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第9話

 レンとのランチタイムを終えたのは、昼休憩に突入してすぐのことだった。レンはにこやかにティトのことを聞いてくれて、ティトも気分が良くなっては、すぐに「この人は王太子殿下だった」と思い出し消沈する。どれほど仲良くなろうとも、どれほど焦がれようとも、ティトには手の届かない相手で、彼はニコラのための人である。 (忘れるってどうすればいいんだろう……)  初恋であり、その後も恋愛なんてしていないために、終わらせかたも分からない。 「おまえがオメガだって言いふらしてもいいのかよ?」  聞こえてきた唸るような声に、ティトはピタリと足を止めた。ちょうど裏庭を突っ切ろうとしていたところだった。ティトは反射的に角に身を隠す。  男子生徒が四人ほど見えた。裏庭にある清掃員用の掃除用具入れの前に一人が追いやられ、三人が詰めるように立ちはだかっている。 「隠してんだよなぁ? 黙っててやるから一発ヤらせろよ」 「発情期のセックスって最高なんだろ?」 「オレたちアルファじゃねえし孕まねえからいいよな」  詰め寄る三人の男子生徒が下品に笑う。追いやられた男子生徒を見て、ティトは思わず息を飲んだ。 「……どこからその情報を?」  慌てることなく返したのは、間違いなくリオール・イヴァーノである。 (リオがオメガ……!?)  騎士団長の息子である攻略対象がオメガということはありえない。見た目も明らかにアルファで、周囲も、そしてティトも彼がアルファであると疑ってすらいなかった。 (まるで、本当はアルファだったけど後からオメガになっちゃったみたいな……)  やはり戦争がなくなったことで、設定がすべてぐちゃぐちゃになってしまっているのだろうか。 「誰からとかオレたちが言うと思うか?」 「とりあえず発情期教えろよ、そんときに犯してやるからさ」  リオールは騎士団長である父から時折稽古をつけられているとはいえ、さすがに三人相手では劣勢である。ティトは助けを呼びに行かなければと足を引いた。  しかし。 「あー、気分わるっ。オメガオメガって、ほんっと脳まで性欲に侵されて可哀想な人たちだね。オメガが劣等種? まさかね、絶対ベータでしょ」  トゲトゲとした声が聞こえ、ティトは動きを止める。  やってきたのは、ティトとそう体格の変わらない、三人の男子生徒よりもうんと小さく華奢なエレア・ジラルドだった。 「あ? んだテメェ……」 「頭だけじゃなく耳も悪いんだ? 劣等種に開く体はないって言ってんの」 「言わせておけば、」 「殴ってみなよ。この体も好きにしたら? ただし僕のお父様がそれを許さないだろうね。ジラルド家はこの学園にも多額の寄付をしてるんだよ。すぐに家ごと潰してあげようか?」  胸ぐらを掴み上げられてもなお引かないエレアの態度に、男子生徒は舌打ちをして怒りをあらわにその場を去る。ティトの出る幕もなく、一瞬で片付いてしまった。 (エレア様すごい……! 格好いい!)  やはりどうにかしてお友達になりたいところ。しかしエラルドから近づくなと言われてしまってはどうにもできない。エラルドはレンが居なければ攻撃的だし、ティトも進んで確執を深めたいわけではない。 「大丈夫だった?」  エレアが親しげにリオールを見上げる。  二人が親しいと言う新しい情報を得て、ティトは注意深く観察していた。 「ああ、悪いな。……どこからか漏れたみたいだ」  リオールはオメガであると突きつけられた動揺からか、うまく笑えていなかった。 「……ありえないよ。イヴァーノは細心の注意を払って行動をしていた。家族が漏らすことも考えられない。誰かが意図的に貶めようとしたとしか思えないね」 「父に恨みのある人物とか?」 「調べる必要がある。……幼馴染のニコラ・ユリスは無事なの?」 「? ああ、無事ってか、ニコラは普通に元気だけど……?」  