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第6話

「行くよ。大丈夫?」 「あ、うん。僕は大丈夫。ありがとう」  意外にも本当に気にしていなさそうなティトに安堵したニコラは、ティトを守るようにそばに連れ添って歩く。二人は注目を集めていた。しかしティトに対する攻撃的な目はない。 「やっぱりジラルド侯爵家子息のエレア様は、聞いていた通りのお人みたいだな」  聞こえてきたその言葉に、ティトは周囲の言葉に集中して耳を傾けた。 「さっきの話、七年前の件でしょ? 罪悪感とかないってこと?」 「ジラルド侯爵も手を焼いているらしいぞ」 「ロタリオ伯爵家のご子息だろ? 突き落とされたのにお可哀そうに」  聞こえてくるそのどれもが、エレアを批判するものばかりである。  先ほどの発言を聞けば、少しはティトを疑っても良いものだが。 (……おかしい。今日はまだ入学式なのに、どうして平民の生徒にまで話が広がっているんだろう……)  エレアの発言を信じるならば、ティトと接触のなかった七年間にもエレアには身に覚えのない不評が流れていたことになる。しかしティトはエミリオに会いたいと言っていたが会わせてもらえなかった身だ。もちろんその間にエレアの話を誰かにしたこともなければ、悪評を流した記憶もない。  意図的に誰かが悪意を持ってエレアを攻撃したとしか思えない状況である。 「さっきは災難だったな、ロタリオ」  ちょうど教室に着いた頃、ティトの背をポンと軽く叩き、男子生徒がニコラとは反対隣に立つ。ニコラほど身長が高いその男子生徒とニコラに挟まれると、ティトは通常よりもうんと小さく見えた。 「遅かったなリオ。寝坊した?」 「そんなわけないだろ。朝の鍛錬に集中しすぎてちょっと遅くなっただけ」  ニコラとは親しいのか、やけに砕けた空気である。  ティトはじっと男子生徒を見上げる。その視線に気付いたのか、男子生徒は「あ、悪い悪い」と眉を下げて笑った。 「俺はリオール・イヴァーノ。親父が騎士団長なんかやってるもんだから、七年前の事件も知ってるんだよ。ティト・ロタリオだよな? お噂はかねがね。こんなに可愛いならロタリオ伯爵が隠したがるのも分かるよ」 「リオール・イヴァーノ……」  騎士団長の息子であるリオールは攻略対象の一人だ。見た目は前世で見たものと変わらず、短く赤い髪に蜂蜜色の瞳が映えている。ガッチリとした体格は先ほど言っていた鍛錬のたまものだろう。 (ニコラと知り合いみたいだけど、どこで……?)  ゲームのリオール・イヴァーノは攻略対象であり、当然ながら主人公であるニコラとは知り合いではない。そもそも、騎士団長の息子として幼い頃から厳しく育てられ、騎士団長の鍛錬にも参加させられているというリオールの設定を考えれば、男爵家に養子に入ってもいないニコラと知り合うのはなかなか難しいのではないだろうか。 「おーい、ロタリオ?」  覗き込むように身をかがめたリオールと、自然と顔が近付いた。突然のことに驚いたティトは思わず一歩後ろに退く。ニコラもティトを守るようにリオールの胸に手を置き、ぐっと後ろに押し返した。 「おまえねえ……ティトが驚いてるだろ。距離感近いのやめろっていつも言ってんのに」 「随分親しくなったんだな。なあ、俺も名前で呼んでいい? ニコラも呼んでるし」 「え、あ、うん。全然いいよ」 「やった。ティトは噂通りだなぁ。平民にも優しくてさ」 「噂? っていうか、この学園って貴族校じゃなかったっけ?」 「だったら僕入学できてないよ。数年前に『奨学金制度』ってのができてさ、平民も貴族と同じレベルの学習が出来るようになったんだよ。僕とリオはそれで入学してる」 「……リオールくんも平民なの?」 「? もちろん。父は騎士団長で、一応爵位で言えば騎士(ナイト)だけど、貴族ではないからな」 (あれ……そうだったんだっけ……)  リオール・イヴァーノは、騎士団長の父親のもとで厳しく育てられた過去がある。  件の戦争で奥方を亡くしたイヴァーノ団長が息子にさらに厳しく当たるようになり、母親を亡くしたリオール自身も心の傷が癒えないまま父に厳しくされ、さらに傷が深くなっていく。しかし周囲は「お父様を支えてあげないと」「大変だろうけどがんばってね」としか言わず、自分がしっかりしなければと思ったリオールは自分のことを後回しにし、悲しむ気持ちに蓋をして笑顔を貼り付けて孤独に頑張っていた。その傷を主人公が埋めることで二人は結ばれるというメインストーリーだったような覚えがある。  