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第2章④自分を見つけた場所

MV初稿を見た夜、久しぶりにノートを開いた。 日付を書く手が、少しだけためらった。 今日という日が、いつもと違う気がしたから。でも、何が違うのかはまだ、うまく言葉にできなかった。 ホテルのロビーでもらった沖縄のポストカードを、しおり代わりにページに挟む。サトウキビ畑の写真。緑が、目に痛いくらい鮮やかだった。 ペンを持ったまま、しばらく天井を見上げた。 何かを書こうとすると、手が止まる。 さっきモニターに映っていた自分の顔が、脳裏に浮かんで離れなかった。 ──俺、あんな顔してたんだ。 誰にも見せたことがないような、自分でも知らなかったような顔。 記憶の中の映像が、喉の奥をくすぐる。 少し息苦しいのに、笑いたくなるような感覚。 「……なんか」 ぽつりと声が漏れた。 「なんか……しのの前だと、自分が自分じゃないみたいだ。いや、こっちが本当の自分なのかも」 言葉にした瞬間、胸の奥に何かがすとんと落ちた。 怖いような、でも少しだけ、ほっとするような。 でも、流石にこれは、篠に聞かれたら恥ずかしいと思った。しのがまだ部屋に帰ってきていなくてよかった。 “ほんとうの自分”なんて、そんな簡単にわかるものじゃないと思ってた。 でも、あの映像の中の自分は──知ってた。 「……なんだよ、それ」 思わず小さく笑って、首を振る。自分に向けた苦笑い。 ページの隅に、小さな字で書き足す。 「“本当の自分の顔”って、ちょっとくすぐったい」 ノートをそっと閉じたとき、カタンという音と一緒に、心の中に静けさが戻ってきた。 ── 同じ頃。 篠は一人、LUALAハウスのベランダに出ていた。 冷えた風が頬をなでる。その感触が、沖縄の夜を少しだけ遠ざけていた。 『あの……安藤さんが撮ってくれた、陽の帽子のシーン。あれ、MVに入れられないですか』 あの日──沖縄滞在の最終日前夜。篠は一人、監督の部屋を訪ねていた。 『……ああ、あれ。いい顔してるけど、ちょっとオフすぎて、他の映像とバランス合うかなとも思うんだよね』 『でも、あの顔、すごく……』 言いかけて、言葉が詰まる。 “すごくいい”──誰にとって? なんで、自分はこんなにもあの顔を覚えているのか。 それを、どう伝えればいいのかが分からなかった。 監督は少し笑って、「じゃあ、前向きに検討するよ」と軽く頷いた。 「ファン、きっと喜ぶね。あの表情、めちゃくちゃ自然だったし」 ──ファンのため。 そう言われて、篠は黙った。 本当は、あの顔がMVに残ることに、ほんの少しだけ複雑な気持ちがあった。 あれは、自分だけが知っていた“陽”。 誰にも見せていないと思っていた顔。 でも、陽は。 あの顔を、自分で見て、ちゃんと知った方がいいと思った。 あれが“本当の陽”なら。 それを、陽自身が肯定してくれたなら──きっと、それがいちばんいい。 篠はポケットからスマホを取り出す。 スタッフに送ってもらったMVの初稿映像。 再生ボタンを押す。 画面の中、帽子をかぶせられて、前髪を上げられて。 少しだけ照れて、それでも笑った横顔。 映像は音もなく、ただ淡々とその瞬間を映している。 篠はその場面だけを何度か繰り返した。 イヤホンもつけないまま、画面を見つめ続ける。 その笑顔が、ほんの少しだけ、自分の胸の中で、やわらかく音を立てて残った。 ──言わない。伝えない。 でも、忘れたくなかった。 それが、今の自分にできる、ただひとつの“関わり方”だった。

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