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事例1-3
「その後すぐに監視カメラの内容を確認したのですが、ご近所の方が日課のランニングをされていてカメラの前を横切った瞬間に招き猫が……本当に一瞬の間に出現しまして。警察の方でもすぐに交番のカメラも確認をされて、そちらの方は誰も招き猫サイズの荷物の持ち出しをしていないということがわかったようで……警察の方々もこのままではメンツが潰れると思われたのか、定期巡回の強化をしてくださったのですが、そこから一週間ほど警察の方が招き猫を回収されては人の見ていない隙をついて庭の門の隣に招き猫が現れるという現象が発生し続けて……今度は交番ではなく警察署の方で管理していただくことになったんですがそれでも状況は変わらず……結局埒が空かないということで元持ち主の方に了解を得て、招き猫を私どもの家の庭に置いておくことになりました。すると今度は庭の中を……自由にあちらこちら移動するんです。私たちが見ている間は動いている素振りなんてまったくないんですけど、見ていない間に花壇のそばに移動していたり、庭の塀の上に居たり。ここまで来るともうなんだか、『本物の猫』を相手にしているような感覚にもなってきたんですけど、流石にご近所の方も不気味がられてしまいまして、定期巡回担当の方に再度相談をして『怪異対策課』をご紹介いただいた――というのが今日までの出来事になります」
野田は一ヶ月の出来事を端折った部分がありながらも話し切った。何度か話してきた内容の最後に『怪異対策課』のくだりが入ったくらいだったのでもう慣れたものだった。
目の前に座る日野は穏やかな笑顔で時折相槌を打ちながら、及川は資料を確認しながらも何度も話を促すように、しかしその視線は柔和なもので何度も野田と視線を合わせながら、今までの聴取の中で一番話しやすい空気感があった。
「ありがとうございます。こちらで把握している内容と大きな食い違いはないことがはっきりしました」
及川はフォルダの中で紙をペラリと一枚捲りながら続ける。
「実は質問がいくつかありまして……この一ヶ月、野田さんの周りで招き猫の件以外に何か奇妙なことが発生してはいませんか?」
「奇妙なこと、ですか?」
「ええ」
野田は「うーん」と唸りながら、しかし特に思い当たる節もなく、首を傾げて答える。
「いえ……特には」
「では少し質問を変えますね」
及川がにっこりと笑みを浮かべて資料の中から一枚紙を取り出し、机の上に置いた。それは「保護猫里親募集」のチラシだった。
「あっ……なぜこれを?」
野田は驚いてチラシからすぐさま視線を及川の方へ戻す。及川は変わらず笑顔のままだ。
「警察の方からもいくつか情報をいただいておりまして、その中には当事者の方がどのような人物像なのかというものも含まれております。野田さんはこちらの地域猫の管理保護団体の活動に参加されていますよね」
「そうです……でもそれが今回の件と……?」
及川の言及する通り、野田はいわゆる地域猫と呼ばれる野良猫の去勢や保護を手伝う活動に参加していた。だが、夫に猫アレルギーがあるため自宅での飼育はできず、あくまでシェルターでの活動に限られていた。そしてシェルターでの活動にはなんら不思議な現象は発生していない。
「実は今回の件を調べるにあたって、団体代表の方にも問い合わせをいたしました。少し予定が立て込んでいたので野田さんにお話を通せておらず申し訳ないとは思っているのですが」
「いえ……ですが、その活動で特に何か妙な出来事などはなかったと思うんですけど……」
「ええ。大きな異常はなかったと思います。ただ代表の方に少々詳しくお話をお伺いしたところ――」
そう言いながら及川は次に地図が印刷された用紙を取り出す。それは野田邸を中心とした同心円が三重に引かれており、いくつかの点が打ってある。その点は野田邸へ近づくにつれて少なくなっていた。
「地図……?」
「はい。そしてこの点はもしかすると心当たりがあるかもしれませんが――猫が保護されたり、去勢した猫を放した場所を示すものです」
野田はそう言われて初めて納得がいった。野田が関わった保護猫・地域猫についていくつか心当たりのある地点があったのだ。
「ああ……この辺りの子たちは確かに、私が保護した点ですね」と指を差しながら野田が答える。
「そして見ていただくとわかる通り、野田さんのご自宅を中心として猫の活動範囲が――縄張りが形成されているように見えませんか?」
「縄張り……?」
確かに、猫には縄張りというものが存在する。だが、点の数を見るにつけて、逆に縄張りが見当たらない。空白だ。
「どういうことでしょう。私が把握している限り、縄張りがないのですが……この地図上でもわかる通り、私の家の周りには……」
するとそれまで黙っていて微笑んでいた日野が風呂敷を解いて机の上に野田の荷物を広げる。その中からは今回野田を悩ませている小判を抱えたにっこりと笑う愛らしい招き猫が現れた。
日野の微笑みは少し変化して、いたずらしている子どもを見守るような、困りながらも慈しみに満ちた微笑みで招き猫を見ている。
「この『招き猫』が野田さんの家を中心に縄張りを形成しているのではないか――そのように我々は分析しています。代表の方に一ヶ月ほど前に大きな出来事はなかったかお伺いしました」
「一ヶ月前――えっ、でも、もしかして、そんな……」
日野の優しい語り口に、野田は自分の心が震えるのがわかった。
怪異という視点で捉えれば、何も奇妙なことは発生していなかった。だが、地域猫の活動でひとつ大きな出来事は発生していた。
「……『モチタ』……」
ぽつり。
野田がなんらかの愛称を、呼びかけるというよりも、悼むようにこぼした。
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