前世で見たイヴァーノ団長はそんな境遇の中、戦争後からも仕事仕事で功績をあげ、爵位を賜ったのではなかっただろうか。 (国への貢献がもっとも高いからと、伯爵位まで上り詰めていたような……) 「俺のこともリオって呼んでよ」 「う、うん。ありがとう」  我に返った直後の爽やかな笑顔は攻撃力が高く、ティトは思わず目を逸らす。  さすがは攻略対象である。その笑顔だけで周囲が少しざわついている。  教室にはどうやら各自席があるというわけではなく、真ん中に通路が抜け、通路の両脇に半円形で壁まで長机が続いている。どこに座っても良さそうだと、三人はひとまず真ん中あたりに並んで腰掛けた。なぜかティトが真ん中になったため、ティトはどこか落ち着かない。 「さっきの絡まれてた件さ、七年前のあの件だろ?」  エレアのことを思い出したのか、リオールがティトを気にかけながら問いかけた。  なにが起きたのかを知らないニコラが、ティトの隣から「そもそもなにがあったんだよ」と興味津々に身を乗り出す。 「七年前、国王夫妻の結婚記念パーティーでティトが階段から落ちたんだ。その階段は広く長くて、来賓が使う用の、パーティーホールに下りるための階段だった。そこで兄君と二人で階段を上っていたティトが、階段を下りていたジラルドとすれ違いざまに落下した。ジラルドは単独行動をしていたようで、すぐに親の監督責任を問われていたな」  当時は前世を思い出した直後であり、その衝撃が凄すぎて事件当日のことはなにも覚えていなかった。改めて客観的な当時のことを聞いて、ティトは難しい顔でうつむく。 「それ、ちょっと変だね」  ティトが思っていたことが隣から聞こえて、ティトは思わず振り向いた。ニコラはティトと目が合うと「お、同意?」と少しばかり嬉しげに微笑む。 「僕も思ってた。ただすれ違っただけなのに、どうしてエレア様が落としたって思ったんだろう」 「だよね。ジラルドが単独行動をしていたから疑われたってだけかな?」 「どうだろうな。父いわく、その当時周囲には数人が行き来していたが、誰も見ていなかったそうだ。唯一の目撃者はティトの兄君だけだったらしい」 「兄様の証言だけ……」  目の前でティトが落ちたのを目撃してしまったから、あんなにもティトに対して過保護になってしまったのだろうか。  しかしエレアがティトを落とす理由がない。ただ肩が軽くぶつかってしまったのを落としたと言われただけではないだろうか。 「はーい全員座ってー、席着いてー、ティト・ロタリオの隣は絶対に誰も座るなよー」  ガラガラと教室の戸を開けて入ってきたルギスが、教壇に立ち出席簿をテーブルに叩きつけた。ティトが驚いて何も言えない間にティトの両隣をギロリと睨みつけ、ルギスは「こらそこ、席移動しろ」と大きな声を出す。 「俺の目が黒いうちはティトのそばには誰も近寄らせないからな!」 「はいはい、無視でいいぞ二人とも。このクラスの正担任はオレだ、副担任は下がれ」 「ダメだ! このままだと可愛いティトが!」  ベルノーにたしなめられながらも教壇を下りたルギスを見て、ニコラが「大変だな」とティトに哀れみを送った。  教師の紹介が終わると、入学式をおこなうため、入学生は全員大ホールに集められた。食事の準備がされており、立食形式で楽しむことができる。  ティトは式典の最中もずっとエレアのことを周囲から聞いていたが、やはり彼の印象は最悪だった。直接話を聞いてもティトが哀れまれるばかりで、ティトの居心地が悪くなる。  今朝注目を集めたことで貴族だけでなく平民にまでその噂が広がったようで、その足の速さにはティトも驚かされたものだ。 (……当時のこと、兄様に聞いてみようかな)  ずっとそんなことばかりを考えていたから、式が終わったことに気付くのが遅れた。ティトはニコラとリオールに声をかけられて我に返ると、「これから親睦会だぞ」とはりきる二人を尻目に「外の空気吸ってくる」とその場を離れる。  今のままでは楽しめそうにもない。すぐにでもルギスに当時のことを聞き出したかった。  大ホールから出てすぐ、ティトは職務室に向かおうとそちらに足を向けた。上級生は今日は休みなため、入学生が集まる大ホールから離れるとひと気はなく、シンと静まり返っている。  途中で学園内マップを確認しながら、今度こそ迷子にならないようにと歩いていたのだが、 「入学生がこんなところで何をしてる」  冷たさを覚える低い声に呼び止められ、ティトは足を止めた。  迷子にはなっていない。制服を着ているから怪しいということもない。