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第11話

 ティトが毒を飲んだという噂は、一日で学園に広がっていた。ティトが被害にあったためか、「誰が飲んでもおかしくなかった水差しに仕込まれていた」という情報はどこかで風化し、すっかり「エレア・ジラルドがティト・ロタリオへの嫌がらせをした」と言われていた。これには居心地も悪く、同情をされるたびに違うのだと否定をするのだが、何を否定しようとも「庇う必要なんかないよ!」「怖いのは分かるけどね」と言われてしまうのがさらに心苦しいところである。 「はー、もう僕のことは放っておいてほしい……」  教室に着く頃にはティトはすっかり疲弊し、テーブルに突っ伏していた。  いつものようにやってきたニコラとリオールも気遣うように、ティトの両隣からティトの背をさする。 「昨日のは仕方がないね、なにせ大事過ぎた」 「ティトが無事で良かったよ」  ニコラもリオールも相変わらず優しいのだが、ティトにはなんとなく、リオールの言葉が信じられない。 (心の中では僕のこと嫌いなのかな……)  エレアを前にティトのことを悪くは言っていなかったが、実際どう思っているのかは不明である。 「ティト? 俺の顔になんかついてるか?」  あまりに見られていたからか、リオールが気まずげに眉を下げる。ティトを挟んで座っていたニコラは何も言わなかった。 「あ、ごめん、なんでもない。……リオって、貴族にお友達とかいるの?」 「貴族に? まあそうだな、父の仕事が仕事だから。昔こそ鍛錬についていけなかったけど、今ではそれなりにやれるし。でもやっぱ、俺よりニコラのほうが才能ありそうなんだよなぁ」 「……ニコラも騎士団長の鍛錬受けてるの?」 「ん? ああ、まあたまに。騎士団長の鍛錬っていうよりは、騎士団の鍛錬だね。僕なんかはリオのおまけだから、肩身狭いもんだよ」 「何言ってんだよ、俺より友達多いくせに」 「だって鍛錬ばっかじゃ退屈じゃん」  ニコラが言っていた「ツテがある」とは、騎士団に知り合いが居るから、ということなのかもしれない。平民であるというのに、やはり主人公補正というやつなのか、ニコラはなかなか運がいいようだ。 (騎士団に知り合いがいるなら、七年前のことも詳しく知ってる人がいるかも) 「にしても、翌日に来て大丈夫だったのか? 休んでも良かったのに」 「ありがとうリオ。だけど毒は致死量でも無かったし、後遺症もないから」 「へえ、そうだったのか。それなら良かったけど、無理はするなよ」  リオールの大きな手がティトの頭を優しく撫でる。これでオメガというのだから、将来リオールの番になる相手はなかなか大変である。リオールがオメガだと知らなければ、我慢していてもうっかり好きになってしまったかもしれない。  周囲の羨望の眼差しが痛いなと、ティトがそれとなくリオールの手を避けようとしたとき、ティトを追い越して軽く引き寄せる腕によって体が傾いた。  背後でたくましい胸にキャッチされる。本来ならティトと変わらず華奢であったはずなのにと、なんとなくそんなことを思ってしまった。 「リオ、だからおまえは近いんだって」 「……そっちのほうが近いぞ?」 「僕はいいの」  残念ながら、主人公であるニコラもティトの守備範囲ではない。むしろリオールよりもときめきは少ないから、こうして背後から抱きしめられるような体勢になろうとも好きにならないようにと頑張る必要はない。 (……僕の青春はどこに……)  ティトも卒業まで、いや、ティトへの疑いが晴れるまでには結婚相手をみつくろう必要があるために、あまり二人とばかり話してもいられない。  ニコラに頭をわしわしとかき混ぜられるのをされるがままにしていると、リオールが「ずりー」と眉を下げて笑った。 「そうだティト、ちょっと話あるから時間ほしい」  ニコラに唐突に言われたが、ティトはすぐに昨日のことだとピンときた。リオールが居るために濁すしか無かったのだろう。リオールは「なんだよ二人して、隠し事か?」と面白くなさそうにしていたが、ティトは「そんなんじゃないよ」と曖昧にしか答えられなかった。  ティトはその日一日、どこに行こうとも注目の的であった。視線が常にまとわりつき、落ち着いて過ごすこともままならない。  昼休憩に入る頃には無駄に体力も削られ、レストルームに寄っていたティトは視線を浴びながらもぐったりと廊下を歩いていた。  これ以上は目立ちたくない。これ以上はそっとしておいてほしいと、ティトが神様に初めて祈ったというのに、そんな希望は儚くも打ち砕かれてしまった。 「ティト・ロタリオ。行くぞ」 「うわあ!」  気配もなく突然現れたエラルドが、強引にティトの腕を掴み引っ張って歩く。  とんでもなく目立っていた。なにせティトを引っ張っているのはあのエラルド・フォルテルディアだ。目立たないわけがない。  