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第7話

 翌朝。馬車の前でティトを待っていたルギスは、やってきた可愛いティトが自身に向ける目に少しばかり動揺していた。なぜだか何かを探られている。 「……ティト? そんな顔も可愛いけど、兄様傷ついちゃうよ」 「兄様に聞きたいことがある」 「なに!? ティトをそんな顔にさせてしまうようなことを兄様がしたかな!?」  ルギスのエスコートにもつんと顔をそらし、ティトは早々に馬車に乗り込む。これは一大事だと判断したルギスも慌てて飛び乗って、馬車はようやく走り出した。 「聞きたいことって? 兄様、なんでも答えるよ」  落ちた沈黙は重たい。ルギスは心配そうな表情を浮かべていた。 「……七年前、僕が階段から落ちた件だけど」 「ああ、突き落とされたやつね」  ルギスは間髪入れずに口を挟む。 「そういえば昨日の朝も絡まれたんだってな。言うに事を欠いて『おまえが嘘をついてるんだ』って言ってきたんだろ? 本当に信じられない。人の心なんかないんだろうな」 「……僕、そのときのことを知らないんだけど、どんな感じだったの?」 「どうしたんだよ、不安になったのか? あの日のことはよく覚えてるよ、国王夫妻の結婚記念パーティーの場で、俺とティトは手を繋いで二階のテラスに向かっていたんだ。そしたら一人で駆け下りてきたエレア・ジラルドが突然ティトを突き飛ばした。今思い出しても腹が立つ」 「そうなんだ」 「そんなことを今更、どうしたんだ。あいつに何を言われようが傷つく必要なんかないよ。みんな誰が悪者なのかは分かってるからね」  それからティトは何も言わなかった。ルギスは心配そうにしていたが、ティトは「大丈夫だから」と言うだけで、ずっと表情も暗いままであった。  ティトがそんな様子だったからか、学園に着いてからもルギスはしつこくはしなかった。待機していたベルノ―も拍子抜けするほど引っ付くことなく、ルギスは肩を落として職務室に向かう。 「どうしたのルギス先生。すっごい落ち込んでるけど」  ルギスを見送っていたティトの後ろからやってきたのはニコラとリオールだった。今日は一緒に来たらしい。  相変わらず容姿が強すぎるため、周囲の視線が一気に集まる。 「おはよう二人とも。ちょっと考え事してたから兄様の相手さぼっちゃった」 「それならまだ意地悪のほうがマシだったな」  リオールはそう言って眉を下げて笑い「あれはきっと引きずるな」と困ったように付け足した。 「で? 何考えてたの」  教室に着くと、二人は昨日のようにティトを真ん中にして席に座る。その途端に問いかけたのはニコラだった。隠すつもりもなかったティトは、机上をぼんやりと見つめながらも口を開いた。 「兄様に聞いたんだ。七年前のこと」 「だと思ったよ。昨日の今日で悩むことなんかそれだろうな」  ニコラの反対隣からつぶやいたリオールが「それで?」と先をうながした。 「リオの証言と違っていたところが少しあった。兄様が僕と手を繋いでいたことと、エレア様が駆け下りていたこと、そしてエレア様が僕を突き飛ばしたこと」 「俺が言ったことはあくまでも父が言っていたことだぞ。父もその場に居たわけではないし、父の発言は周囲の発言の平均値みたいなもんだ。目撃証言よりは弱い」 「……違和感があるんだ。ジラルド侯爵が、もう八歳になる息子が王家主催の、それも国王夫妻の結婚記念パーティーで走り回ることを良しとするわけがないんじゃないかって」  幸いにも周囲は賑やかである。入学二日目ということもあり、新しい環境に興奮も冷めないのだろう。三人が神妙な顔をしていても目立つことはなく、むしろ「真剣な顔も格好良くない?」などと、ティトの両隣はもてはやされている。 「……僕貴族に詳しくないんだけど、ジラルド侯爵ってどんな感じの人なわけ?」 「あー、王宮内でも陛下の割と近くで仕事してる大臣の一人だな。父が言うには、正論と頑固と忠誠で出来ているような堅物人間らしい。でもその性質があるからこそ信頼はされてんだと」 「ふーん。まあそんな人間なら、パーティーどころか家ですら走り回るのなんか許さないだろうね。ティト、よく知ってたね。