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第1話

 ボーダーラインは二十五歳。  それ以降は旬が過ぎて、美味しくなくなってしまうらしい。  「だけど俺はこうして買ってあげてんだよ。わかる? この慈悲深さがさ」  「あひがろごじゃいまふ」  「おら、もっと喉締めろ」  ぐっと性器を押しつけられ、青臭さが強くなる。えずきたいのを我慢して谷河昴は先走りを唾と一緒に飲み込んだ。  頭上で罵詈雑言を浴びせながらも男は性器をおっ立てて犬のように腰を振っている。まるで発情した動物のような動きが無様で可笑しい。どうにか溜飲を下げられた。  男は素行の悪さで有名で、近隣の店からは出禁になっている。だから昴の噂を聞きつけてこんな僻地にまで流れ着いたのだろう。  昴にはNGがない。アナルを舐めるのも中出しをするのも痛めつけるのも金さえ払ってくれれば受け入れていた。  唾が雨のように降り注ぐのを耐え、男の性器を強く吸った。性器が一段と固く張りつめ、ぴくりと震えると咥内に射精された。もう数え切れないほどやってきたというのに精液を飲むのは苦手だ。  でもそこは長年培ってきた表情筋がある。満面の笑みで「ご馳走様」と言うと男は笑って昴に覆いかぶさった。  シャワーを済ませて事務所に戻ると店長だけが残っていた。昴に気がつくとぎしぎしと椅子を鳴らして振り返る。  「お疲れ。どうだった?」  「文句聞きながらしゃぶってやったら悦んでたよ」  「そりゃよかった。四番ちゃんがいて助かる」  にやっと黄ばんだ歯を剝きだす店長からはヤニの匂いがして吐き気がした。  四番は昴の源氏名だ。  訳アリ客は全部昴に回せばいいと思っているのだろう。若さで他のスタッフに勝てない分、オプションでどうにか売上を維持していた。  「四番ちゃんはいつまでこの仕事するつもりなの?」  「これ以外の仕事をしたことがないんだよ」  「でももう二十五なら足元しっかり見た方がいいんじゃない」  「わかってる」  こんな店の店長をやっているくせに正論を振りかざす男に嫌気が差した。何度か寝たことがあるだけで彼氏面かよ。  だが昴にとって金を稼ぐと言えば身体を売ることとイコールだ。コンビニ店員やサラリーマンをやっている自分なんてピンとこない。  ちんこをしゃぶり、男の下であんあん喘いでいる方がしっくりくる。  店長は椅子の背もたれに身体を預けながら指を弄んだ。あぁこれは嫌な流れだと無意識に息を詰める。  「それにうちも若い子たち増えてきたし。だから、ね」  「お役御免ってことか」  「そりゃもう四番ちゃんには吉原の花魁並みに稼いでくれてたから感謝してるよ。もちろんたくさん色もつける」  野菜や魚に旬があるようにウリにも時期というものがある。自分はもう売り場に置いてもらえないくらい干からびているのだろう。いくらNGなしを謡っていても限度があるのだ。  「わかった」  「いままでありがとね」  安っぽい茶封筒に似合わないほど厚みのある札束を鞄に突っ込み、店を出た。  一歩外に出るとむっとする熱気にあてられて汗が噴き出してくる。 見慣れたネオン街は目がチカチカするほどの電飾で着飾り、我こそが一番だと主張し合っている。  喧騒も歩く人波の多さにも見慣れて随分経つ。  ガラスに映る自分の顔をじっと見る。鴉のように黒い髪と切れ長の目は冷たい印象を与えるらしい。ピアスも両耳で十個は開いているのでガラの悪さが加わってしまう。  癒しを求める水商売では受け入れられない容姿だ。でもこういう恰好が好きだから変えないまま今日まできた。  十八歳でこの世界に飛び込み、それから七年間働いてきた。感慨深い思い出もなく、感傷に浸るほど繊細な性格でもない。  繁華街を抜けるとまだ宵の口ということもあり人通りが多かった。キャッチに引っかかるサラリーマンやホストを連れて歩く女などこの世の端くれ者を練ってこねて作ったような道を歩いていると小さな人だかりが視界の端に映った。  「せーの、みなさんこんばんは! ホットスプラッシュです!」  まるで自分にだけ向けられたような声に振り返る。繁華街を抜けた駅前広場に三人の若い男たちが両手を振っていた。  揃いの白い軍服のような衣装を着ているから地下アイドルだろう。  