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第13話

「ティト、帰らないのか?」  放課後になりすぐに帰ろうとしたリオールだったが、動かないティトを見て不思議そうに問いかけた。クラスメイトもすでに数人しか残っていない。ニコラもリオールの隣でぼんやりとティトを見ている。 「……うん。僕、ちょっと調べたいことある」 「ふーん? じゃあ僕も一緒に残ろうかなぁ」 「ニコラはこれから一緒に騎士団の鍛錬だろ」 「僕はリオのおまけだから居ても居なくてもいいんだよ」  二人で何かを言い合っていたが、結局リオールが負けたのかニコラを気にしながらも教室を後にした。クラスメイトも二人が話している間に居なくなり、広い教室にはすでにティトとニコラだけである。 「で? 何を調べたいの?」 「あの水差しの経路を知りたいなって」 「経路? ああ、だから担当者を待ってるのか」  水差しのあるコーナーを一瞥すると、ニコラはカバンを置き、ティトの隣に腰掛けた。 「僕の毒もリオの誘発剤も水を飲んでからだった。水差しがどうやって運ばれてくるのかが分かれば、どこで薬を入れられたかも考えやすくなると思うんだ」 「なるほどねー。……っても、いつ来るか分かんないな」 「うん。遅くなるかもしれないから、ニコラは帰ってもいいよ」  学園は広く、どこに給仕室があるのかも分からない。そのうえ担当者の人数も分からず、回る教室も多く時間がかかるのだろうから、ティトが思っているよりも時間がかかるかもしれない。しかしニコラは動くことなく「最後まで付き合うよ」とあっさりと言ってのけた。 「……リオのそばにいてあげなくて大丈夫? 今日、大変だったのに」 「誘発剤飲まされるなんて失態、なかなかしないよ。じゃないと僕ずっとべったりしてなきゃじゃん? まあ一応抑制剤は僕の分も持たせたけど。てか、人の心配よりティトは大丈夫? ブレザーもチョーカーも、強烈なフェロモンがついたから身に付けられないし」 「あ、うん。僕は大丈夫。今日は暖かいし、チョーカーが首元にないのはちょっと違和感があるけど、誰も僕に興味なんかないだろうから」 「……ティトってほんと不思議だよなぁー」  廊下に響いていた生徒たちの声も今はもうどこか遠い。陽の色もやや赤く、教室内の色を変えていた。 「ティトは可愛いと思うよ。それに頭も悪くない。伯爵家の貴族で、性格も悪くないだろ。どうして自分が誰にも興味持たれないなんて思うんだよ」 「……どうしてって……」  ただこの世界はニコラのために用意されているものだと思っているから、メインでもない自分が誰かに相手にされるということが、なんだか不自然に思えただけである。  みんなニコラを好きになる。ティトは心の中でずっと、そう思っている。 「あ、もしかしてもう決めた相手がいるとか?」  ニコラの何気ない言葉に、ティトはぎくりと肩を揺らして固まった。 「まじなの? もしかして、たまに連れて行かれてるっていうフォルテルディア先輩とか?」 「い、いやいや! フォルテルディア先輩はありえないよ! 婚約者がいるし、僕のことは多分嫌ってるというか、よく思われてないみたいだし!」 「あ、そうなんだ、えー、じゃあ……フォルテルディア先輩が一緒にいる、王太子殿下とか? まさか連れて行かれてる先で逢引してたり?」  ティトはちらりとニコラを伺うが、ニコラはただ答えを待っているだけだった。  ——王太子殿下がこの学園に通っていることは、もちろん周知の事実である。  しかし教室でみんなと一緒に授業を受けているわけではなく、レンとエラルドだけは特別教室で、外部から王家が選んだ特別教師を招き、不定期に勉強をしている。だからレンとエラルドには学園内の授業時間割など関係がなく、ひと気が少ない時間帯に行動をしているため、学園に通っている生徒ですらあまり二人の姿を見たことがない。