だというのになんとなく後ろめたいのは、入学生は現在全員が大ホールで集まっているという状況のせいだろうか。とっさに「レストルームに行きたくて」とか言うことができたなら良かったのだが、呼び止められた時点でティトの頭は真っ白になった。  ティトはギギギとぎこちない動きで振り返る。  立っていたのは、真っ黒な髪に青い瞳の、見覚えのある色をした上級生だった。 「え! あ、ルカさん!」  随分美丈夫に成長しているが間違いない。彼は七年前、レンと共に王宮に居た、常にティトを睨んでいた男である。  彼はティトの言葉を聞いて、ピクリと眉を揺らす。するとあっという間に不機嫌に代わり、ティトはさらに体を縮こまらせていた。 「……君にその名を許した覚えはないが?」 「す、すみません……えっと……」 「俺はエラルド・フォルテルディアだ。フォルテルディア様と呼べ」 「エラルド・フォルテルディア……!? え! じゃああなたが宰相様の御子息様ですか!?」  ひと気のない廊下にティトの声が反響する。ティトはすぐに口を押さえたが、エラルドはうんざりしたような顔で「うるさいガキだな君は」と刺を吐き出した。 「どこに行こうと?」 「職務室に……」 「そうか。俺についてこい」  エラルドは何も言わずに歩き始める。逆らうなど恐ろしくて出来ないティトは、少し距離を開けてエラルドに続いた。  エラルド・フォルテルディアといえば、上位の人気を誇るキャラクターである。  そのミステリアスで美しい見た目もさることながら、俺様ぶりが良い、俺様なのに王太子殿下には付き従う感じも良い、とファンはストーリー中にも絶叫しながらプレイしていた。  宰相の息子として厳しく躾けられてきたエラルドは、誰にも心を開くことなく生きてきた。とんでもない努力家であり、「完璧な仮面」をつけるのが苦痛であるとシナリオ内で漏らしたこともある。俺様が突然甘えてくるそのギャップに、ファンは毎度心をやられていたものだ。 (実際に居たら怖いだけだよ……うう、なんで気付かなかったんだろ……)  これまでは見た目や名前で思い出してきたのだが、なぜか今回はピンとこなかった。幼い頃に一度出会っているからだろうか。もしかしたら、物語外である幼い頃に出会った人物が攻略対象なはずはないと、無意識に除外していたのかもしれない。  エラルドがやってきたのは見知らぬ教室だった。ひと気が一切ないため、もしかしたら上級生の教室なのかもしれない。 「あの……職務室に案内をしてくれていたのでは……」 「どうして俺が君にそんなことをしなければならない」 「うっ。そうですよね、すみません」  俺様と言えば聞こえはいいが、ただのツンツン男である。ティトはこんな人種と会ったことがなかったため、対処法も分からず、次は何を言われるのかと恐ろしさにうつむいていた。 「先ほどの名を、人前では呼ばないようにしろ。あれは隠し名だ。親しい者しか知らないし、呼ばない」 「分かりました……」  どうやらここには、ティトが反射的に「ルカ」と呼んでしまったから、それの忠告のために連れられたようだ。ひと気はもともとなかったのだからあの場で言っても良かったとは思うが、二人の空間で話すということはそれほど重要なことなのだろう。 「そういえばレンもそう呼んでましたけど、レンとは親しいということですか?」  それにしてはなんだか主従のような関係だった記憶があるが……ティトの何気ない言葉に、エラルドがピタリと動きを止める。  しまった、と思ったのは一瞬だ。エラルドの顔が訝しげに変わったときには、ティトはまたしてもうつむいていた。 「『レン』と、本人からその名を聞いたのか?」 「……は、はい。レナードですよね。九歳になる前から会えなくなったんですけど、彼は元気にしていますか?」  ちらりと上目に様子を見たが、エラルドは今度、目を細めて何かを探るようにティトを見ていた。ティトはやはりうつむく。エラルドの目はどこか恐ろしい。 「……君は、あのお方が誰なのか、ロタリオ伯爵から聞いたのか」 「? いいえ。父はずっと何も教えてくれませんでした」 「なるほど、ロタリオ伯爵の最後の抵抗か。君、パーティーの出席有無はロタリオ伯爵に任せていただろう。王家主催のものにはすべて兄君が出られていたが」 「はい。王家の方々に会うには僕はまだ未熟だからと言われていました」  ティトの言葉に、エラルドは数度うなずく。 「この国の王太子殿下のことは知っているか」 「もちろんです。ディーノ・ブラックベン・アルファスト殿下は、幼い頃より才能に恵まれ、様々なことに挑戦しては極めておられました。