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第12話

 ティトが匂いを追っていると、ひと気の少ない校舎裏にたどり着いた。きっとヒートになったオメガがひと気のないところに逃げたのだろうと結論づけて、早く助けなければとティトはその姿を探す。  やがて背の低い樹木が生い茂るスペースに、動く人影が見えた。ティトはそれを目ざとく見つけ、すぐに「大丈夫ですか!」とその場所を暴く。 「う、わ! び、くりした……なんだ、ティトか……」  苦しそうな呼吸を繰り返し、頬を紅潮させていたのはリオールである。  今はフェロモンをある程度調和できるチョーカーすら意味をなさないほど、匂いを強く振りまいていた。 「リオ……! どうしよう、僕抑制剤が教室にある……一人で待たせるのも心配だし……!」  ティトはひとまず自身のブレザーを脱ぎ、リオールの肩にかける。 「悪い、ティト……俺、オメガでさ、ちゃんと管理、してたのに……」 「そんなことどうでもいいよ! 僕が見つけられて良かった。辛いだろうけど、僕がなんとかするから!」  なんとかすると言っても、抑制剤は教室。そして誰かに連絡を取る手立てもない。エラルドが気を利かせて教師に知らせてくれたならなんとかなるかもしれないが、レンにのみ従う彼が見知らぬ誰かのために動くことはまずないだろう。  ティトは自身のチョーカーも外し、リオの首につける。気休めだが、少しでもフェロモンを抑えられないかと思ってのことだった。 「僕、教室まで全力で走るから、それまでなんとか、」 「この辺だって! やば! オメガのヒートだろこれ!」  大きな声が聞こえた。葉の隙間から校舎裏を覗くと、目をギラつかせたアルファの男子生徒が二人、必死にオメガの匂いを探していた。 「ティト、逃げろ。俺は強いから、この状態でもなんとかなる」 「放っておけるわけないでしょ。……大丈夫だよ、リオは僕が守るから」  とはいえ、何かが出来るわけでもない。ティトは隅っこに落ちていた大きめの石を二つほど握り締めて、リオールを庇うように前に出る。 「ここだ」  ガサ! と目の前の葉が開かれた。  少し前のリオールもこの絶望を味わったのだろうか。そのときは現れたのがティトだったから良かったものの、今回はアルファが二人、ラット状態で立っていた。 「うわ、まじか、可愛いじゃん……こっち来いよ」 「離して! あっちいけ!」  男子生徒はどうやら、ヒートを起こしているのはティトであると思い込んだようだ。  ティトが石を投げるが、ぶつけられた男子生徒にはまったく怯む様子がない。 「ティト、もういい、俺が、」  リオールがふらつきながらも立ち上がる。ヒートを起こしているのがリオールだと気付き、オメガらしからぬ体格に一瞬怯んだ男子生徒たちは、すぐに嫌な笑みを貼り付けた。  男子生徒の手がリオールに伸びる。ティトはそれを乱暴に弾き、リオールを守るように抱きついた。 「どっか行け! リオに触るな!」 「何してんだおまえら!」  男子生徒の手がティトに触れたところで、大きな鈍い音ののち、二人の体がぐらりと傾く。気絶させるほどの一撃を与えることができるなんてと、ティトはおかしなところに感心してしまった。 「ニコラ! どうしてここに!」  二人の前に立っていたのは、ラットに入りかけのニコラだった。なんとかふらつきながらもリオールに抑制剤を渡す。 「どうしても何も、リオを探してたんだよ! てかおまえさあ! 抑制剤ぐらい持ち歩け!」 「悪い、管理だけはしっかり……は、ニコラ、離れてろ、」 「僕はおまえと違ってちゃんと抑制剤飲んでんだよ、安心しろ」  リオールはようやく抑制剤をのみ、ニコラが来て力が抜けたのかそのまま倒れ込む。  ニコラも辛そうだが、なんとか堪えているようだ。ティトは必死にリオールの背をさすり、なんとか楽にならないかと試みていた。 「……オメガだって、隠してたのに……」  リオールが独り言のようにつぶやく。  膝を立てて座り、そこに顔をうつむけていたニコラは、荒い呼吸を繰り返しながらもハッと短く息を吐いた。 「別に、知ってたっつの。……だから僕は常にオメガの抑制剤も持ってんだよ」 「はは……アルファには隠せねえか」 「違う違う。……僕が、勝手に知ってんの」  ポツポツと会話をする二人に、ティトは何も言葉を挟めなかった。  ニコラはリオールがオメガであると知っていた。つまり、リオールがオメガであると誰かに漏らすことができるということである。 (……いや、ニコラがそんなことをするわけない。……リオの幼馴染だもん。リオが隠してることをわざわざ言うわけない)  だけどリオールはごく一部の人間にしか言っておらず、今の様子だとニコラにも明かしていなかった。