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第16話

     *   「真広! 何してんだよ」  呼ばれた真広は、その眠たげな表情に似合う仕草でゆっくりと振り向いた。同時に、真広の隣に青年が腰掛ける。青年は真広のスピード感に違和感もないのか、答えを焦ることもない。  真広は彼が隣に腰掛けたのを見届けて、またしてもゆったりと空に目を向けた。 「あー……ほら、雨が降りそうだなって思って」 「それで空見てたのか? 今日は寒いからもうみんな中に入ったぞ」  この時間ならいつもは子どもや、子どもと遊ぶ兄や姉が走り回っているのだが、確かに今は誰もいない。真広は広いグランドを見渡してそれを確認したが、特に焦って立ち上がることもなかった。 「入らないのか?」 「んー、なんとなくね。僕、ここに来てもう十年が経つんだなって思うと、なんか眺めていたい気分になってね」  真広がこの養護施設にやってきたのは、真広がまだ七歳の頃だった。  母子家庭だった真広の母が過労で亡くなり、親戚付き合いもなかったために、当時の真広も気づかぬうちにあれよあれよと施設にいた。  人見知りな真広にとっては知らない子たちとの生活など苦でしかなかったが、今真広に声をかけている彼が真広の面倒をよく見てくれていたから、真広はなんとかやれている。  彼は一つ年上で、真広にとっては兄のような存在である。 「十年前はまだまだ小さかったのになぁ」  彼の言葉に、真広はすぐには反応をしなかった。ただ空を見て、やはり緩慢な仕草で今度は手元に目を落とす。 「……静希くん、卒業したら施設出るんだよね? もう家見つかったの?」 「ん、ああ、見つかったというよりは、社員寮だな。就職するからさ」 「そっか」  真広の横顔を見て、静希は苦笑を漏らす。 「落ち込むなって! 俺たちはずっと家族だろ。俺が施設出てもずっと一緒に遊ぼう」 「うん……」 「俺のことで落ち込むより、勉強進んでんのか? 国立大の医学部狙ってるんだろ?」  静希の大きな手が真広の頭を乱暴に撫でる。真広はされるがままで、首を右に左にと傾ける。 「お、降ってきたな。入るぞ」  ポツポツと雨が降り始め、地に斑点を作る。静希は真広の背を押して、二人はようやく施設内に向かった。  真広にとって、静希は兄であり親のようだった。人当たりもよく施設内でも人気の高い静希は、ほかの子と同じように真広のことを可愛がってくれた。  真広は明るい子ではなかった。ずっと静かに本を読んでいるような、いつも眠たげで暗い目をしているような、そんな近寄り難い子どもであった。  しかし、真面目で面白みもない真広だったからこそ、初めて手にとったとあるゲームに夢中になったのかもしれない。真広はゲームに夢中になり、そして静希にも勧め、気がつけば語り合うようになっていた。      *    ティトが目を開けると、一番に医務室の天井が見えた。  毒のときにもこんなことがあったなと、そんなことをぼんやりと考えながら、ティトは体を起こそうと力を込める。しかし頭が強く痛み、その痛みからベッドに戻った。思ったよりも強く打ったらしい。七年前の件は覚えていないが、今回階段から落ちた件は記憶に残っている。ティトはいまだにズキズキと痛む後頭部と背中にうんざりとするように、一つ深いため息を吐いた。 「ニコラ? リオ?」  誰もいないのかと呼びかけてみると、レースカーテンがふわりと揺れた。  時計がちょうど見えない。今が休憩時間なのか授業中なのかも分からないから誰がいるのかも想像がつかないが、誰かが居る気配だけはある。 「ああ、起きたのか」  レースカーテンの隙間から顔を出したのはリオールだった。するとリオールの背後からニコラがひょいと現れる。レースカーテンが開いた拍子に時計が見え、今が昼休憩であると分かった。 「来てくれたんだ」 「びっくりしたよ。