この広場はシンガーソングライタ―やバンドが路上ライブをすることで有名な場所だ。  吸い寄せられるように人だかりに近づいた。  センターの男は目がくりっと大きく両性的な顔をしている。左端の男は一番背が高く野性味溢れる男らしさがあった。  だが特に視線が釘付けにされたのは右端の男だ。背が高く、小づくりな頭と長い手足でスタイルがいい。ヘーゼルナッツ色の髪が星屑を散りばめたように輝いている。きめの細かい白い肌が赤ちゃんのような純粋さを感じさせる。  まさにアイドルになるべくしてなったような容姿だ。  多くない観客を端から端まで見渡した男と目が合う。笑顔で手を振ってもらうと耳元でぱちんと音がした。  目が離せない。  センターの男が手を上げるとみんなの視線がそちらに向いた。  「では自己紹介をします。メインボーカルの爽です」  「銀太で、す」  左端の男がぶっきらぼうに手を上げた。  「葉月です。よろしくお願いします!」  目が離せない男ーー葉月の溌剌とした挨拶に犬を連想させた。元気キャラらしい。  葉月、と心のなかで繰り返し忘れないよう胸に刻んだ。  「今日が僕たちのデビュー日です。出会えたみなさんに感謝! では聴いてください『Hot summer』」  スピーカーから音楽が流れ始めると三人の表情ががらりと変わる。  ダンスは荒削りな部分は多いがメインボーカルなだけあって歌がうまい爽。  歌声は小さいがダンスの切れがある銀太。  なにより端にいても存在感のある葉月が瞳に焼きついて離れない。  瞬きをするのも惜しく、食い入るように眺めた。  音が全身に毒のように回る。  ずっと離れていた「音楽」というものに命を吹き返したように身体が熱くなってきた。  踊りだしたい衝動を抑えるために奥歯を噛むと血の味がしてくる。口の中にわずかに残った精液が上書きされていく。  あっという間に歌い終わると三人は同時にお辞儀をした。  「ありがとうございました! 持ち曲一個しかないので終わりです」  爽が笑顔で言うと周りにどっと笑いが広がる。いつのまにか広場には大勢の観客で溢れていた。  「あとマネージャー募集してます! そこにいるノボリ持っている人が社長なんで興味ある人は声かけてください」  三人はもう一度礼をお辞儀をすると人がそちらへと流れていく。  昴は迷わずノボリを持っている男に近づいた。四十代くらいで目尻に笑い皺が深く刻ませ人がよさそうな男だ。くたびれたスーツを着ていて少し不安になったが、構わず声を張り上げる。  「マネージャー希望です」  社長はこちらを一瞥すると親指を突き立てた。  「採用!」  「え、いいんですか? 職歴とか履歴書とか」  「うちは弱小事務所だから贅沢は言ってられないし。給料は低いけど大丈夫?」  「はい!」  威勢よく答えると「いいね」と社長と皺を深くさせた。こんな大きな声がまだ出るんだと自分でも驚いた。  「じゃあメンバー紹介するね。あ、その前に僕は社長の芦屋です」  芦屋が胸ポケットから名刺ケースを取り出し、一枚受け取った。  『芦屋博 社長』と書いてあり端にはコスモプロモーションという事務所の名前と住所、電話番号が印刷されていた。  確かに聞いたことはない。芦屋の言っていた通り、小さい事務所なのだろう。  「もしかしてマネージャー希望ですか?」  額に薄っすらと汗を浮かばせた葉月に声をかけられて心臓の動きが止まる。目が合うとにっこりとほほ笑んでくれ、それでどうにか蘇生できた。  「さっき目が合ったお兄さんだ」  「ライブすごくよかったです。だからマネージャーやりたくて」  「ぜひぜひ! お兄さんなら大歓迎です! ですよね、社長」  「もちろん」  葉月と芦屋は人を疑うという考えがないのだろうか。二人は邪気のない瞳でこちらを見てくるので後ろめたい。  犯罪は一度もしたことがないがウリをやっていた。限りなく黒に近いグレー寄りの人間だとは自覚している。  「そんな素性もわからない人でいいの? ちゃんと面接しなよ」  スポーツドリンクを煽りながら来たのは爽だ。ライブ中は笑顔で可愛い印象だったが、まるで別人のような怖い顔をしている。睨まれてもすごみを与えないのは背が低く、童顔なせいだろう。  これが正しい反応だよなとなぜか納得してしまう。  「別に誰でも同じだろ」  最後に来たのは銀太だ。