それは、ティトがエラルドと二人で歩いているのを見られたときの反応や、その後に確認した噂などから、ティト自身も彼らがどれほど目撃するにも希少な存在であるのかを理解していた。  だからこそ、ニコラの反応に少し引っかかった。  そんな状況でありながら、ティトが王太子殿下と逢引をしているなど、淡々と語れるものだろうか。 (……もう少し驚くとか、興味を持って深く聞いてくるとか……)  ティトの考えすぎならば良いが。 「僕にとって王太子殿下は、手も届かないとっても遠いお方だよ」 「そうかな? 身分なら気にしなくていいんじゃない? ティトは伯爵家の人だし」 「それだけじゃなく。……僕には憧れみたいなものだから」 「ふぅん? 二人、お似合いだと思うけどなぁ」 「失礼いたしします。軽食とお水、回収させていただきますね」  ガラガラと扉を開けて入ってきたのは、給仕係の制服を着た女だった。教室に二人が残っているのを見て少し驚いたようだが、すぐに深く頭を下げる。  ティトはさっそく立ち上がり、教室の一番うしろに設置された水差しや軽食を回収する女に近づいた。 「いつも、どういう順番で取り換えたり回収したりするんですか?」 「はい。交換の際は、通常は一番近い職務室から、次いで近い五年棟、四年棟と順番に回ります。回収は逆です」  ティトの分のカバンを持ったニコラが、二人の側に立つ。 「どのクラスにどの水差しを置くのかは決まってますか?」 「いいえ、決まっておりません」  女は手慣れた様子で速やかに回収を終わらせ、二人に頭を下げて教室を出た。 「……おかしいな。それならティトの毒はここに水差しを置いてから仕込まれたことになる」 「僕が狙われたならそうかも。だけど、もし誰でも良かったなら、適当に毒を忍ばせればいい」 「リオのことは? ベルノー先生が犯人かどうかってのは別としても、明らかにリオ自身が狙われたっぽいけど」 「……うん。そうなると、最初も僕が狙われたと思うのが妥当か……」  リオはティトと親しいから狙われたのかもしれない。ティトが心配そうにニコラを見上げると、ティトの気持ちを察したのか、ニコラは「僕は強いから大丈夫だよ」と明るく笑った。 「経路は分かったけど、あとは誰がどのタイミングでってところが気になるね」 「あの日の教室の出入りを調べよう。昼休憩中の水差し交換後の出入りと、あとはこのコーナーに近づいた人物だな」 「うん。……なんかごめんね、付き合わせちゃって」 「いいって。僕も、ティトの潔白を証明したいしね」  二人が教室を出る頃にはすでに校舎には誰もおらず、あたりも薄暗くなり始めていた。  学園前に伯爵家の馬車が停められているのが見えた。ティトは「送るよ」と言ったのだが、ニコラは「僕は強いから大丈夫」ときっぱりと断る。  御者がティトのために馬車を開けた。それを尻目に、ティトはくるりとニコラに振り返る。 「やっぱり気になるから聞くんだけど……もしかしてニコラ、王太子殿下のことをよく知ってる?」  風が吹く。ティトは思わず目を細めたが、ニコラはじっと真っ直ぐにティトを見ていた。  しかし。 「よくは知らないよ。パレードで見たくらいだね。僕はやっぱり平民だからさ、王家の人には滅多に会えないよ」  困ったように笑うその顔は、嘘をついているようには思えない。  ティトにはそれ以上何を言うことも出来ず、「そっか」と納得したフリをして馬車に乗り込んだ。  ニコラは馬車が見えなくなるまでティトを見送る。やがて馬車が見えなくなると、ふうと深く息を吐き出す。 「……ティトなら殿下を救えると思うんだけど……ティトも殿下も消極的だし、やっぱこのまま死んじまうのかなー……」  風にさらわれたその言葉は、誰に拾われることもなかった。

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