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第18話

 その日、ルギスが帰ってきたのは夜遅くのことだった。出張中だったエミリオも王宮に呼び出されていたようで、二人は一緒に帰ってきた。寝ずに待っていたティトとユリアーナは帰りの報せを受けてすぐに玄関ホールへと向かう。屋敷を全力疾走するという行儀の悪さにエミリオは苦く笑っていたが、二人の焦った顔を見てすぐに「大丈夫だから落ち着きなさい」といつもの穏やかな声で語る。 「ルギスは教員資格を剥奪された。そしてロタリオ家は二度とジラルド家に関わらないことを約束した。それだけだよ。王太子殿下も取り計らってくれた」 「……そっか……そっかぁ」  ユリアーナは放心しているルギスを抱きしめて「良かった」と繰り返す。その隣で、ティトは力が抜けたのかぺたりと座り込んでいた。 「ルギスがこの処分で済んだのは殿下のおかげもあるが、何よりそれまでのティトの国への貢献があってこそだ。よくやったな」 「……貢献? 僕は何も……」 「さあ、夜も遅い。今日はもう寝てしまおう。明日はせっかくだから、家族でゆっくり過ごそうか」  ルギスもちょうど暇になったことだしねと、エミリオは軽い口調で言って、ウインクを飛ばす。ルギスは何度もうなずきながら、ごめんとありがとうを繰り返していた。 「……ジラルド家は納得されているんですか」  ユリアーナに付き添われてトボトボと歩くルギスの背を見ながら、少し離れて歩くティトは隣のエミリオに小さく問いかける。 「……ティト、家の心配をしてくれるのかい?」 「ロタリオ家はジラルド家と深い関わりはなくても、仕事を共にしたり、顔を合わせる場面も多くありました。ジラルド侯爵は厳格な方ですし、エラルド様とエレア様がご婚約されてからさらに力をつけたと思います。目をつけられるようなことになっていないかと」 「なるほど。……大丈夫だよ、言っただろう、ティトのおかげだ」 「……僕の?」 「ここだけの話、今回の件を知ったエレア様は、過度にティトを嫌っていたことに罪悪感が湧いたらしい。まあ七年間も恨み続けていたのに、急にそれはティトのせいではなかったって言われたらそうだろうね。だからエレア様の温情もある」  エレアの誤解が解けたのは嬉しいことではあるが、だからと言ってルギスの罪を暴きたいわけではなかった。ルギスが全面的に悪いということは分かっているが、もっと別の解決策があったのではないかとも思えてしまう。 (こんなことなら、兄様と二人きりで話をして、全部僕のせいにしてしまえば良かった)  そうしたら、ルギスもエレアも、何も思わずこれまで通りの生活を送ることができていたかもしれない。そうしたら、ティトにとって大切な家族が傷つくこともなかったかもしれない。そんな未来はあり得ないというのに、頭の隅にはそんな考えが浮かんでは消える。 「僕……やっぱり間違えたのかな」  誰に聞かせるつもりもなさそうなつぶやきに、エミリオはルギスのように「そんなことはないよ」と、ティトの無気力な横顔に答えた。  ティトは翌日、学園を休んだ。階段から落ちたから療養をすると言えば学園側が疑うこともなく、ティトは久しぶりに時間に追われることなく起床する。  やけに頭が痛かった。体もだるく、起き上がるのも億劫に思える。 (……兄様、大丈夫かな)  ティトでこんな気持ちになるのだから、ルギスなどもっと重たい気持ちになっているのだろう。  その日は家族みんなでドローイングルームでのんびりと過ごしたが、ティトの思った通り、ルギスは終始暗い顔をしていた。ユリアーナがわざと明るく振る舞ってはいたが、ルギスは遠慮がちである。  その中で、ティトにはエミリオもともに居ることがどうにも腑に落ちなかった。  エミリオは伯爵領の領主でありながら、王宮の仕事もおこなっている。そのため毎日忙しくしており、家族四人のゆっくりとした時間などこれまで取れたことはなかった。それがこのタイミングで休みになるなど、何らかの処分があったことは確かである。 (父様は何も言わないけど……)  きっとルギスもユリアーナも気付いている。それでも何も言わず、この時間を家族の心の修復の時間に当てている。  ティトにとって、彼らはようやくできたかけがえのない家族である。仲が良く、いつもティトを大切にしてくれて、ティトに愛情を惜しみなく注いでくれた。そんな家族が、今はなんだかぎこちない。  ティトは自身の膝の上で、ぎゅうと拳を握りしめた。ティトのせいでこんなことになってしまった。ティトがやり方を間違えてしまったからだ。 (どうにか、しないと……)  だけど、何をすれば。そんなことを考えながら、ぎこちない家族の空気の中で、ティトは貼り付けたような笑みを浮かべていた。  ティトが学園に復帰したのはそれから三日後のことだった。正直学園で例の件がどう言われているのかも分からないから、どんな目で見られるかも不安がある。ひとまずニコラとリオールの姿が見えるまでは安心できないだろう。  ティトは馬車を降りて一心に教室を目指す。やはりティトは周囲から視線を集めていた。しかしそれがいつもと同じ視線なのか、例の件があったからなのかは分からない。確認をするのも怖くて、ティトは出来るだけ周囲を見ないようにと足早に教室に向かう。 「ちょっと、ティト・ロタリオ!」  別の教室の前を通ったところで、突然呼び止められた。ティトはびくりと震え、おそるおそる振り返る。周囲の視線をかき集め、立っていたのはエレアだった。 「話がある。一緒に来て」 「……だけど僕は、今回の件でエレア様に関わるなと言われていて、」 「それも分かってんの! 