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第14話
翌日、ティトはやや興奮気味に学園にやってきた。馬車から降りてすぐ、周囲におかしく思われない程度に早歩きで教室に向かう。
エレアとの関係性が露呈し、さらには先日の毒事件以来、ティトとエレアは注目の的であり、「ティトにエレアを近づけない」という周囲の謎の団結力によりティトはエレアに会えない状態である。今もそのような目で監視、もとい観察され、周囲がティトを守るべく注視していることは明らかだった。
まったく動きにくくて敵わないが、ティトは構ってもいられない。
早くニコラとリオールに会わなければと、とにかく気が急いていた。
それがいけなかったのかもしれない。
教室に行くまでの近道として、普段は選ばない二年棟を突っ切るルートを選択した。
一年の中でも容姿や家柄から目立つティトはやはり二年棟でも注目を集めたが、あくまで突っ切るだけである。ティトは無作法にならない程度に早く歩き、二年棟を直進で突き抜けたのだが。
「う、わ!」
突き抜けた先、すぐそこにある一年棟に向かうために、舗装された通路を通らず木をかき分けて道無き道を行こうとしてしまった。すると誰も居ないと思っていたそこに、一人の男子生徒が寝ていた。
勢いよく歩いていたティトは、横になっていた男子生徒につまずいて派手に転ぶ。男子生徒も驚いたのか起き上がり、「なんだいきなり!」と無様に転ぶティトを見て困惑しているようだった。
「い、てて……すみません、人がいると思わなくて」
「げ! ティト・ロタリオじゃねえか」
後半は小声で言われたものの、確かに名前を呼ばれたティトは、すぐに相手の顔を確認する。しかし見たことのない顔だ。いや、正しくはあまり顔は見えていないから、おそらく知らない顔である。
なにせその男子生徒は野暮ったく伸ばした真っ黒な髪で目元を隠し、さらには分厚い眼鏡をかけている。顔が見えないため、知り合いであるのかすらも分からない。
ティトは男子生徒のネクタイの色を確認し、二年生であることは理解した。
「お知り合いでしたか?」
「……知らねぇ。ここは二年棟だろ、一年は早く行け」
「ここは二年棟ではありません。あっちが二年棟です。ここはみんなが使える共有の、」
「あーもういいんだよそういうの! 面倒くせえなぁ。早く行けって」
髪の隙間から、ちらりと美しい赤い瞳が覗く。ティトは少し身をかがめる。すると少しだけ顔が見えた。髪の毛と眼鏡の下には、なかなか美しい顔が隠されていると分かる。
(……まって……どこかで……)
「なんだよ見てんじゃねえよ。てかあんたがどっか行かねえならオレが消えるわ。はー、マジでなんでこんなとこで……」
「エミディオ・ブラックベン様ではないですか?」
間違いない。ティトの前世の記憶を思い出してみても、公爵子息の容姿と一致する。しかし彼は王太子と同じ銀髪に赤い瞳だったはずだ。なぜか変装をしているらしい。
ティトの問いかけに、彼は立ち上がろうとする不自然な姿勢で動きを止めた。
「え! やっぱりエミディオ・ブラックベン様、ふぐ」
「声がでけえんだよ!」
興奮気味に声を張り上げたティトの口を、彼は勢いよく手で覆う。
「ど、どうして変装を……」
エミディオは手の下の吐息に反射的に手を離すと、うんざりとした様子でふたたび座り込んだ。
「なんでオレのことを知ってる。会ったことはなかったはずだ」
「……それは……」
エミディオの目は鋭い。レンといいエミディオといい、彼らはどうやらアルファの中でも強い種のようで、ティトはなんとなく目を逸らした。
「まあいい。おまえがオレの顔を知ってるなんざ想定の範囲内だ。この国の要人を覚えておくことは、おまえの今後の職務のためになるんだろ?」
そこでようやく、ティトはエミディオが自身を疑っており、隠すつもりすらないことを理解した。
「僕は何もやってません。国家反逆だなんて馬鹿馬鹿しい」
「どうだかな。少なくともオレや父、国王はおまえを疑っている。ディーノはおまえを信じたいみたいだが、それも証拠が出れば覆るだろうよ」
