2 / 3

第2話

そんな大層なことを言ってしまったら、こちらもしっかり準備しなければいけない。虹川さんの雑誌をかき集めて勉強したり、今の雄馬くんのイメージと固め直したり。 あっという間に撮影当日になった。正直緊張で吐きそう。 楽屋でひとり、スキンケアアイテムを並べたりメイク道具を最終確認したりして、マイナスな考えをかき消していた。 「これで大丈夫かな……」 「なに、緊張してます?」 肩に顎を乗せられ囁かれた。低い声が急に鼓膜を揺らして、驚いて振り返ると普段通りの雄馬くんが笑いかけている。なんで本人が余裕そうなんだ。 「緊張してるよ……。あの衣装とセット見ちゃうとさ」 先ほど見に行った撮影セットはシンプルな背景に水面と浮かぶ鮮やかな花たち。衣装もモード系から奇抜なものまで取り揃えられていて、何パターンも撮影することが伺えた。それに合わせてメイクも変えていくことになるだろう。 自分の中の引き出しをひっくり返していかなければいけない現実に、気が遠くなっていた。 「大丈夫だよ、涼介さんなら」 「簡単に言ってくれるね」 「だって、虹川さんってすごい人ですよね?俺がちゃんと俺でいるために、涼介さんに頼んだんだもん」 最初の衣装に着替えた雄馬くんにケープを掛ける。いつものように前髪をクリップで止めて、鏡越しに見つめた。今日はばっちり目があって、ちょっと鼓動が落ち着く。そうだ、今は緊張している場合じゃない。 今は、この売れっ子俳優に指名されている、信頼されていることを糧に。震える手を何とかおさめて、顔に指を滑らせた。 キリッとした眉毛と垂れ目が、俺様キャラなのにどこか甘くなる彼の特徴。目じりを衣装に合わせて赤く染めていく。長い睫毛はゆるくあげて紫色のマスカラで色気を上乗せ。雑誌用に粒の大きいラメアイシャドウで縁取って、締め色を乗せて強気に見せていった。いつも上げている前髪を下ろして、ちらりと見える鋭い視線で惹きつけるように。 ひとつの芸術品を創り上げるように重ねていったメイクは、ずっと見てきた雄馬くんの魅力を最大限引き出せただろうか。あの世界観に負けないけど溶け込むラインを攻められただろうか。 「はい、セットも完了。おまたせ」 「どう、かっこよくなりました?」 いつもみたいに聞いてくる雄馬くんに、しっかり頷き返した。 「うん、すっごくかっこいい」 「じゃあ今日は大成功だ」 どれだけ緊張したって、結局表に立つのは雄馬くんだ。いいことも悪いことも浴びるのは表舞台の人たち。だから自分は逃げている。石を投げつけられないところから、輝かしい舞台を見つめているくらいがちょうどいい。 撮影が始まると、気難しそうな40代くらいの女性がヒールを鳴らして入ってきた。虹川さんだ。スタッフたちが挨拶するなか、雄馬くんを上から下まで舐めるように見ていく。自分が見られているわけではないのに胃が痛い。雄馬くんは自信ありげに、黙って微笑んでいた。 「あなたが桜井雄馬くんね。今日はよろしく」 「撮影に参加できて光栄です。よろしくお願いします」 「で、メイクは誰?」 「は、はい!」 急に呼ばれて駆けていけば、顔も見られず指示が飛んできた。 「リップ、もう少し深い赤に変更して。肌もマットに。照明で色飛ぶから全体的にもっと濃くして。すぐ撮影始めるから急いで」 「はい!」 久しぶりのひりつく現場。しかし、この空気が嫌いではなかった。 撮影は順調で、虹川さんの指示に従って次々とポーズを決める雄馬くんは本当に色っぽくかっこいい。 「さすが桜井雄馬。虹川さんの世界観に合わせてくるねぇ」 「これはいい表紙になるでしょう」 普段テレビでは見せないような静かな魅力に、スタッフは全員息を忘れるほど魅了されていくのが分かる。僕もその一人で、この作品に携われたことに高揚感を覚えるほどだ。 「ちょっと絡みのカットも欲しいわね」 「女性モデルは何人か待機してます」 「うーん……男がいいわ」 途端に現場がざわついた。 男性モデルは用意していなかったらしく、急いで色々なところに電話を掛けている。しかし、撮影再開までにどれだけ時間がかかるか……。とりあえず、と雄馬くんのメイクを直しに入ると、今日初めて虹川さんと目が合った。 「いいモデル、いるじゃない。あんた、たしかメイクさんよね?」 「え?あ、はい」 「そうね……桜井くんとは真逆の雰囲気だし、メイクもできるんでしょう?」 「え、えーと……」 そんな、嘘だよね?嫌な予感がよぎり、背中にイヤな汗が伝った。 思わず雄馬くんを見れば、心底楽しそうに笑っている。こ、こいつも敵か!! 「彼を使うわ。早く着替えてメイクしてきて。イメージは……」 止まった思考に何とか伝えられるイメージをメモしていく。追い出されるようにスタイリストさんに連れられて着替え、急いで手を動かした。 なんで?どうして僕がモデルすることになってんの?! 大変ですね……と憐みの目で見られる中、雄馬くんの隣に何とか立てるように顔面を仕上げていった。 「虹川さん、良いんですかあんな素人をモデルに……」 「あら、メイクアップアーティストなら自分の魅力も引き出せないようじゃダメでしょ?」 涼介さんのことを言いたい放題言いやがって。 休憩に入り、水を飲みながら軽く睨む。それが分かったのか、笑顔の虹川さんが金の長い髪を靡かせてこちらへ振り向いた。