エレアが何かを考えるように腕を組む。リオールは心配そうに「なんだよ?」とエレアの考えていることを気にしているようだ。 「ティト・ロタリオが怪しいと思ってるんだ」 「……ティトが?」  自身の名前が出て、ティトはますます角の奥で小さくなった。 「七年前、僕は冤罪をかけられた。階段からロタリオを突き飛ばしたんだってさ」 「……ああ、その件か」 「そのあとも嫌な噂が付きまとったんだよ。意図的に誰かが僕の悪評を流していたとしか思えない。そしてイヴァーノも漏れるはずのない情報が漏れた」 「だけど俺がオメガだってことをティトは知らない。考えすぎだよ、偶然だ。ジラルドはティトと昔からそういう関係だったから疑っちまうのは分かるけどさ」  エレアは腑に落ちない顔をしてリオールを見上げる。 「ティトもあの事件はおかしいって前に言ってたぜ。ティトなりに調べてるみたいだ。ジラルドと友達になりたいんじゃないか?」 「なれるわけないだろ、僕を貶めようとした人間となんて」 「ティトじゃないかもしれないだろ」 「僕がティト・ロタリオを疑うのはほかにも理由がある。これに関しては陛下やブラックベン公爵も関わっているから深くは言えないけどね。もしかしたらティト・ロタリオは国家反逆者かもしれないんだ」 「……はあ? いやいや、そんなわけ、」 「信じられないのも無理はないし、信じなくてもいい。今の段階で僕から言えることは何もないしね。今のは口外しないでね」  エレアは不機嫌そうに顔を背け、リオールを置いて校舎に向かう。取り残されたリオールはやはりオメガと漏れていたことがかなり尾を引いているのか、困った様子でその場にずるずると座り込んだ。  この場面で声をかけるなんて出来ないティトも、見つからないようにとひっそりと教室に足を向けた。 (僕が国家反逆者……!?)  そんなはずはない。ティトはそんなことを考えたこともないし、もちろんそんな行動をしたこともない。しかし国王と公爵の名前も出していたから、エレアの勘違いとも考えにくいだろう。  ともすれば、ティトは現在も国から疑われ、調べられているということである。 「……もしかして、それでさっきレンも僕を呼び出した……?」  昔馴染みであるとはいえ、王太子殿下が特定の誰かと授業を休んでまで会話をするのはおかしいのではないだろうか。本当は何かを確認したかったか、あるいはティトの気付かぬ間に何かを確認されていたのか。 (ち、違うのに……僕は何も……)  ティトは少しだけ早足に教室に向かう。  ひどく気が急いていた。リオールがオメガであったこと、そしてエレアとリオールが親しげであること、さらには自身が疑われているという驚きが重なり、心臓がひどく騒がしい。 (全部全部設定になかったことだ……やっぱり何かがおかしい。僕なんて、誰かから疑われるほど目立つような存在じゃなかったのに……!)  もしかしたらここは、ティトの知る世界ではないのではないか。  ふとよぎった可能性に、ティトは思わず眉を寄せる。  ティトが生きているのはゲームの世界でも、「主人公が恋をするための世界」でもなく、ただのティト・ロタリオという人間が生まれただけの世界で、ゲームに似ていたからティトがそうだと思い込んでいるだけなのではないだろうか。 (だけど殿下が言うには戦争は起きそうだったって……類似点もあるけど、まったく違うものってこと……?)  それならばティトは当て馬などではないし、むしろ今は物語などは考えず、今のこの状況をどうにかすべきなのかもしれない。  エレアの事件と、リオールの件。ティト自身、違和感を抱いている。 「……そうだよ、レンのことも気になるし……」  ——ティトの知る物語だったら、私もとても幸せだったと思うな。  この世界とゲームの世界が違うと認識しつつある今なら、レンの言葉にもうなずける。彼もきっと、エレアやリオールのようにこの世界で生きづらさを覚えているのだろう。 「……怪しいのは誰だろう……どうすれば……」 「怪しいってなんの話?」 