「いいですよ、そうやって思っていれば。僕が自分で無実を証明します」
「は、ディーノがいつもあんたを可愛いだの賢いだのもてはやすもんだからどんなヤツかと思ってたが……とんだじゃじゃ馬だな。さすがの神童も、人を見る目には恵まれなかったらしい。おまえたちお似合いだよ、可哀想なヤツ同士で」
「レンは可哀想なんかじゃない!」
最初に出会った頃のレンは、確かに仮面を貼り付けていて近寄りがたい印象があった。しかしともに時間を過ごすうちに年相応の顔も見せてくれた。自分の話はしたがらなかったけれど、それでもティトはなんとなく透ける彼の苦労を「何かあるのだろう」という程度ではあるが理解していたつもりだった。
レンは可哀想ではない。自分のことよりも人を気にかける優しさを持つ、人の上に立つにふさわしい男である。
ティトはキッとエミディオを睨み付けるが、エミディオは訝しげに眉を寄せた。
「……レン?」
エミディオのつぶやきに、ティトは思わず自身の口を押さえる。エラルドに「学園では口にするな」と言われていたというのに、反射的に口から出ていたようだ。
「いや、その……」
「……おまえ、あいつの呪いを知ってるのか」
信じられない、とでも言いたげなエミディオの表情に、今度はティトが表情を強張らせる。
そんなティトの顔を見て知らないことを理解したのか、エミディオは「いや、忘れろ」とすぐに言葉を続けた。
「とにかく、おまえもこれ以上調べられたくなかったら罪を認めるんだな」
まだ話についていけないティトを置いて、エミディオは早足でその場から立ち去った。
そしてそのままの歩調で温室に向かう。生徒はエミディオに注目した様子はない。エミディオの地味な見た目のおかげである。
誰に怪しまれることもなく、ひと気のない温室にたどり着く。中にはエミディオの思った通り、レンとエラルドが飽きもせず優雅にティータイムを楽しんでいた。
「やっぱここだったか、サボりども」
ズカズカとやってきたエミディオに二人は特に驚くこともない。基本的にレンと二人のときはエラルドも一緒に座っているためエラルドでひと席埋まっていたが、エミディオはいつもティトが座っているレンの前に腰掛けた。
「やあディオ、相変わらずパッとしない見た目だね」
「あいつのせいでこんな格好で入学する羽目になって……って今はいいんだよ。おまえ、あいつに隠し名を教えてんのか」
一瞬沈黙したが、ティトの話をしていると理解したレンはすぐに「ああ」と口を開く。
「そうだね、八歳の頃だったかな」
エミディオが行儀悪くテーブルに肘をつき、やや身を乗り出した。
「おまえにそういう相手が居るってんなら、オレはその相手が国家反逆者であっても花嫁として後押ししてやるつもりだ。これからのこと話そうぜ」
「……残念だけど、私にそのつもりはないよ。ティトは関係ない」
エミディオの目がエラルドに移る。しかしエラルドも測りかねているのか、エミディオと同じような目をしてレンを見ているだけだった。
「それならなんであいつがおまえの隠し名を知ってんだ」
「……別に、幼い頃にうっかり教えてしまったんだ。ティトに出会った頃はまだ私は隠されていたから、本名を教えるわけにもいかなくて」
「馬鹿言え、おまえがそんな失態するかよ」
じっとりと重たい間が落ちる。エミディオは変わらず疑う瞳を向けていた。
「おまえは生きるべきだ、分かるだろ。オレだけじゃねえ、みんながそう思ってる。おまえは生きて王になる男だ」
「買いかぶりすぎだよ。ディオだって王の器だ」
「チッ、おまえじゃ話にならねえな。……おいエラルド、ティト・ロタリオはオメガなんだよな? 王妃の器か」
「……ええ、教養に問題はありませんね。一般的には見栄えも良いかと」
「なるほど、分かった」
エミディオが煩わしそうにウィッグと眼鏡を外す。色はレンと同じだが、優しげな美形であるレンとは違い、エミディオは髪もうんと短く、そしてどちらかと言えばレンとは正反対のワイルドな雰囲気をまとっていた。体格もよく見ればたくましく、レンとはタイプの違う美形ではあるが、無愛想なのがなかなかもったいないとも思える。