耳打ちしていたスタッフは、俺の不機嫌そうな顔を見て肩を竦めている。 「あの子、ずっとあなたの担当なの?」 「はい、デビューからずっと」 「そう、やっぱりね。あなたの彩り方を知ってるから、こんなにいいものが出来てるのね」 思わず目を見開く。現場にいるスタッフは皆、俺の力だと言わんばかりの感想だったのに。 カツカツとヒールを鳴らして目の前に立った虹川さんが、口の端を上げて挑発的に言い放った。 「だけどダメよ、あんまり可愛がりすぎるのも」 「……気を付けます」 スタジオの入り口がざわついた。そこにはモード系の衣装に、普段とは違う色気を纏った涼介さん。自信がなさそうに縮こまっているのに、俺を見つけた途端ほっとした顔でこちらへ駆けてくる。 俺とは違い涼し気な目元はアイラインで吊り上げられ、緑のアイシャドウがこちらを誘惑してきた。柔らかい黒髪はサイドに撫でつけられて、いつもより大人びて見える。 「い、いかがでしょうか」 俺と交互に見比べて、虹川さんは何も言わずセットへ歩いて行く。肩を落としてしまう涼介さんの手を引いて自分たちも足を向けた。 「ちょ、やっぱり駄目だったんだよ。雄馬くんひとりで……」 「何も言わないってことは、文句ないってことでしょ」 「早く位置について。時間無いんだから」 ぱっと顔が明るくなる。そうだよ、涼介さんは最高のメイクアップアーティストなんだよ。 ただちょっと、俺が閉じ込めちゃってるだけ。 ごめんね、でももう少しだけ。 「ほら大丈夫、俺がリードするから」 ……と言われても。モデル経験のない人間は棒立ちかピースくらいしかバリエーションが無い。動きが硬いと言われても、素人にはこれが限界だ。くすくすと笑い声が聞こえる。だめだ、帰りたい。 「じゃあ桜井くん、その人のことは大道具だと思って好きにして」 「はい」 もう人間にもしてくれないらしい。どうしたらいい?と視線を送ると、急に腕を掴まれて抱きしめられる。普段少しだけ感じる甘いムスクの香水がぶわりと鼻腔を通り、距離の近さを示してきた。思わず離れようとすれば、耳に唇を寄せられる。 「あんたは大道具でしょ。動くな」 あのときと同じ熱を感じる。カメラに背を向けていてよかった。 僕の肩越しにレンズを見つめる雄馬くんは言葉の通り僕を撮影の道具として上手く使ってくれてるらしい。不自然な手を写さないように、雄馬くんの上着をきゅっと握る。それに気づいたのか耳元で笑われた。 「ふ……かわい。まだ緊張してんだ」 「するでしょ、そりゃ」 「ほら、綺麗な顔見せてやれよ」 ぐっと後頭部を掴まれ顔を上げさせられる。視界いっぱいに雄馬くんの顔が広がって、首から上に熱が集まった。メイクするときより近い距離に、少し動いたらキスをしてしまうくらいほど。 ギラついた瞳が恥ずかしさも全てお見通しな気がするのに、視線を外すことを許してくれなかった。 「おっけー、次。水に寝そべって。美術品みたいに」 指示を理解する時間なんて与えられず、雄馬くんに促され水面に沈む。いつの間にか回された腕に頭を預けると、そのまま引き寄せられた。水も滴るいい男、なんて言葉で言い表せないほどの色気。こんな近くで見ていいもんじゃないだろこれ。 「メイクさん、桜井くんの頬を撫でて。はい、僕が作った最高の男の顔ですよ~って感じでこっち見て」 なんだその指示。そう思うけど、今までで一番分かりやすい。雄馬くんがかっこいいと褒められるたび、少し得意げになっていたのは確かだ。 どうだ、僕のメイクで輝く姿は。これが僕の最高傑作だと。 シャッター音が遠くで聞こえる。もっと彼を見ろ、とレンズを見つめれば、水面が揺れて顔が近づく。 そのまま頬ずりをされて視線を寄こせば、愛おしそうな瞳がこちらを見つめていた。そうだね、楽しいねと笑い返すと、ぎゅっと抱えられ水面に押し倒された。 「ちょっと!?」 「あはは!びしょびしょ」 笑いながら髪をかきあげる仕草だけで人の心を惹きつける。そのままわちゃわちゃと笑いあっていれば、虹川さんから爆弾が落とされた。 「いいね、ちょっと雄馬くんの前、肌けさせて」 「はい、涼介さん」 「え、僕が?」 何もせずいたずらっ子のような笑みを向けてくる男を睨みながら、シャツのボタンを一つずつ外していく。みっともなく手は震えるし、動くたびに水音が響いて何も恥ずかしくないのに身体が熱い。 全てのボタンが外れて綺麗な上半身がこちらを見てくる。何回も見た、何も気にしていなかったはずなのに目が離せない。 「ほら、こっち見ろって」 顎を掬われ視線を捕らわれる。ゆっくり指が絡めとられ、もうどこにも逃げられなくなってしまった。鼓動がどんどん早くなって周りの声が届かない。顔を伏せたいのに、腕は動かないし真横は水。 ただ長い睫毛が上下するのを見つめていれば、ふっと笑われてそのまま顔を抱き込まれ距離がゼロになる。 ごりっ。下腹部に熱いものが押し付けられた。途端、周りのざわめきがクリアになる。 「うん、一旦確認しよっか。次の準備よろしく」 虹川さんの声でガウンを持ったスタッフさんがこちらへやってくる。受け取って羽織ってもまだ熱は引かない。するりと手が取られ、ゆっくり手の甲を撫でられた。顔を上げて、後悔する。 そんな、何も隠せていない目で見られたら、ついて行くしかないだろ。

ともだちにシェアしよう!