ大沼から聞いただけの話だ。本人に直接聞いたわけではない。そう思い直して今にも潰れそうな胸に大きく空気を吸い込んだ。  大沼に聞きたいことがあったからだ。桜は震える声で言葉を押し出した。 「……この前、真柴さんにまだ治ってないのかって聞いてたよな。あれはどういう意味だ?」  大沼は眉をひそめると何も喋らなくなってしまった。電子タバコを口に含みながら宙を見つめている。その視線を追いかけても、そこには何もない。桜はバスローブを直してソファに座り直した。 「お前のために一つ忠告しておく」  数分の沈黙の後、大沼が低い声で呟いた。桜の瞳をじっと見つめたまま。 「睦月は既にこの世にいない人間を、今でも愛している」  大沼は続けた。 「睦月はそいつを失った悲しみからまだ立ち直れていない。だから他の男を身代わりにして、現実から逃げている」  吐き捨てるように言った。それは大沼が真柴に対しての思いそのものだと桜は感じた。  頭の中で全てのピースが集まり、1つの答えを導き出したような気がした。  あのときのハーブの香りを思い出す。 「……『おびひと』」  ぽつり、と溢れた言葉。 「お前どうしてそれを……」  大沼は目を見開く。 (やっぱりそうだったんだ)  自分を『おびひと』と間違えたのは、真柴が今でもその人を愛しているから。 (俺は『おびひと』の身代わりだったんだ)  どうしてだろう。  謎は解けたはずなのに、胸が苦しい。  亡くなった人を今でも愛しているという真柴。桜も父親と母親のことを忘れたことはない。二人のことは今でも心の底から愛している。  けれど、桜が両親に向ける「愛」と真柴が『おびひと』に向ける「愛」はどこか違う。ただそれだけは理解できた。  もっと真柴のことを知りたいと思っていた矢先に、まさかこんな話を聞くとは思わなかった。桜の心の中は深く沈黙を貫く。 「さっそく仕事をしてもらうぞ」 「……わかった」  約束通り、大沼のモデルになる話は進んでいたようだ。約束は守らねばと心の帯を固く結び直した。 「ここに署名しろ。モデルの仕事の誓約書だ」  大沼がひらりと1枚のA4用紙をテーブルに載せた。とんとんと長い指先が紙の上をすべる。  桜は紙の横に置いてあったペンを使って、ゆっくりと名前を書く。小さくて黒い文字がびっしりとう埋まっている。読むだけで疲れそうだ。桜は飛ばし読みをしながら書類に名前を書いた。  大沼は桜が書き終えるのを確認すると紙を回収した。至極真面目に説明しはじめる。 「これは、俺専属のモデルになる上で俺と交わしてもらう約束事を書いたものだ」 (やば。全然本文読んでなかった)  桜は背中につうっと嫌な汗が流れるのを感じた。 大沼は紙をペラペラとチラつかせる。 「お前は人を疑うことを覚えたほうがいい。まあ遅いがな」  大沼はにやりと口端に笑みを浮かべた。  大沼の言うとおりだ。何も考えずに名前を書いてしまうなんて。  桜は自責の念に駆られた。ぎゅっと奥歯を噛み締める。

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