「もうやめてしまうの? せっかくティトに嘘をついてあげたのに」
「やめねえけど、ここではいいだろ別に。暑いんだよコレ。……そもそも、あいつがオレのことを知らなけりゃこんな潜入みたいなことしなくて済んだのによぉ」
「ティトと話したなら、変装していてもディオだって分かったんじゃない?」
「そうだ、あいつなんでオレのこと知ってんだ。いきなり顔覗き込まれたぞ」
顔を覗き込むという貴族らしからぬ行動に、レンは思わず吹き出した。エラルドとエミディオは渋顔だ。思うことは違うが、二人とも呆れているようにも見える。
「だから前にも言っただろ、ティトは国家反逆者じゃなく、ただの記憶持ちだって」
「おまえの言うことを全部信じろってか? この世界があいつの言う通りの世界で、オレたちは作りもんなんだって」
「残念ながら、ティトの語った世界はやや違うところがあるから、似ているだけの世界だと私は思ってるよ」
レンは優雅に紅茶を飲む。エミディオはその姿に何かを言い返そうとも思ったのだが、何を言っても無駄であるとすぐに悟り、結局何も言わずに立ち上がった。もちろんウィッグと眼鏡をつけることを忘れない。レンはやや残念そうだったが、エミディオはそれを黙殺した。
「そうだディオ、ティトが早く結婚をしたいんだって。ティトはディオの好みにも当てはまると思うんだけど、お見合いだけでもどうかな?」
「冗談、オレはそんな悪趣味じゃねえよ」
「悪趣味って……ティトはそんな変な子じゃないよ」
「そっちじゃねえ。……オレは、従兄弟の惚れた相手を奪うような趣味はねえんだよ」
エミディオは吐き捨てるように言って、相変わらず乱暴な仕草で立ち上がる。レンとエラルドは特に引き止めることもなく彼を見送っていたのだが、温室を出る直前、エミディオがくるりと振り向いた。
「……今、どのくらいの周期で来てる」
「あー、一ヶ月から一ヶ月半くらいかな? 次はおそらく一週間後だね」
「そうか、分かった」
睨むような目を眼鏡の奥から光らせながら、エミディオは大きな舌打ちとともに温室から出て行った。
温室内は、嵐が過ぎ去ったあとのように静まり返る。静寂の中、レンがカップをソーサーに戻す音だけが響いた。
「……俺も、ディーノに死んでほしいわけじゃない。もしも生きたいと今からでも思うのなら、喜んで協力をさせてもらうが」
エラルドが砕けた口調になるのは、いつも対等に話をする場面のみである。それを分かっているから、レンは即答することができなかった。
そんなレンに、エラルドは聞こえよがしに深いため息を吐き出した。
「まあ、相手にかなりの負担があるから気が引けるのも分かる。正直、相手が生きていられるかも分からないからな。そう思う気持ちも分かったうえで、それでも俺はディーノには生きていてほしい」
エラルドの言葉を聞き届けて、じっくりと考えたのち、レンはパッと笑みを浮かべた。
「私はね、ティトには一切の苦痛もなく、どの瞬間も幸せでいてほしいんだよ。私を前にして、あんなにも素直で正直な子は初めてだった。あの子といるときだけは、何者にもならなくてよかった。……幸せになってほしいんだ。だから私が生きているうちは、ティトを幸せにするために動きたい」
「……ディーノが幸せにしてやればいい」
「私は厄災だ。誰かの幸福にはなれない」
「ティト・ロタリオなら受け入れる。あれの図太さはなかなかだぞ」
「私はティトに同情されたいわけでも、無理をさせたいわけでもないよ。ティトを縛りたくないんだ。私が言えば命令になる。番にすることも簡単だ。だけどそこに彼の気持ちはない」
分かってよ、ルカ。最後にそう続けて、レンはひどく悲しい笑みを浮かべた。
エラルドも言葉を奪われた。それからうんと間を置いて、エラルドはようやく「分かった、もう何も言わない」と、渋々の了承を返した。
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