教室に着いたらさ、ティトが階段から落ちたって騒ぎになってた。ティト、一時間も起きないし。さすがに僕たちもそろそろ頬を叩くか水をかけるか話し合ってたよ」 「本当に。……先生いわく外傷はないってことだったが、それでも七年前の件もあるし、また何かおかしなことになったんじゃないかと」 「大丈夫、ありがとう。……誰が運んでくれたの?」 「「号泣してたルギス先生」」  二人のシンクロに、ティトは「想像がつくよ」と声を出して笑う。 「その兄様は?」 「ついさっき、目を覚まさないティトに痺れを切らしてカバン取りに行った。もう帰らせるってさ」 「ティト、起きられるか?」  リオールが心配そうに、起きようとするティトを支える。支えがあるからか、先ほどよりも痛みは少なく、ティトはやっとゆっくりではあるが起き上がることができた。 「……なんか、だんだんエスカレートしてるよな、ティトの被害」  ニコラが渋い顔をして、低くつぶやく。 「だけど今回、ベルノー先生は俺たちの教室に居たのを見た。薬師学の授業の準備をしていたから白だ」 「このままだとティトが殺される。早く犯人を見つけないと……」 「うん。……ねえ二人とも、もう少しここに居てくれないかな?」  場にそぐわないティトの落ち着いた声に、ニコラもリオールも驚いたように目を見開いた。アイコンタクトをしてふたたびティトに視線を戻すと、不思議そうな顔をしたままでそれぞれが了承を返す。しかしなぜそんなことを言われるのかが分からないようだった。 「ティトー! 起きたのかー!」  バン! と医務室の扉を開けて、入ってきたのはルギスだった。外にも話し声が聞こえていたのかもしれない。ルギスは真っ直ぐにティトのベッドにやってくると、ティトが痛まないようにと優しく抱きしめる。 「ごめんなぁ、俺が四六時中守ってやらないからこんなことに!」  ティトは相変わらず呆れたように苦笑を浮かべ、慰めるようにルギスの背を優しく撫でる。そんな二人を見ていたニコラとリオールも、やれやれと眉を下げていた。 「兄様、僕が毒に倒れて屋敷に帰ったときもそう言ってたね」 「当たり前だろ! 俺がついていたならこんなことにはならなかった!」 「予想外にも僕が毒を飲んじゃったから、謝ったんじゃなくて?」  びくりと、ティトの背に回っていたルギスの手が揺れた。  ルギスがゆっくりと離れる。ティトは射抜くようにルギスを見る。 「何言ってるんだよティト、疲れたのか?」  心配するニコラを一瞥し、ティトは戸惑うルギスへと視線を戻した。 「仮説を立てると、兄様が一番当てはまるんだよ。七年前の事件の目撃者も兄様だけ。毒の事件も、頻繁に僕の教室にやってくる兄様なら仕込むことができる。リオの誘発剤だって、職務室に居た兄様なら混入は簡単でしょ。そしてさっき、兄様は僕を突き飛ばした」 「ティト、兄様がそんなことをするわけがないだろ?」  諭すようなルギスには、ティトは緩く首を振った。  ルギスの背後で二人のやりとりを見守っていたリオールとニコラは、何かに気付いたようにハッと肩を揺らす。 「そういえば毒が混入された日、ルギス先生が教室に来てたってさっき聞いたな……」 「職務室にもルギス先生は居た。ベルノー先生が水を入れて持ってくるとき、目を離すタイミングがあった気がする」  二人の言葉が終わると、医務室は重たい空気に包まれる。 「だ、だけどティト、ルギス先生にはそんなことをする理由がないよ。ティトを突き飛ばすなんて一番やるわけがない。なあリオ」 「そうだな。ルギス先生がティトを傷つけるわけがない」  犯人として当てはまる人物がルギスであることに、二人は動揺しながらも言葉を紡ぐ。しかしティトはルギスから視線を外さない。一挙一動を見ているようだ。 「兄様。……目が合ったでしょ。七年前は分からなくても、今回は覚えてるよ」

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