ティトはなんとか腕を振り解いたが、ちらりと振り向いたエラルドの眼光の鋭さに逃げ出すこともできず、大人しくついて歩くことしかできなかった。 「今度は何の用事ですか」  周囲に聞こえないようにと小声で問いかける。 「ディーノが呼んでるんだ、でもなければ来るはずがないだろ」  少し怒り気味に言われ、ティトの心臓がひゅっと冷えた。しかしすぐに違和感を覚える。 「……フォルテルディア先輩はその……殿下のことを特別な名前で呼ばれないんですね」  レンはエラルドのことを「ルカ」と呼んでいるのに。思ったことを素直にぶつけてみたのだが、エラルドは横目にさらに鋭い視線を向けた。 「その話は外ではするなと言ったはずだが?」 「ヒッ! いえ、その……気になって……」  間がもたないからと思ったことを聞いてしまったのがいけなかったようだ。ティトはもう何も聞くまいと口を閉じ、エラルドから目を逸らす。  しかし、少しばかり背後に続くティトを気にする素振りを見せたエラルドは、「まあいい」と、先ほどよりもトゲの抜けた声で言葉を続けた。 「……俺の名とディーノの名では重みが違う。俺たちフォルテルディア家は代々王家に仕えているからディーノが俺をその名で呼ぶのは当然のことだが、逆はありえない」 「え、だけど……僕は……」  フォルテルディア家の人間ですら呼ばない名前を教えられたのだが、と、そんなことを言いかけて、また睨まれるかもしれないと口を閉じた。エラルド相手には地雷が多いため、好奇心で首を突っ込むことがいけないことだともティトはよく分かっている。  フォルテルディア家の忠誠心とやらは、ティトが思う何倍も大きなものなのだろう。  途端に黙ったティトをどう思ったのか、エラルドは重たい沈黙のあと、軽く息をはいた。 「……王家のその名は特別だ。君にその覚悟があるか」 「……覚悟? ですか?」  そんなことを言われても、ティトは何も知らないうちにその名前を教えられただけである。 「いや……君にあいつは重いかもな」  エラルドがそれきり何かを言うことは無く、ティトはまたしても例の温室に連れられていた。  前回と同じく、温室の真ん中にテーブルが用意されている。すでに座っていたレンはティトを見つけると嬉しげに立ち上がり、すぐに駆け寄ってきた。レンが到着する前にはエラルドがティトの前から退いていたのはさすがと言うべきである。 「ティト、ごめんねまた呼び出して」 「いえ。僕は大丈夫です。何かご用でしょうか」 「んー、そうだね。昨日ティトが毒を盛られたって聞いてね、心配だったんだよ」 「あ、あれは違います! 僕が狙われたわけでは無く、愉快犯の可能性があって……」 「うん、聞いている。どうぞ座って、また一緒にランチを楽しもう」  レンにうながされるまま、ティトはまたしても彼の正面に腰掛けた。  レンはどうしてこんなにもティトに構うのだろうかと、そんなことがふと気になった。もしかしたらレンはティトのことを気に入っているのだろうか。一瞬だけそんな期待が首をもたげたが、すぐに違うと首を振る。王太子のレンはこれまでに極上の者ばかりに触れてきたはずだ。そんな極上を知る中で、わざわざティトを選ぶはずがない。  それならば。  ——これに関しては陛下やブラックベン公爵も関わっている。  かつてエレアが言っていたように、レンもティトを疑っているのだろうか。 (僕を監視してるのかな。……それとも、ボロを出させようとしてる……?)  ティトが国家反逆者である証拠を探してでもいるのか。 (もしかして、この間の毒も本当は僕を狙った……?)  疑わしきを罰するために、殺されかけたという可能性もあるのだろうか。クラス全員で使う水差しで一人を狙うなど不可能であると分かるのに、今はすべてが敵に思える。  いつから疑われていた? エレアの口ぶりではここ最近というふうでは無かった。ともすればレンも昔からティトを疑っていたということになる。ティトの何がそう思わせたのだろうか。もしかしたら、幼い頃に会いにきてくれていたときからすべてが始まっていたのかもしれない。  ティトが目を伏せると、テーブルに用意されたランチが見えた。  目の前に用意されたものは、果たして口に入れても良いのだろうか。 「ティト? どうした?」  レンの落ち着いた声ではたと我に返った。弾かれたように顔を上げる。ティトの様子がおかしいことに気付いたレンは、訝しげに眉を寄せた。 「……何か、よくないことを考えてた?」  しまった、また疑われたかもしれない。  レンの表情から危惧したティトは、すぐさま首を大きく横に振った。 「すみません、ちょっと昨日の事件を考えていて」 「そう、昨日のね。災難だったね」 「……そう、ですね。災難でした」  ティトは注意深くレンを見ていた。しかしいつもと変わらないように思える。普段通りに接するとはさすが王太子殿下である。 「……父が、昨日王宮に伺っていたと聞きました」  紅茶を楽しみながら、レンは目線だけで続きをうながした。 