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   七年前、家の付き合いで神蔵家を訪ねた。大事な話があると聞かされていたが、今にして思えば、あのとき既に書生としての打診が始まっていたのだろう。  当時、彼はまだ十にも届かぬ年齢だった。  「ご子息方はこちらへ」と促され、僕らは客間を追い出されるようにして“お子様部屋”に通されたが、十八だった僕はもはや子どもではない。  初等教育すら終えていない子どもの相手役に仕立て上げられたのだと思うと、内心で苦笑した記憶がある。    早々に辞す理由を探していると、彼の机上の、夕陽を受け静かに輝いている漆黒の花瓶が目に入った。  なめらかな曲面には、螺鈿細工の桐の花が艶やかに咲き誇っている。光の角度で、花びらが青く、緑に、あるいは桃色に揺れ、その意匠はあまりに優美。  咲の家がいかなる家柄であったかを、ただ静かに物語っていた。 「これは見事ですね。――触っても?」  螺鈿の花を確かめるべく、僕はそっとそれを手に取った。想像以上に重く、そして、冷たい。  やはりこれは桐の花――高貴さの象徴であり、かつて公家としての威光を放っていた神蔵家の紋の花――  花瓶を持ち上げ、ぐるりと回し光の変化を楽しんでいると、ふと花瓶の底に刻まれた金の彫文字に気づいた。    【Für S. Kamikura, à l'amitié éternelle】   永遠の友情を込めて――神蔵Sへ      贈り物……か。誰から?  僅かに傾けたその時だった。ふいに指先が滑り、花瓶が手元からすり抜ける。  「……っ!」  永遠かと思われたような一瞬の後、“高貴の象徴”は鈍い音と共に木床にぶつかり、転がって止まった。一筋のひびに、美しく散った螺鈿の花弁。    「すまない――」    さあ、泣いてしまうぞ。幼い子の扱いには慣れていない。汗ばんだ手に力が入り、息を呑む。父には何と言おうか――    ところが、泣くどころか彼は顔色ひとつ変えなかった。まさか。まだ子どもだろう。それは、大切なものなんだろう。  心を衝かれたに違いないだろうに、彼の姿は未来に花開く桐を思わせ、気高く、誇り高く――幼いながらに深い静謐を湛えた瞳は、湖面のように落ち着いている。  そして割れた花瓶を拾い上げ、僕の存在など最初からなかったかのように、ただ静かにその割れ目を指先でなぞっていた。    ああ、白い指だなと情けなく目で追うことしか出来なかったのは、間違いなく僕の人生でたった一点の恥であった。  我が家に書生として迎え入れることになったという、咲という青年。英国の、夢のような霧の中、僕はかつての苦い記憶を辿っていた。  年が明けて帰朝した時、まだ蕾を思わせた当時の小さな彼は、どのような花を咲かせ、どのような香りを纏っているのだろうか。  旧き日々と霧が溶け合い、夢か現か僕を惑わす……

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