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第10話
「おお、助かるよユリス。悪いな」
ティトがふと目を開けると、うっすらとしたレースカーテンの外に人影が見えた。どうやら医務室のベッドに寝かされているらしく、レースカーテンが閉められている。
声からして、今話したのはベルノーだろう。てっきりルギスが居ると思っていただけに、ティトは少し意外だった。
「ティトの様子はどうすか」
「どうだろな、ロタリオ、起きたかー」
シャッと勢いよくカーテンを開けられると、思った通り、ベルノーとニコラがベッドを覗き込んでいる。
「起きてんじゃん! ティト、体調どうだ?」
「……うん、大丈夫。鞄持ってきてくれたんだ」
ティトは上体を起こし、ニコラが持っている鞄を受け取って枕元においた。ニコラに続いてベルノーもベッドサイドに立つ。
「大丈夫なら今日はもう帰れ。ルギスは先に帰してるからな。さっきまでここで泣いて喚いて煩かったから、もしかしたら帰ってからも鬱陶しいかもしれないが」
「ああ、それで兄様が居ないんですね」
「あいつはロタリオのことに関して重症だからな。実は今までも、暇さえあれば教室に確認しに行ってんだよ、止めても聞かねえし。まあ、ひとまずオレは職務室に報告に戻る。ユリス、おまえも付き添うなら午後休んでいいぞ」
言い残してベルノーが立ち去ると、ニコラはさっそくティトに振り向く。
「あの水差し、毒が入ってた」
やけに真剣な面持ちで、嘘をついているようには思えない。
ニコラの言葉に、ティトはぎゅうと眉を寄せる。
「……クラスの水差しに? 誰がそんなことを?」
「水差しは昼休憩の合間に一度変えられたらしい。ただし、入れ替えた担当者は自分が入れたわけではないから知らないと言い張ってる。誰が何の目的でというのが分かってないんだ」
「本来、水を入れるのは誰の役目なの?」
「給仕室の誰と決まっているわけではないってさ。水差しは休憩時間ごとの交換、職務室から各教室すべてを取り替えるって」
「そっか……じゃあ僕が狙われたわけじゃないんだね」
ホッと息を吐くティトを見て、ニコラが少しばかり考えるような間を置く。
「……もしかして、疑われてるってこと気にしてる?」
「え? あ、まあ少し。僕が何かをしていたならいいんだけどね、思い当たる節がないから気になってて……」
それも、国家反逆罪と言われたら落ち着いてもいられない。
国王や公爵でさえ疑っているのならエレアの妄言でないことは明らかである。ティトには心当たりがないし、誰に何をすれば疑いが晴れるのかも分からなかった。
「大丈夫だよ。ティトがそんなことしないって僕は分かってる。僕と一緒に疑いを晴らしていこう」
「うん。ありがとう、ニコラ」
ティトが生きているということは、致死量には至らない毒が盛られたということだ。つまり殺すことが目的ではなかったということである。
(どうして僕のクラスに……)
「ティト、立てる? 屋敷まで送るよ」
「いや、いいよ。一人で帰れる。帰った途端に兄様がうるさいだろうしね」
もう元気だよとふらつくことなく立ってみれば、ニコラも安堵したのか「ならよかった」と困ったように笑った。
ティトが伯爵邸に戻ると、思った通りルギスが真っ先に抱きついた。いつから泣いているのか目は真っ赤になり、擦りすぎたのか少し腫れているようだった。
「悪かったティトー! 俺が守れなかったからー!」
「ティト! あなたもう学園を辞めてしまいなさい! 母様は心配でなりません!」
ルギスに抱きつかれて玄関ホールで動けないところに、ユリアーナもやってきた。ユリアーナもルギスに負けず劣らず泣いており、声なんかかすれていてかろうじて何を言っているのかが分かる程度である。
ティトはひとまず二人を引き連れてドローイングルームへと向かう。二人は気にしていないのかティトについて歩きながらそれぞれが好き勝手ティトに語りかけている。ティトは一切無視をしていた。
「おかえり、ティト」
「父様! た、ただいま戻りました!」
