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第2話 境遇
俺の父親は、国内屈指の総合ディベロッパー、久郷土地開発株式会社の代表取締役社長、久郷宗彦 だ。
久郷土地開発は主に大規模な宅地造成やリゾート開発を手掛け、その傘下企業は二百社は下らない。
言うなれば、俺、久郷昭彦 と、兄の久郷君彦 は御曹司だ。
何百坪の広い敷地内には、池泉式の庭園やネオジャポニズムを踏襲した高名な建築家が建てた大豪邸がある。その屋敷には何部屋あるのか実際数えたことはないが、子供の頃、兄と隠れんぼをして、いつも兄を見つけられなかった記憶がある。
そこでは多くの使用人たちが雇われ、俺たち久郷家族の生活を日々支えてくれていた。
兄弟共に名門私立の一貫校に通い、中等部までは運転手が車で送り迎えをしていた。また、欲しい物があれば、お抱えデパートの外商担当者が、届けてくれる、というような暮らしをしていた。当時はそれが特別だとも思わなかった。何故なら周りも同じような生活水準の人達ばかりだったからだ。
兄とは三歳離れている。快活で聡明な兄は、俺の憧れだった。いつも、後ばかり引っ付いていたのを覚えている。そんな俺を兄は疎んじることもなく相手をしてくれた。兄と一緒だと、どんな時も心強く感じていた。
兄が初等部の最高学年の夏休みの時のことだった。学校から出された唯一の課題である自由研究に取り組んでいる時、兄は俺に話しかけてきた。
「なぁ、昭彦。父さんの部屋の前の廊下の先って、行ったことあるか?」
「えぇ?ないよ」
「あそこ、何かあると思わないか?」
「わかんないよ…そんなの」
気にしたこともない場所だった。
父親の書斎はリビングを出て真っ直ぐ長い廊下の先にあった。そして、その書斎から少し角度を変えてその先も廊下が続いている。リビングからはその廊下は見えない為、俺は兄に言われるまでなんとも思わなかった。この屋敷にはそんな場所がまだほかにもある。
「この間、ばあやに訊いたら、何もありませんよって言うんだ…でも無いわけがないんだよ。夏休みの最初の日、俺見たんだ。その場所の方に、父さんが最初に行って、少ししたら母さんも行って、で、しばらくしたら二人は戻ってきて、で次にばあやが行って…なぁ、父さんと母さんがこの家の中で同じ場所に居るところ見たことないだろ?…おかしいと思わないか?」
兄は子供ながらに解せない顔をしていた。
俺たちは家族は穏やかに暮らしているものの、世間一般の家族の暮らしからは、かなりかけ離れていた。裕福だからではなく、夫婦や親子の繋がりが稀薄だった。
父とはこの屋敷で普通に談笑したり食事をしたり、日常の触れ合いみたいなものが全くなかった。母に関しては、夕食のダイニングテーブル上で今日あったことを話す程度で、会話ではなく、報告だった。
俺たち兄弟は、ばあや、執事、家政婦、料理人、家庭教師、庭師、運転手、などなど、様々な職種の大人たちに育ててもらった。その中で、ばあやは特別だった。良い行いをすれば、目一杯褒めてくれて、悪いことをした時は、俺たちが得心するまで諭してくれた。
「じゃあ今度、お庭のおじさんに訊いてみたら」
「そうだな…昭彦、いいこと言ったな」
俺は、兄に褒められたようで嬉しかった。父の書斎は自慢の庭が一望できるように位置している。その書斎から続いている廊下であれば、庭からも分かるはずだった。
翌日、庭木の手入れをしている庭師のおじさんを見つけて早速訊いてみると、向こうには池もあって危ないから、行っちゃだめだよ、と言われ、その様子を見ていたばあやからは、庭師さんのお仕事の邪魔をしてはいけませんよ、と小言を言われた。
一度興味を持ち、それを止められると、どうしても探ってみたいのが子供心だ。俺たちは、ばあやの目を盗んでは、屋敷にいる使用人に片っ端から訊いてまわった。
最古参の料理人や家政婦はその廊下の先に行ったことがあるらしく、ただの離れで部屋があるだけですよ、と言った。
ただの部屋なら、ばあやは何故あんなにも、俺たちの進入を拒むのか…
夏休み中にそこに行くことが、俺たち兄弟に課せられたミッションとなった。
そして、ばあやとの攻防が始まった。
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