オメガだと騎士になれないためにイヴァーノ家が隠すのは道理であり、きっと徹底していたはずである。  ティトはリオールが落ち着くようにと願いながら介抱していたのだが、ようやく薬が効いてきたのか、リオールの匂いが落ち着いてきたのはそれから十分後のことだった。 「ごめんな、ティト、ありがとう」 「え、ううん。僕何もできなくて……オメガなのに薬持ってなかった」 「そんなことない。格好よかったよ」  ややふらついてはいるものの、リオールは最初ほど危うさもなく起き上がる。ニコラも薬が効いて落ち着いてきたのか、深呼吸を繰り返してラットをおさめていた。 「……で、なんでこんなとこでヒートになんかなってるの」  うつむけていた顔をちらりと上げて、ニコラは睨むようにリオールを鋭く見る。 「分からない。突然だったんだ。職務室に呼ばれて、ベルノー先生と話してた。教室に帰る途中で異変に気付いて、ひどくなる前にここまで来たんだ。……俺はヒートの周期は安定してる。ティトなら分かると思うんだけど、普段なら緩やかに始まるヒートが、今回は突然一気に始まった。ありえない」  ニコラが真偽を確認するようにティトに視線を移す。気付いたティトはすぐに「リオの言う通り。一気に昂るなんてありえないよ」とリオールを肯定した。 「それならおかしいだろ。何がどうなってこんな……」 「誘発剤……?」  ティトの小さな言葉に、二人の視線が一気に集まる。 「……誘発剤は市場で出回ってないはずだ。持っているとしても戯れに一部の貴族しか……」  リオールも自身で言って気付いたのか、そこで言葉を止めた。 「そうだよ、ここには貴族がたくさんいる。だって明らかにおかしい。誘発剤を服用されたとしか思えないよ」 「だけど誰がそんなことを? 生徒の仕業だとしても、誘発剤なんて子どもが手に入れられるわけがない」  結局はそこが分からず、ニコラの問いかけを最後に沈黙が落ちた。  しかし優に一分は考えたのち、リオールが思いついたように「そういえば」と口を開く。 「職務室で水を飲んだ。ベルノー先生がいれてくれたんだ。ベルノー先生は昼ご飯を食べながら俺と話していたから、俺にもゆっくりしてくれって言って」 「じゃあベルノー先生が……?」  ティトもリオールもニコラも、誰もが気まずげにアイコンタクトを交わすばかりで言葉を発しようとしない。  ベルノーは平民だが、貴族から金で誘発剤を買ったのならば無理な話でもないだろう。 (……誰かがリオがオメガであることも漏らしていたし、もしかしたらそれもベルノー先生が……)  考え込むティトの目の前で、ニコラが手を左右に揺らす。少ししてようやく気付いたティトに、ニコラは呆れた目を向けた。どうやらラットは完全に落ち着いたようだ。 「なーに考えてんの。僕たちはチームでしょ、共有しないと」 「え、でも……」  ティトは気まずげにリオールに目を向ける。  リオールはエレアと繋がっている。ティトを疑っている者にティトの動きを悟られるのはまずいのではないだろうか。 「……んー、言おうかどうか迷ったんだけどさ、リオなら大丈夫だよ。こいつ昔っから純朴なお馬鹿でさ、ずる賢いこととか向いてないんだ。嘘がつけなくて」 「なんだよ、悪口か?」 「本人目の前にしてるから悪口じゃないだろ」 「まあいいけど……でも、俺はティトに何かをしてしまったんだと思うし、無理に話す必要はない。あとでニコラに言ってスッキリしてくれ」 「あ、何かをされたとかじゃ、なくて……」  ティトの目が泳ぐ。リオールは純粋に不思議そうな顔をしていた。 「……その、見ちゃったんだよ。リオがエレア様と仲良くしていたり、その……オメガだって知らない生徒に絡まれてたところ」  一瞬驚いた様子を見せたリオールはしかし、すぐに「だから俺がオメガだって知っても驚いてなかったんだな」と納得しているようだった。  リオールは悩む素振りを見せ、参ったと言わんばかりに苦く笑う。 「ごめんな、俺実はジラルドと知り合いなんだよ。王妃殿下のオメガのサロンに通っててさ、そこで知り合ったんだ。俺がオメガだって隠してたこともあるけど、何よりティトとジラルドはあんまり仲良くなさそうだったから、言えなかった」  リオールが嘘を言っているようには見えない。それにオメガだと隠していた理由も分かるから、ティトも素直に謝罪を返した。 「でも、聞いてたなら気分悪かったよな。ジラルドは、俺がオメガだってことを漏らしたのはティトだと思ってる。昔のこと引きずってんのかな」 「はあ? 何、リオがオメガだって漏れてんの?」 「どこまでかは分からないけど、三人の生徒からそのことで脅されそうになった。ジラルドが助けてくれたが」 「なんで僕に言わないんだよ」 「言えるわけないだろ、俺はおまえにも隠してたつもりなんだぞ」 「どうしてニコラはリオがオメガだって知ってたの?」  