現在出張中だと聞いていたから、まさかエミリオまで居るとは思わず、ティトの声はつい上ずってしまった。エミリオの前だからかルギスはティトから離れ、ユリアーナも大人しくエミリオの隣に腰掛ける。ティトもそれにならい、ルギスと共にエミリオの前のソファに腰掛けた。
「ちょうど王宮に居てね、ティトが学園で倒れたと聞いてすぐに戻ってきたんだ。体は大丈夫かな?」
「はい。後遺症もありません」
「そうかい。……ユリアーナ、ルギス、少しティトと二人で会話をさせてほしい」
「な! 父様! 俺だってまだティトと再会を味わいたいです!」
「そうよエミリオ様!」
「すぐに終わるから」
何を言おうともエミリオには敵わない二人は、渋々ながらにドローイングルームから撤退した。結果は分かりきっているくせに一度抵抗するのはきっと、たまに「ならいいよ」とエミリオから許可が下りることがあるからだろう。
「ティト、学園が嫌になったなら辞めてもいいんだよ」
エミリオの提案に、ティトは首を緩やかに横に振る。
「……僕の知らないところで何かが起きている気がして気持ちが悪いので、辞めたくありません」
「だけど次は死んでしまうかもしれない」
「何が起きたか聞いたんですか?」
「もちろん。ちょうど陛下のそばにいたからね、王家の『耳』は早いんだ」
ティトが少し黙ったのを見て、エミリオは微かに首を傾げる。
「どうかしたかな?」
「いえ。……父様、学園に入学する前にした約束を、早めても良い許可をください」
「……早める?」
学園に入学する前の約束を思い出そうとしているエミリオを前に、ティトは自身のペースで会話を続ける。
「結婚をするという話です。学園を卒業してからと言っていましたが、僕が僕の疑惑を晴らすことができたときに、在学中であっても学園を辞めて結婚をする許可をください」
真っ直ぐに射抜くようなティトの目を見て、エミリオは驚いたように瞠目した。ついで探るように見るが、ティトが目を逸らすことはない。
「……疑惑とは?」
「分からないなら良いです。こちらの話ですので。……僕はとにかく、ここでひと踏ん張りして、あとは幸せに暮らしたいんです」
「うーん……そうだなぁ……」
どうにも折れなさそうなティトを見て、エミリオがとうとう頭を抱えた。何やらぶつぶつと「前に報告したら構わないとは言われたけど」「機嫌が悪くなったな」「一旦相談が必要か」などとつぶやいている。ティトにはエミリオの言葉の意味は分からなかったが、エミリオに反対をされようとも意思は変わらないため、駆け落ちをしてでも結婚をする気持ちであった。
「……分かったよ、ティト。ただし相手のことは私にも教えてほしい。ティトはまだ若いし心配なんだよ」
「分かりました、約束します」
無事エミリオから了承を得たティトは、やはり悩ましいエミリオを尻目に、今日の事件に触れないようなどうでもいい話をエミリオに聞かせた。
その日はルギスがあまりにも離れず、十五歳というのに一緒のベッドで眠ることとなった。何を言っても離れないし、引き離そうとすればするほど泣いて喚くため、あまりに哀れで折れたというのが正しい。
年々、ルギスのブラコンが悪化している。ティトは無事結婚できるだろうか。
「……兄様さ、最近変だよ。学園の先生にまでなっちゃって……時間さえあれば僕の様子を見に来てるってベルノー先生困ってたよ」
「あいつ、ティトには言うなって言っといたのに……」
ティトにピタリと張り付いてベッドに横になっているルギスが、憎々しげに重たくつぶやく。
「僕、そんなに心配かけてる?」
「……そんなんじゃない。兄様はおまえを守りたいだけなんだ」
「何それ、変なの」
「変なもんか。……俺はね、ティト。何もできずに見ているしかできないなんて、そんな悔しい思いをしたくないんだ。だからティトのことで、ああしとけば良かったとか、そんな後悔をしないために動きたいんだよ」
ルギスにそんな思いをさせるような過去があった記憶はないが、ルギス自身、何か思うところがあるのだろう。
ティトは少し不思議だったが、睡魔には勝てず、結局「そうなんだ」というティトの返事でその会話は終了した。
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