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第8話 謎の男
「待っていた」
「……」
珍しくビルの屋上には先客がいた。初めて他の人がいるのを見て、秀治はついに幻覚でも見始めたのだろうかと思った。今日は月の光が眩しい満月の夜で、空に近いビルの上は青白い光で満ちている。長身の男はゆっくりと秀治に近づいてきた。服の上からでもわかる盛り上がった逞しい体格にごくりと唾を飲み込む。初めて他人に殺されるかもしれないという感覚に陥った。ここの辺りはひったくりが多いと聞く。もしかしたら金目当ての男かもしれないと少し身構える。ふと、なぜ身構える必要があるのかと心の声が聞こえた。殺してもらえるなら、本望じゃないか。
「おまえ、この前このビルの下に潰れてたよな」
「……それが何?」
男は薄い笑みを口端に浮かべると、秀治の目の前に体を近づけた。長身の男に見下ろされ、秀治は自分より頭ひとつ大きい男の顔を見上げる。
「そして今日もここにやってきた。あれは自殺未遂だったんだな」
「……あんたには関係ない」
そっけなくつぶやくと男は秀治の肩に手をやった。痛めた部分をぐりぐりと押され、喉の奥が悲鳴をあげる。
「それが関係あるんだよ。俺がおまえを助けたんだからな」
「……っ望みはなんだ。借りを返せって言うのか」
痛みに悶えながらそう迫ると、男は真顔で秀治を見据える。その瞳は青く澄んでいた。こいつ、日本人じゃない?
「そうだな。おまえの事情は知らないが迷惑な話だ。おまえが飛び降りるたびに誰かが仕事をしなくちゃならない。通行人も、救急隊員も、医者も、看護師も」
ぐっ、と喉の奥で言葉が詰まった。そんなこと考えたこともなかった。
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