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第15話 追憶
「僕は、旦那様に色々なことを教えていただきました。この社会の成り立ちや人間の業など、知らなかったこと理解できなかったことを僕が分かるように教えてくださいました。それからの僕は…とても生きやすくなりました…旦那様にもとても感謝しています」
秀紀は遠くを見るような目をした。秀紀と父だけの大切な時間があったのだろう。
「旦那様は、その…毎日出さないといい仕事ができないんだとよく言われていて、僕でお役に立つのならとお仕えさせていただきました」
秀紀は家族よりも父を理解しているようだった。そして、父を愛してくれていたのかもしれない。父もまたそんな秀紀を愛していたのだろう。
俺は色々な愛があっていいと思った。できれば父にはこの先も秀紀への愛をずっと持ち続けてほしいと、心から願った。
「そういえば、昭彦さん…さっき車から下りられた時、辺りをキョロキョロされていましたが、何か気になることでもありましたか?」
思いを馳せていた俺は、秀紀の言葉で、この匂いの現実に戻された。
「なぁ…この匂い。男のアレの匂いと同じだと思わないか?」
「あぁ、栗の花ですよね。僕は小学校の時のプールの消毒液の匂いを思い出しますが」
匂いの感覚は、人それぞれだ。秀紀がプールの消毒液というのなら、俺もそう思うようにしよう。そうすれば、あの離れでの記憶も、そのうち消えて無くなるかもしれない。
「昭彦さん。ここに来る途中で、雰囲気のいい喫茶店を見つけたんですが、コーヒーでも飲みませんか?」
「おっ…いいね。秀紀の奢りでな」
「はい、もちろんです。ドクター昭彦への治療代も未払いですし」
俺たちは顔を見合わせて、笑った。
その時、湿った風が、また栗の花の匂いを運んできた。
終
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