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第4話 この世に生まれ堕ちた日

 秀治は母の愛を受けずに育った。シングルマザーの母親は酒癖が悪かった。物心ついた頃から酒に酔った母に髪を引っ張られたり頭を叩かれたりしていた。理由は特にない。ただ、そこにいるだけで邪魔者扱いをされた。空気を吸うことすら許されず、代わりに煙草の煙を顔に吹きかけられた。母の歯はボロボロで黒く汚れていた。秀治は病院に行ったことがない。熱を出そうが咳込もうが決して母は病院へは連れていってくれなかった。風邪薬の代わりに秀治は母が嗜好品として戸棚に隠しているハッカ飴を盗み舐めて寿命を伸ばしていた。ある日ハッカ飴を盗んでいたのが母に見つかったとき、母は無表情でこう言った。 「いけない子ね。血は似るものねぇ。アンタの父親も強盗殺人罪で今刑務所の中よ。アタシもいつかアンタに殺されるのかしら」  そのときの母の目はもう秀治を一人の人間としては見ていなかった。瀕死の蟻を見下ろすような温度のない瞳。それが秀治が受けとめることができる母の眼差しだった。  二人暮らしの狭いアパートの中では、母が唯一の女王だった。秀治は使用人のように母のために働かされた。夜勤の工場に勤める母は朝帰りで朝食も作らず床につく。秀治が帰宅した頃には仕事のストレスを発散するかのように暴力を振るった。 「……っ」 「なんとか言いなさいよ。返事もできないの?」  母は決まって服で見えない場所をぶった。頭は傷がつかないように丁寧に殴った。秀治はそれをされるがままで見ていた。母は秀治のために罰を与えてくれているのだと言っていた。だから、頭の悪くて運動もできない自分はダメな子なんだと自分に言い聞かせていた。 「ごめんなさい。次のテストは学年十位以内に入るから」 「下から数えた方が早いアンタが入れるの? ほんとうに? 約束よ」  秀治が中学生になっても母の独裁は続いた。脇をつねられてひどい痣ができたこともあった。この頃になると秀治は自分で家事をこなすようになった。母は度々男を連れ込んで事に及んでいたが、それを隠すこともなかった。気持ちの悪い行為だと思った。獣じみていて、人間として正しい行いではないと。  学校ではよく嫌がらせを受けた。女のような顔が気に食わないのだと言われた。栄養不良のためか痩せっぽっちで身長も伸びない。給食の時間だけが秀治を癒した。毎回必ずおかわりをして周囲からヒソヒソと陰口を言われても気にしなかった。

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