分かったうえで言ってんだからまごまごしないでよね」  大股にティトのもとにやってきたエレアは、ティトの手を掴みこれまた大股に歩み始めた。ジラルド家に関わらないようにと約束をした手前気は引けるが、ティトとしてもエレアとは話しておきたかったために正直助かった。しかし、あまり目立つとエラルドの耳に入りまた怒られてしまうかもしれないから、手短に済ませる必要がある。約束を反故にしたとルギスやエミリオに余計な火の粉を被せたくもない。 (思い返せば、フォルテルディア先輩は最初から僕にエレア様には近づくなって言ってたっけ。エレア様が僕に突っかかるからって言ってたけど、きっと僕が疑われてたからで、そりゃそんな相手を婚約者に近づけたくはないよね)  やがてエレアがやってきたのは、以前エラルドに連れられたひと気のない教室だった。選択科目でしか使用しない教室だったらしく、朝の時間である今は誰も居ない。 「例の件、聞いた。あんたがやったんじゃなかったんだってね」 「……いえ、違います。原因は僕にありました。長い間、エレア様の印象を悪くして、深く傷つけて、本当にすみませんでした」  ティトは声を震わせることなく立派に言い切ると、深く頭を下げる。 「今からでも罰を受ける覚悟はあります。ロタリオ伯爵家から除籍処分にしてくださっても構いません。兄がエレア様にあのようなことをしてしまったのは、すべて僕のせいなんです。兄や父は悪くありません」  声は震えなかった。ティトが弱気になるのは間違っている。今はエレアが怒りをぶつける場面であり、ティトはそれを受け入れなければならない。  ティトの頭上で、深いため息が聞こえた。ティトは拳を握りしめ、頭を下げたまま動かない。 「……除籍処分になって、あんたはどうするの? オメガの平民の働き先なんて限られてる。貴族育ちのあんたにはきっと耐えられないよ」 「……大丈夫です」 「家族も誰も居なくなるのに? 無理でしょ、甘ったれなんだから」 「ひとりには慣れてます。大丈夫です。……父は何も言いませんが、何らかの罰を受けたのだと思います。ジラルド侯爵にお伝えください。父は無関係で、すべて僕の責任です。僕が伯爵家から出ていくので、どうか父の罰をなくしてほしいです」  沈黙が落ちる。ティトは顔を上げることができず、ただ頭を下げて目をきつく閉じていた。 「……顔、上げて」  ふてくされた声だった。どうやら不機嫌ではない。ティトはゆっくりと顔をあげ、エレアの胸元に目を向ける。目を合わせることはできなかった。 「今、除籍処分になってもいいって言ったよね?」 「もちろんです! それで責任が取れるなら」 「ふぅん……家族のためじゃなくて『責任を取る』ね……あんたってもっと能天気なのかと思ってたけど、意外とそんなことないのかな」  エレアが小さくつぶやいたそれは、ティトには届かなかった。 「ま、いいや。はいこれ、あげる」  渡されたのは、首を覆うほど幅の広いチョーカーだった。  しかしティトの首にはすでにチョーカーがある。以前リオールの匂いがついてしまったものは処分をしたが、それからは家にあったスペアをつけているのだ。  エレアの意図が分からず、ティトはそれを受け取りながらも訝しげな表情を浮かべる。 「それ、どんな獣に噛みつかれても千切れないチョーカーなの。肌触りいいけど、すっごい頑丈でさ。幅も広いから絶対安全」 「……はい……あの、これをどうして僕に」  一向につけようとしないティトに痺れを切らし、エレアは渡したチョーカーを乱暴に奪い返すと、すぐにティトのチョーカーと付け替える。 「エ、エレア様?」 「あんたは伯爵家から除籍する。もうロタリオ伯爵家の人間じゃない。それでいいよね?」  どこか強張った声だ。指先も微かに震え、チョーカーを付けることに手間取っている。 「それじゃあ、父の罰は……」 「もちろん、伝えておく」 「ありがとうございます!」  満面の笑みで喜ぶティトを前に、エレアはぐっと気まずげな表情だった。エレアが何かを言いかけて、けれども空気だけを吐き出す。その様子を見ていたティトがどうしたのかと聞くより早く、 「騙すようであまり気は乗らないが」  いつから居たのか、気がつけば扉の前にはエラルドが立っていた。エレアと会っているところをエラルドに見られてしまい、ティトの背も思わず伸びる。 「あの、僕、エレア様と接触してその、すみません」 「ああ、構わない。今は急を要するからな。……ところで、すでに伯爵家の人間ではないのなら、伯爵の管理下には居ないということだな?」 「え……あ、まだ正式な手続きができていないので戸籍上は、」 「そ、そうだよ、ティト・ロタリオはもう伯爵家の人間じゃないんだから、ロタリオ伯爵に何らかの許可を得る必要はない。そうでしょ? さっき除籍していいって言ったもんね?」 「え、え? あ、えっと?」 「なるほどそうか。それでは俺たちがこれから頼むことも、彼の意思ひとつで決めてもらっていいわけだ」 「そういうこと。ね? それとも何、除籍していいって言うのは嘘だった? 綺麗事?」 「そんなことありません! 僕は本当にその覚悟があります」  ティトの言葉を受け、やけに緊張を浮かべたエレアは、さっそくティトの腕をガッチリと掴んだ。  やはりエレアの表情は固い。どうしたのかと不思議に思ったティトがちらりとエラルドを見てみても、エラルドもエレアと同じく普段よりも険しい顔をしていた。 「登校してきたところ悪いな。残念ながら、君は今日も休み扱いだ」  ティトはわけも分からないまま、二人に連れられて見知らぬ馬車に乗せられた。

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