「父はどうして、陛下に呼ばれていたのでしょうか」 「……なぜ呼ばれたと思うの? 伯爵がそう言っていた?」 「いえ、父は口が固いので自分のことを話しません。陛下とのことなら尚更です。ただ、父が帰ってきてすぐに、僕に毒の件を話しました。どうして知っているのかと聞いたのですが、『陛下のそばにいたから』と。父が陛下に会いたいなどと言って会えるわけもないので、呼ばれたと考えるのが妥当です」 「はは、なるほどね。ティトはすごいな、ちょっとの隙も見逃さない」  レンは含みなく笑う。それが本音と建前どちらの笑顔なのか、ティトには分からない。 「私も聞いたよ、ティトは早く結婚をしたいんだってね」  話を逸らされた。ティトはすぐに気がついた。しかしここでレンが振った話題を流すという不敬を犯すことはできず、すぐに「耳が早いですね」と苦笑を漏らす。 「どうして早く結婚がしたいの?」 「僕の前世で見たこの世界での僕は、誰とも結ばれませんでした。僕も誰かと結ばれたいと思ったんです」 「……そんなに焦らなくても、ティトは素敵な人だから、きっと誰かと幸せになれるのに」  なぜか寂しそうにそんなことを言うレンの様子は、ティトを疑っているようには思えなかった。ティトは彼の背後に立つエラルドを伺う。エラルドは興味もなさそうで、ティトと目が合うとピクリと眉を揺らす。しかしティトが目を逸らしたため、深追いされることはなかった。 (そういえば、レンは昔から人のことばっかりだ)  あまり自分のことを話さないし、いつもティトのことばかりを知りたがっていた。当時もティトの幸せを考えると言ってくれていたが、それは今も変わらないらしい。 「殿下は幸せになれそうですか?」  それまで微笑んでいたレンの表情が、なぜか突然固まる。 「……どうして?」 「あ、いえ、昔から殿下は僕の幸せを考えてくれていましたけど……その、ご自身のことにはあまり触れないと言いますか、あまり話されないので、少し気になって……と言っても、本当に何気なく考えていただけなんですけど」  どうしてこんなことを言ってしまったのだろうか。  レンはティトを疑っている。ティトが国家反逆者なのだという目で見ている。初恋は過去の話だ。叶わないものだと諦めたし、今更思い出すことほど馬鹿らしいことはない。  レンの美しい赤の瞳がティトを真っ直ぐに射抜く。ティトはなんだかひどく恥ずかしく思えて、誤魔化すように紅茶のカップを持ちあげた。 (……そもそもレンは王太子殿下で、こうして一緒にランチをしてくれるのだって僕のことを疑ってるからなのに。本当、無駄な気持ちすぎる……)  レンから感じる視線に、心臓がぎゅうと締め付けられる。  しかし引っ張られないようにと、ティトは軽く首を振った。 「私のことはいいんだよ。私は、ティトが幸せであればそれだけで」  少し照れくさそうな笑みだ。嘘には思えない。エラルドは考えるようにティトを見下ろしていたが、すぐにパッと目を伏せた。 (そういえば以前にも、僕が前世で見た世界なら自分も幸せだったって言ってたっけ……)  それはつまり、今のこの世界ではレンにとって幸せとは思えない要素があるということだ。  気にはなるが、聞いたところで教えてもらえるとは思えない。そもそもティトがそれを聞いて、どうしようというのだろうか。 (無駄だよね、全部……)  身分以前に、攻略対象であるレンはきっと、ティトと結ばれる運命ではないのだから。  ティトがセンチメンタルな気持ちにふけっていると、エラルドが背後から素早くレンの鼻を手で覆った。同時にティトも立ち上がり、エラルドが気にしている方向へと目を向ける。レンは何が起きたのかあまり理解していないようだ。 「……ヒートだ」  間違いない。オメガのフェロモンが香っている。しかし温室内だからか強烈なわけではなく、鼻を手で覆うだけでも防げる程度である。 「少し我慢してください」 「ああ、うん。私は大丈夫だよ」  エラルドに鼻を覆われながらも、レンはにこにこと微笑み落ち着いていた。 「あの、僕様子を見てきます! ヒートのオメガがアルファの人に襲われていたら大変なので!」 「だけどティト、君が襲われたら、」 「僕は大丈夫です! 武器を持っていきます、またお話させてください、失礼します!」  矢継ぎ早にそう言って、ティトはフェロモンをたどって駆け出した。  取り残されたレンとエラルドは、互いに目を見合わせる。 「……やけに構いますが、彼に|話す《・・》予定などはあるのですか?」 「ああ、ないよ。……私は、ティトが笑っていてくれたらそれで良い。この時間だけで充分だ」 「隠し名まで教えておいて、『そのつもりはない』ですか」  エラルドに口と鼻を押さえられたまま、レンはやはり困ったように笑いながら「私はただティトに幸せになってほしいだけだよ」と小さな声でつぶやいた。

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