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第1話
「雄馬くん、また寝ぐせで来たの?」
「寝坊しそうだったんっすよ!でも涼介さんがかっこよくしてくれるでしょ?」
女優鏡の前で笑う、ぼさぼさ髪の桜井雄馬は最近女性の心を鷲掴みにしている売れっ子俳優だ。この時代には珍しい強引な俺様キャラを見事に演じきり、俺様再ブームを巻き起こしている張本人。
先日は「抱かれたい男」というまた時代遅れなランキングに堂々一位。しかし本人は俺様というよりちょっと抜けてる大型犬。4歳しか離れていないのに弟みたいに感じる。
「もう、スキンケアはちゃんとした?」
「教えてもらったやつだけ~」
硬い茶髪のくせっ毛をヘアクリップで止めて、化粧水を含んだコットンを毛穴一つない頬に滑らせる。彼の専属メイク担当になってもうすぐ3年が経とうとしていた。
目立った功績もない俺をずっと指名してくれて、売れた今も任せてくれるのは嬉しい。けど、自分の技術が彼に追いついていない気がする。
慕われているのは分かるけど、もっと雄馬くんを輝かせる人はいるんじゃないか。
ベースメイクを終え、先にリップコンシーラーをのせていく。ちらりと鏡越しに仕上がりを確認して、そっと顎を持ち上げ近づいた。指先が降れた瞬間、ぴくりと睫毛が揺れて瞳がさ迷う。
「はい、薄く口開けてね」
「ん……」
知らないふりをしているけど、雄馬くんは顔に触れるたび耳が赤くなる。こんな初心な子が抱かれたい男、か……。成人前から知っているけど、この調子じゃ悪い人に捕まらないか不安だ。今日もまた、染まった頬を隠すようにパウダーを払う。
「はい、セットも完了。おまたせ」
「どう、かっこよくなりました?」
「ふふ、かっこいいよ」
鏡越しに答えれば、満足そうに笑って席を立つ雄馬くん。穏やかな垂れ目をさらに下げて、僕の肩に少し触れていく。
「じゃあ、先に行ってますね」
そんな朗らかさなんてどこ吹く風。ひとたびカメラが回ってしまえば、自信満々で上から俺様雄馬様が現れる。何度見ても切り替えがすごくて驚いてしまう。あんな顔をまだ隠し持っているんだ、と。
ドラマの撮影は佳境に入って、今日は大事な告白シーン。相手を搔き抱いて感情をぶつける場面だ。何十人のスタッフが見守る中、撮影が始まる。
「何回言わせれば気が済むんだ。さっさと俺にしとけよ……」
そのまま激しいキスをして、カットがかかった。このあと寄りの撮影があるため、雄馬くんに近づきメイクを直す。楽屋のときとは違う、獰猛で鋭い目つきはやっぱり「抱かれたい男」そのものだ。今はまだ役が抜けてないのか、ギラギラした瞳がこちらを射抜いてくる。
いつもは見てこないくせに。なんて言わずに黙ってリップブラシを手に取った。キスでよれた口元を直していると、すりっと指が頬を撫でた。
「こら、僕は相手の女の子じゃないよ」
「……分かってる」
何が分かってるんだ!
意味ありげに口の端を撫でたと思えば、人差し指の腹で輪郭を確かめるようになぞって、耳の裏をすりすりと擦られる。ぞくり、脊髄にビリビリした刺激が走った。
楽屋とは違う、意地悪で試してくるような目で見てくる。そんな手つきで触られると、どんな顔をしていいか分からないだろ。
「はは、耳弱いんだ?」
「……雄馬くん、切り替えて!」
名前を呼ぶと、ぱちぱち瞬きをした。丸くなった目が僕を捉えると、いつものように視線をうろつかせる。弄んでくる手は宙に浮き、そのまま両手をあげて降参ポーズをとった。
「ご、ごめん。役が抜けなくて。嫌でしたよね」
「……びっくりするから止めてね」
もうすぐ撮影が再開されるらしい。またスタジオの薄暗い端っこの方に移動してひとつ息を吐いた。
貫かれるような、こちらを捕食しようとする瞳。それに反して優しい指先。撫でられた耳はまだジクジクと熱を帯びていた。
「あんな熱、向けられたら堪ったもんじゃないな……」
今日の撮影が終わると、とことこ雄馬くんがこちらへやってきた。メイクブラシを片づける手を止めると、さっきまで吊り上がっていた眉毛を思い切り下げている。
「涼介さん、さっきはごめんなさい……」
「ふ、あはは!大丈夫だよ。それだけ役に入ってたってことでしょ」
もう崩れてもいい頭をポンポンと撫でれば、周りに花が咲くように分かりやすく嬉しがる。
狼とかハスキー犬とか言われてるけど、今は尻尾ブンブンの大型犬だ。高い頭をちょっと下げて撫でてもらおうとしてるなんて、ファンの子が見たら倒れちゃうかも。
「雄馬!ビッグニュース!」
「マネさん?どしたの?」
「虹川さんの雑誌撮影が決まったぞ!」
「え!すごいじゃん雄馬くん!」
カメラマンの虹川さんは有名で、独特で耽美な世界観が代表的だ。虹川さんに撮ってもらえたら一人前、という人もいるくらい。雄馬くんも嬉しそうにして、僕の肩をポンっと叩いた。
「じゃあ、涼介さんもよろしくね!」
「えっ」
思わず固まってちらりとマネージャーさんを見やれば、やはり微妙な顔をしている。はは、と乾いた笑いをして、雄馬くんの手を下ろした。
「さすがにそれは、もっとちゃんとした人に頼んだら?」
「なんで?涼介さんだってプロじゃんか」
「えーと……」
自分で言わなきゃ、いけないか。真っすぐこちらを見据える目から逃げて、薄暗いスタジオの床を見つめた。
「虹川さんって、納得いく写真を撮るには妥協しない人なの。すごく厳しいって有名だし。そんな人を納得させられるメイクは、僕にはできないよ」
そう、僕の代わりなんていくらでもいる世界だ。いくら積み上げてきた信頼も、ネームバリューと運と、たしかな実力でいくらでもひっくり返される。
それこそ、雄馬くんみたいに人気が急上昇した人の裏には、たくさんの日の目を見なかった人がいるんだ。僕はそちら側というだけ。
視界の端で少し安心しているマネージャーさんを捉えていると、ぐっと腕を引かれた。目の前には、真剣な表情でこちらを射抜く垂れ目。いつものふわふわした雰囲気でも、カメラ前の鋭いものでもない、雄馬くん自身の真っすぐさだった。
「なんでやる前からそんなこと言うんですか。俺、ずっと涼介さんに任せてきたんですよ?もう、あんた以外に顔触らせる気無いんだけど」
「そ、んなこと……」
言われてしまってはこちらから断れないだろ。自信が無いから、と諦めることを知らない若者が怖い。輝きに身を焼かれそうだ。今までずっと、僕の手だけが彼の顔に触れてきた。その事実と信頼を、自分で潰してしまっていいのだろうか。
心配そうなマネージャーさんに頭を下げる。こんなに期待されてしまえば、こっちも本気を見せないと。
「不安かと思いますが、雄馬くんを任せてもらえませんか」
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