あれだけ激しいパフォーマンスをしたにも関わらず汗一つかいていない。  「とりあえずここじゃ落ち着かないから事務所に行こうか。話はそこで聞くよ」  「はい」  ノボリやスピーカーを台車に乗せて駐車場に停めてあるワゴンに詰め込んだ。芦屋が運転席に座り、他の三人は衣装のまま後部座席に乗車し、昴は助手席に座わらせてもらう。  車は軽やかに走りだすと葉月が顔をのり出した。  「お兄さん、なんて名前ですか?」  「谷河です」  「下の名前は?」  「昴、ですけど」  葉月は一瞬驚いたような表情をしたが、すぐに元の笑顔に戻る。  「そっか。これからよろしくお願いします、昴さん。あとタメ口でいいですからね」  「はい……いや、うん」  席に戻った葉月は爽にお菓子を貰って楽しそうに話し始めた。  もしかして、と頭を掠めたがすぐにかぶりを振った。あれを知っている人間はそういないだろう。  事務所とは名前ばかりで実際はただのマンションだった。事務所の部屋と葉月たち三人で暮らしている部屋の二室を所有しているらしい。その方が安上がりなのだと芦屋はなぜか嬉しそうに語る。よほど資金源が乏しいのだろう。  「じゃあお疲れっす」  「お疲れさまでした」  エレベーターの三階で葉月たちは降り、社長とともに四階の事務所へと向かった。  「くつろいでくれていいからね」  「ありがとうございます」  事務所らしき場所に通されたがパソコンとテレビ、ソファがあるだけの簡素な部屋だ。奥の扉には仮眠室や浴室、一面鏡張りにリフォームしたスタジオがあるらしい。  コーヒーを淹れてもらい、ソファに座った。  「えっと谷河くんだっけ。年はいくつ?」  「二十五歳です」  「てことは他で仕事してたりする?」  「いえ、今日クビになって」  「それは残念だったね」  芦屋は憐れむように眉尻を下げた。心から労わってくれているだけに座りが悪い。  芦屋ぐらいの客の相手は散々してきたが、みんな性欲に従順なモンスターばかりだった。金の羽振りがいい分、こちらも無理な要求には答えてきたし逆に手のひらで転がして金をせびってきた。  そのことに対して同情はない。こいつらは下等な生物だと見下し、自分も同じ穴の狢だとどこか安心しきっていた。  だが芦屋からそれを感じられない。根っからの善人なのだろう。  そんな善良な人と対峙するのは緊張する。  「ちなみに前職はなにをやってたの?」  「……ウリです」  糸のように細い目をめいいっぱい広げて芦屋は驚いた。無理もないよなと同情してしまう。  しばらくするとそっか、と勝手に納得してくれた。  「僕の記憶違いじゃなきゃチェリッシュの昴くんだよね?」  「どうして、それを」  「こう見えてアイドルには詳しいんだ。プロの子も地下アイドルの子もくまなくチェックしてる。なるほど、だからウリなのか」  芦屋は過去の昴が犯した罪を知っている。だったら尚更そんな爆弾を抱えるつもりはないだろう。  鞄を抱えなおして席を立った。  「じゃあ失礼します」  「ちょっと待って。話はまだ途中だよ」  「俺のこと雇わないってことですよね?」  「まさか。うちは人手不足だし、経験もない。谷河くんみたいな経験者がいてくれると助かるよ」  「でも俺はーー」  言いかけた言葉を飲み込んだ。  「僕は谷河くんのダンスはすごかったと思ってるよ。だから力を貸して欲しい」  温かい言葉に胸の奥がきゅうと締めつけられる。身体ではなく、自分自身の能力が欲しいと言われて嬉しくならない人間はいない。  「こちらこそお願いします」  「うん、これから一緒にあの子たちを育てようね」  「はい」  芦屋と握手を交わし、そのあとは就労手続きや仕事の話をしているとジャージ姿の葉月が事務所に顔を出した。  「話終わりました?」  「あともう少しだよ。なにかあった?」  「昴さんの歓迎会と俺たちのデビューのお祝いしようと思って下で準備したんだ」  「いいね。じゃあ行こうか」  「はい」  「こっちです」  葉月に腕を取られてつまずきそうになった。この自由奔放さは大きな三角耳と尻尾が見える気がして、なぜかくすぐったい気持ちにさせられた。

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