「うわ!」  あまりにも気配なく近くで声がして、ティトは大袈裟に跳びあがった。背後に立っていたニコラもそれに驚いたように肩を揺らす。目をまん丸にして、不思議そうな顔をしている。 「ごめん、そんなに驚くと思ってなかった」 「あ、いや、うん、僕こそごめんね。……一人? どこかに行ってたの?」  教室にもう少しという廊下で声をかけられたために、ティトはニコラが一人でいることに少々違和感を覚える。しかしニコラは「何言ってんだ」とでも言いたげに呆れた表情を見せた。 「ティトがさっきの授業帰ってこなかったから探してたんだよ。しかも先生に聞いてみたら、あのエラルド・フォルテルディア先輩と一緒だから大丈夫だって……」 「……フォルテルディア先輩って、やっぱり有名だよね?」 「僕は詳しくないけど、リオが詳しいからね、いろいろ聞いたよ。未来の国王の右腕なんだよな? というか、なんでそんな人がティトを?」  実は王太子殿下と知り合いで、殿下に呼ばれたから迎えに来たんです、とはもちろん言えるはずもない。ティトは少しばかり回答に悩むと、「迷子になったついでにいろいろ教えてもらってたんだよ……」と苦し紛れにつぶやいた。 「……ねえニコラ、僕、やっぱり七年前の事件を調べようと思うんだ。一緒に考えてくれないかな」 「七年前? ああ、朝話してた、ジラルドがティトを突き飛ばしたってやつか」  考える素振りを見せたニコラは「だからさっき怪しいだなんだって言ってたんだな」と納得している。 「んー、まあ調べようと思えば伝手はあるけど……何、やっぱり友達になりたいとか?」 「……できればそうなりたかったけど、でももうなれないかも。それでもさ、このままだとエレア様に不名誉な噂が付きまとったままになっちゃうから」  ニコラがさりげなくティトの背を押し、教室へと戻る。あまりにさりげない仕草だったが、ティトが少し遠くに目をやると、エレアの姿があった。  教室の一番奥に二人並んで腰掛ける。昼休憩である今の時間は、教室内もなかなか賑やかだ。 「よく分からないけど、いいよ、乗った。それならリオも呼んで、」 「リオは呼ばないで。二人で話を進めたい」  幼馴染であり信頼を寄せているリオールを拒絶されたことに、ニコラは素直に驚きを示していた。 「……なんだよ、なんかあった?」 「その……見ちゃったんだ。リオとエレア様が親しげにしてるところ。エレア様は僕が七年前の事件を吹聴したって疑っているし、リオにもそう伝えてた。リオを信じられないわけじゃなく、こちらの動きをエレア様に漏らされたら困るなって」 「あー……なるほど?」 「七年前の件、兄様からは良い証言をえられなかったし、あのときに側に居た人に話を聞くことが出来れば早いんだけど……」  ティトは落ち着くために一度水分を口に含もうと、近くにあったケータリングのようなコーナーから水差しとグラスを持ってきた。このコーナーはクラスに一箇所は必ず用意されており、定時刻には必ず交換がおこなわれている。 「っても、聞き込みは無駄そうだけどな。リオも言ってたけど、目撃者はいないんだろ?」 「そうだね……」  神妙な面持ちで水を飲むティトを見ながら、ニコラが「んじゃあ調べるっても何から」と言い出したところで、ティトが動きを止めた。  それは突然時を止めたかのような、不自然な仕草だった。 「ティト? どうした?」  ガチャン、と、ティトの手からグラスが落ちた。大きな音を立ててテーブルに落下したそれは、転がって床に叩きつけられ、無残にも弾ける。  昼休憩で賑わっていた教室の目が一気にティトに集まる。ティトは真っ青になって震えていた。 「おい! 全員今用意されてる水は飲むなよ! ティト、医務室に行くぞ!」  ニコラがティトを支えたときにはもう、ティトの意識はほとんどなかった。

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