どっかで会ったの?」  前世の記憶からエレアの背景を考えたときに弾き出された結論です、とはもちろん言えず、ティトは曖昧に笑い「噂でね」と言葉を濁す。 「それに僕、兄様と手を繋いでいたんだよ」 「落ちるときに離しちゃったんじゃない?」  ニコラが「普通に考えてそうでしょ」とでも言いたげにティトを見る。それでもティトは難しい顔をしている。 「だけど兄様、僕が転びそうになったときにはいつも手を引っ張り上げて、怪我をしないようにしてくれるんだ。落ちそうになったならなおさら、もっと強く握ったり、兄様なら一緒に落ちるとかするのかなとも思うし」 「ルギス先生なら絶対一緒に落ちるな、それは間違いない」  冗談交じりにリオが笑う。 「なんにせよ、兄様の証言をもう少し深堀する必要があるのかなって思うんだよね」 「ていうかティトさ、それを知ってどうすんの? ジラルドと友達にでもなりたいとか?」  ニコラの疑問は当然のもので、リオールも少し不思議に思っていたことだった。二人の視線がティトに集中する。しかしティトが答えようとした矢先、ベルノーが教室に入ってきたために話す空気でもなくなった。  その後も選択科目が分かれ、ティトはニコラとリオールとは別行動となった。周囲にはどことなく遠巻きにされ、けれどもじろじろと見られていたために話しかける勇気もなく、ティトの友人作りはなかなか進んでいない。  ティトは特別人見知りというわけではないが、自身をじろじろと見てくる相手に対してはどうしても好意的にはなれなかった。  しかしそれらは、けしてティトを拒絶している視線というわけではない。ただ、ティトにどうにも近寄りがたいというだけである。  なにせティトは学園で密やかに人気の高いルギスに溺愛されており、さらには騎士団長の息子として有名なリオール、そしてそのリオールと仲が良く、平民であるのにやけに目立つ容姿をしている主席入学のニコラをそばに置いている。ティト自身もロタリオ伯爵の秘蔵っ子として、まるで天使のような顔に儚げな雰囲気をしているものだから、どちらかと言えばみな興味津々ではあるが、どう声をかけて良いのかが分からず、結局不躾な視線を送ることしかできていない。これはもちろんティトのあずかり知らない話である。 「ティト・ロタリオ」  選択科目が終わり、教室に戻るため廊下を歩いていたときだった。一年棟で聞くにはおかしな声に、ティトはすぐさま振り向いた。 「フォルテルディア先輩、どうしてここに居るんですか」  移動している生徒で溢れる廊下は静まり返り、彼の近くには空間ができていた。相変わらずエラルドは不遜な態度で「来い」と続けると、それ以外にはなにも告げることなく踵を返す。 「え、ま、待ってください!」  ティトは遅れないようにと小走りに続くが、エラルドは気遣うことなく大股でどこかに向かっていた。「今度はあのエラルド様も」「本当に何者なの?」とティトのことを気に掛ける声がそこかしこから届くものの、ティトに振り返る余裕はない。 「あの、どこに行くんですか」  息を切らしながら聞いても答えてくれることはなく、ティトが学園の一角にある温室にたどり着いた頃には、すでに体力は残っていなかった。  どうして学園はこんなに広いんだ。そう思ったティトはすぐに、そういえばもともと貴族校だったと思い出す。 「連れてきましたよ」 「ティト! やっと会えた!」  温室には色とりどりの花が咲き誇り、真ん中にはテーブルが用意されていた。  ティトが顔を上げると同時、その人物はティトを強く抱きしめる。 「う、わ! え、あ、あのっ、」 「ティト、相変わらず可愛いね。ロタリオ伯爵が隠したがるのも分かるな」  なんとか彼の腕から顔を出したティトは、自身を見下ろす彼と至近距離で目が合い、その衝撃で瞠目のままに固まった。  白銀のストレートの髪に、赤い瞳。切れ長の二重の目と高い鼻、バランスの良い唇、どれもこれも、ティトが覚えている姿で間違いはない。この世界で一番の人気を誇るメインキャラクターである。  実物はこんなにも輝かしいものなのかと、ティトは思わず目を細めた。

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