11 / 11
第2章④自分を見つけた場所
MV初稿を見た夜、久しぶりにノートを開いた。
日付を書く手が、少しだけためらった。
今日という日が、いつもと違う気がしたから。でも、何が違うのかはまだ、うまく言葉にできなかった。
ホテルのロビーでもらった沖縄のポストカードを、しおり代わりにページに挟む。サトウキビ畑の写真。緑が、目に痛いくらい鮮やかだった。
ペンを持ったまま、しばらく天井を見上げた。
何かを書こうとすると、手が止まる。
さっきモニターに映っていた自分の顔が、脳裏に浮かんで離れなかった。
──俺、あんな顔してたんだ。
誰にも見せたことがないような、自分でも知らなかったような顔。
記憶の中の映像が、喉の奥をくすぐる。
少し息苦しいのに、笑いたくなるような感覚。
「……なんか」
ぽつりと声が漏れた。
「なんか……しのの前だと、自分が自分じゃないみたいだ。いや、こっちが本当の自分なのかも」
言葉にした瞬間、胸の奥に何かがすとんと落ちた。
怖いような、でも少しだけ、ほっとするような。
でも、流石にこれは、篠に聞かれたら恥ずかしいと思った。しのがまだ部屋に帰ってきていなくてよかった。
“ほんとうの自分”なんて、そんな簡単にわかるものじゃないと思ってた。
でも、あの映像の中の自分は──知ってた。
「……なんだよ、それ」
思わず小さく笑って、首を振る。自分に向けた苦笑い。
ページの隅に、小さな字で書き足す。
「“本当の自分の顔”って、ちょっとくすぐったい」
ノートをそっと閉じたとき、カタンという音と一緒に、心の中に静けさが戻ってきた。
──
同じ頃。
篠は一人、LUALAハウスのベランダに出ていた。
冷えた風が頬をなでる。その感触が、沖縄の夜を少しだけ遠ざけていた。
『あの……安藤さんが撮ってくれた、陽の帽子のシーン。あれ、MVに入れられないですか』
あの日──沖縄滞在の最終日前夜。篠は一人、監督の部屋を訪ねていた。
『……ああ、あれ。いい顔してるけど、ちょっとオフすぎて、他の映像とバランス合うかなとも思うんだよね』
『でも、あの顔、すごく……』
言いかけて、言葉が詰まる。
“すごくいい”──誰にとって?
なんで、自分はこんなにもあの顔を覚えているのか。
それを、どう伝えればいいのかが分からなかった。
監督は少し笑って、「じゃあ、前向きに検討するよ」と軽く頷いた。
「ファン、きっと喜ぶね。あの表情、めちゃくちゃ自然だったし」
──ファンのため。
そう言われて、篠は黙った。
本当は、あの顔がMVに残ることに、ほんの少しだけ複雑な気持ちがあった。
あれは、自分だけが知っていた“陽”。
誰にも見せていないと思っていた顔。
でも、陽は。
あの顔を、自分で見て、ちゃんと知った方がいいと思った。
あれが“本当の陽”なら。
それを、陽自身が肯定してくれたなら──きっと、それがいちばんいい。
篠はポケットからスマホを取り出す。
スタッフに送ってもらったMVの初稿映像。
再生ボタンを押す。
画面の中、帽子をかぶせられて、前髪を上げられて。
少しだけ照れて、それでも笑った横顔。
映像は音もなく、ただ淡々とその瞬間を映している。
篠はその場面だけを何度か繰り返した。
イヤホンもつけないまま、画面を見つめ続ける。
その笑顔が、ほんの少しだけ、自分の胸の中で、やわらかく音を立てて残った。
──言わない。伝えない。
でも、忘れたくなかった。
それが、今の自分にできる、ただひとつの“関わり方”だった。
ともだちにシェアしよう!