そのため神童とも呼ばれており、十五歳で立太子された際のパレードでは、国民のすべてが集まったのではないかと言われるほどには人を集めた、支持も高いお方です」 「そう。で、そのパレードに君は参加したのか?」 「……参加したかったのですが、出来ませんでした。田舎に住むおばあさまがどうしても僕に会いたいと言って聞かなくて……王太子殿下のお姿を初めて拝見する機会でしたから、今でも心残りです」  このアルファスト王国の王族は、後継となる第一子をすべての厄災から守るため、立太子までは名前と功績以外の情報を一切秘めている。無事に立太子できると判断されたなら顔を出し、国民はそこで初めて未来の王を見ることができるのだ。  国民の間では後継争いやらが大変なんだろうと言われてはいるが、実際のところはそれがどうしてなのかは分かっていない。この辺りのこともゲームの設定ではなかったから、もしかしたら新設定なのかもしれない。 「君が戦争を予言したことは聞いた。あいつの動きは早かったぞ。まだ九歳の神童が勝手に調査を進め、外交について進言、結果以前よりも他国との関係は緩和され、海路も増えた」 「……え。え? 今は王太子殿下のお話をされているんですよね……? 僕が戦争の話をしたのはレンで……だけどレンはレナードという名前なので……」  いや、まさか、そんなわけ。そうだとしたらどれほど自分は絶望するのだろうかと、初恋を綺麗に終わらせられない可能性に、ティトは思わず頭を抱える。 「王家や、王家に代々仕えているフォルテルディア家には隠し名がある。俺の場合は、エラルド・ルーカス・フォルテルディア。あいつの場合は、ディーノ・レナード・ブラックベン・アルファストだ」  攻略対象は主人公のための存在だ。もし再会できたとしても、決してティトと結ばれることはない。前世を思い出したときから理解していたそんなことが、再会できる今になって絶望に変わる。  レンが攻略対象でなければ、卒業後に彼を探し出して改めて距離を縮めることも出来ただろう。しかし王太子殿下ともなると、そんなわずかな希望すら抱けない。 「す、すみません……その……僕、もう家に……」 「顔色が悪いが、大丈夫か」 「はい。……その、殿下のお名前も誰にも言ったりしません。きちんと立場も理解していますので。そのことがご心配で僕を呼び出したんですよね?」  早く解放されたいティトは、怯えながらもはっきりとエラルドに伝えた。エラルドの反応は微妙なものである。少し悩む素振りを見せ、エラルドはようやく口を開く。 「今回君を連れてきた目的は二つある。一つはディーノの隠し名を呼ばないようにと釘を刺すこと。もう一つは、俺の婚約者について」 「……こ、婚約者!? え、フォルテルディア先輩、婚約者がいらっしゃるんですか!?」 「フォルテルディア様と呼べと……まあいいが」  ニコラがアルファであるために、アルファであろうエラルドと恋人になるのは難しいかもしれないとはたしかにティトも最初に思った。しかしもしかしたらアルファ同士でもどうにかなるかもしれないという希望を抱いていただけに、エラルドに婚約者がいるという事実はティトに大きな衝撃を与えた。 (これでニコラの相手は限られてくる……最有力候補はやっぱりリオなのかな……)  ニコラの幼馴染ということもあり、気心も知れているようだった。親しすぎることは時に難点となりえるが、攻略対象が減っている今、そんなことも言っていられない。 「……僕にそれを話すということは、その婚約者の方は僕に関係のある方ということですか?」 「そうだな。今朝ちょうど言い合いをしているところが見えたからこうして……ん? しまった、タイムリミットだ。俺はもう行くが、」 「待ってください! 今朝言い合いをしていたってことは……」  時計を見て教室を出て行こうとするエラルドをなんとか引き留めたが、追うことも出来ないティトはただ立ち尽くす。エラルドは相変わらず何の感情も浮かばない顔で振り向いた。 「エレア・ジラルドには近づくな。彼は君のことになると厄介だからな」  アルファのエラルドと婚約者ということは、つまりエレアはオメガということか。さらに相手がエレアということは隠しルートという選択肢もなくなり、攻略対象が二人減ったということになる。 (もしかしたら、レンが相手になる可能性もあるかもしれない……)  諦めなければと思った矢先、目の前でレンがニコラと結ばれる可能性が高まった現実に、ティトはしばらく動けなかった。

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