ティトの何気ない質問に、ニコラは苦い表情で間を置いた。  イヴァーノ家の情報は固く閉ざされていたはずだ。間違えて漏れるなどありえないことで、わざわざ調べたとしか考えられない。  リオールも気になっていたのか、ニコラの返答を待つ。沈黙を続ける三人の間に吹いた風はどこか冷たかった。 「……ま、ちっさい頃から一緒だから、なんとなく? ほら、ちっさい頃はヒート管理とか杜撰だろ。そんなときにヒートの匂いが漏れてたりよくあるんだよ」 「なんか曖昧だね」 「僕もそんなに覚えてないからね」  ニコラの言い分は分からなかったが、関係性もあってかリオールはすっかり信用したらしく、「それは悪かったよ」と素直に謝っていた。確かにニコラの言う通り、リオールは嘘をつけないし、素直で正直で疑う必要のない男なのかもしれない。 「んで? 僕のことよりさ、ティトはさっき何を考えてたんだよ?」 「あ、うん。その、今回のこともベルノー先生が仕掛けたなら、リオがオメガだってバラしたのもベルノー先生なのかなって思って」 「……そうだとして、目的が分からないな。ベルノー先生の家とは関わりがないから、学園で会ったのが初めてだった」 「そうだよね……」  だけどもしも、ベルノーが誰かの指示で動いていたら? 「ごめん、リオ、もう聞いちゃったから言うんだけど、エレア様は僕が国家反逆者として疑われてるって言ってたよね? それに関係してるんじゃないかなと思ってる」 「……つまり、先生のバックにも誰かが居て、大きな組織がティトを貶めようとしてると?」 「ありえない話ではないよね?」 「それこそ目的が分からないな。確かにジラルドはティトを疑っていると言っていたが、俺は信じていないし、そもそもなぜティトなんだ?」 「それが分からないから頭が痛いんだよぉ……」  誰かから恨みを買った記憶はない。たった一人、エレアから恨まれるのは理解ができるが、侯爵家の子息であり宰相の子息を婚約者に持つすでにビッグネームな彼が、すべてを失うリスクを冒してまでティトを貶めようとするだろうか。 「僕たちだけで考えても分かんないからさ、一旦教室戻るか。もう午後の授業始まりそう」 「うわ、そうだった、急ごう!」  ニコラの一声に、ティトとリオールはさっそく立ち上がる。ニコラものっそりと立ったが、二人はニコラを置いてさっさと走って行ってしまった。  オメガ同士、分かり合える何かがあるのだろうか。ニコラはつまらなさそうに髪をぐしゃぐしゃと乱暴にかき混ぜながら校舎に向かう。 「ニコラ」  涼やかな声だ。同時に、午後の授業の開始を知らせる鐘が鳴る。 「エル。どうして一年棟に」 「たまには鼠がどんな動きをしているのかを見るのも悪くねえからな」 「はぁ……暇人だね」  ニコラを見ていたのは、真っ黒な髪を目元まで伸ばし、分厚い眼鏡をつけた二年の男子生徒だった。ニコラは親しげに歩み寄る。 「尻尾は掴めたのか」 「……何も。僕が言われたのは監視でしょ。調査は別だと思ってるけど?」 「ほお、なんだ、罪悪感でも湧いたか」  エルはあざけるように笑う。 「……僕にはどうにも、彼が国家反逆者には思えないよ。ああそうだ、本人もそう疑われていることを知ってたよ。エレア・ジラルドがそう言ってたのを聞いたってさ」 「あのチビ、余計なこと言いやがって……」 「そっちは何か進んでるの?」 「昨日、王宮にロタリオ伯爵を呼び出して、ティト・ロタリオの本性を炙り出すための協力者として引き込んだ。時間の問題だな」 「なるほどねえ」  ニコラはつまらなさそうに大きなあくびを漏らした。 「なんだよ、興味ねえのか」 「ないよ。僕が見てる限り、ティトは白だしね。七年前の事件ですら自分で違和感を覚えて調べてる。そんな自分に都合が悪くなるようなこと、本来ならしないでしょ」 「七年前のことを……?」  エルは初めて余裕の態度を崩し、眉を寄せた。 「何のつもりだ今更。それこそ罪悪感か」 「そうは見えないけど。ま、一番近くで見てる僕の所感はそんな感じかな。こっちはこっちで楽しくやってるから、また気が向いたら報告するね」 「おまえなぁ、交渉を忘れるなよ。おまえがリオール・イヴァーノを近くで守りたいって言うから交換条件にこの学園に入学するための条件を揃えてやったんだ。ティト・ロタリオの監視は続けろ。報告も定期的に、忘れんなよ」  エルはそれだけ言いつけると、ツンと顔をそらしてその場から立ち去った。  ニコラは少し迷う素振りを見せたが、やってきた校舎裏へと踵を返す。授業にはすでに遅れているし、出る気分でもなくなった。

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