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最終話
「聞いたよ、ティト。王妃になるんだって?」
「こらニコラ、口が軽い。誰が聞いてるかも分からないんだから、あまり口に出すなよ」
ニコラとリオールがティトの元を訪れたのは、ティトがリハビリを始めてふた月が経った頃だった。
ティトはふらつきながらも、震える手で杖をつき、なんとか二人が案内されたテーブルまで向かう。
「久しぶり、ニコラ、リオ。来てくれたんだ」
「お見舞いにね。まあ、謝りたいこともあったし」
「……謝りたいこと?」
よたよたとソファに腰を下ろして、ティトはようやくニコラに目を向けた。
ニコラは少し気まずそうだった。隣に座るリオールは「ほら、早く」と膝でニコラをつついている。
「あー……ティトはさ、途中でリオを疑ってただろ? ほら、ティトを反逆者だと思ってたエレア・ジラルドと繋がってるかもって」
「そう、だね。違ってたけど」
「実は僕のほうがその立場でして……ディオから『ティト・ロタリオを監視しろ』って命令されてたんだ。だからティトと一緒にいた。今は違うけど……ごめん」
「……あ、うん。そうだね。兄様が連れて行かれるとき、ブラックベン先輩と親しそうだったからそうじゃないかなって思ってた」
なんだそんなことかと、もっと深刻なことを想像していたティトは、あっけらかんと返す。
「今は違うならいいや。お見舞いに来てくれて嬉しい」
「ぐっ……でも僕、殿下のことも知ってたんだよ。呪いのことだって、協力者だからってディオから聞いてた。それとなくティトに覚悟させろとも言われてたし……ティトに嘘をついたんだ。もし早めにティトに話せていれば、ティトはこんな目に遭わなかったかもしれない」
「僕は事前に呪いを知っていてもきっと、レンを助けようと思ってたよ。……ねえ、もうやめよう? リオが困ってる」
ニコラの隣で、リオールはにこにこと二人を見守っている。
「困ってないじゃん」
「困ってる困ってる。というかニコラ、まだティトに言うことあるだろ」
リオールの目が細くなると、ニコラは照れたように唇をきゅっと噛み締めた。
二人が来てくれただけで嬉しいティトは、ニコラの様子に気付かない。
少しばかり間を空けて、ニコラはようやく口を開いた。
「実はさ……僕たち、婚約することになった、し、番になることにもなった」
「えッ! おめでとう! ニコラはずっとリオが好きだったもんね! 良かったね!」
「は!? え、なんで気付いた!? ティトのくせに!」
真っ赤になったニコラの隣で、リオールが不思議そうに目を瞬いていた。驚いているような顔だ。当人であるのに、まるで他人事のような反応である。
「え? でもニコラ、番ができればヒートも安定するし、俺が騎士としてやっていくためだからと、父にそう話をつけたと言ってなかったか?」
「え、そうなの? でも分かりやすかったよ。リオって距離が近いから、ニコラはいつも僕からリオを引き離すのに必死だったし。イヴァーノ団長にも頭を下げたんじゃないかな。騎士団の鍛錬に混ざってたのも何かの条件クリアを目指してたからで、誘発剤の件も含めて畳み掛けたんだよきっと」
「やめろ! 僕が死ぬ!」
耳まで驚くほど真っ赤になったニコラは、手で顔を隠すように覆い、俯いてしまった。
そんなニコラを見て、それまで不思議そうにしていたリオールはようやく理解できたらしい。
次にはリオールも真っ赤になり、気まずそうにニコラから目を逸らしていた。
「てか僕たちのことはいいんだよ。ティト、リハビリするよ」
「え! いいの? 僕のリハビリ面倒くさいよ?」
「もともとそのために来たんだ。今は王宮にいる殿下やエミディオ様たちが持ち回りでやってるんだろ? 俺たちも力になりたくて」
確かにティトのリハビリは現在、レンやエラルド、エミディオという王宮に気軽に入れる三人が協力してくれている。あまり長くリハビリの時間が取れないから、回復も少し遅い。
「でも……せっかくなんだし、のんびりしていいよ」
「僕たちだって感謝してるんだよ。全部知ってるわけじゃないけど……ティトが僕たちの運命を変えてくれたんでしょ」
いずれは、ティトの記憶についても二人に話すつもりではいた。けれどどう言えば良いのかが分からなかったから、まだ言うつもりではなかった。
リハビリを終えて、せめて以前のように学園に通えるようになってから。そこで二人には明かそうと、それまでに言い方を考えなければと悠長に構えていたのだが。
「……変えた……変え、ちゃった……ごめん」
「? なんで謝るんだよ」
「いや、だって……僕にはそれが、良いことだけだったとは思えなかったから」
「そうか? 僕は別にいいと思うけど……てか、今以外の未来とか想像つかないし。それに……リオとも婚約できたしな……」
最後の言葉はあまりに小さく、隣にいたリオールにも届かなかったらしい。そんなリオールは腑に落ちていない様子のティトに、幸福そうな苦笑を漏らす。
「ティトがしてくれたことは、間違ってなんかなかったってことだよ」
その日は結局、二人ともティトのリハビリに根気強く付き合ってくれた。
ティトが杖なしで歩けるようになるまで、それからさらにひと月。ニコラやリオールも王宮に入る許可が降りたらしく、協力をしてくれたから、ティトの気持ちもあってぐんぐん回復に向かった。
歩けるようになるということは、ティトが伯爵家に帰るときが来たということだ。
家族とは手紙のやり取りはしていたが、数ヶ月は会っていない。お咎めなしとされたものの、ロタリオ伯爵家の者が王宮に踏み入れるのは、さすがに許可されなかった。
「……ティト、どうか離れている間も、私のことを思い出してほしい」
伯爵家へ向かう馬車の前、見送りに来たレンが切なげに眉を下げる。
後ろではエミディオとエラルドが呆れた様子で立っていた。
「そんなに長く会えないわけじゃないよ。学園にもまた通うし、そしたらそこですぐに会える」
「分かってる。でも……私自身戸惑ってるんだ。これまで死ぬつもりだったからティトを諦めていたけど、まさかティトと一緒にいられる未来が手に入るなんて……片時も離れたくない。不安になるよ、ティトがまたどこかで無茶をして、怪我をするんじゃないかって」
「まぁ、陛下も王妃殿下をやや強引に囲ったようですし、王家の血筋は元来、そういった性質なのかもしれませんね」
「あー……オレの父もそうだったって聞いた気がすんなぁ……」
レンは外野の声をすべて黙殺し、ティトの頬にキスを落とす。
「今度、デートに行きたい。ティトの時間を一日、私だけにちょうだい」
「うん、僕も行きたい。でも無理はしないでね。公務とか忙しい時期もあるでしょ」
「この後がまさにそれですね。殿下、早めに切り上げてください」
「切り上げるって言うな、私とティトの時間を……!」
「レン、手を貸してくれる?」
ティトが手を差し出すと、レンは喜んでその手を取った。慎重にティトを馬車にエスコートする。ティトはまだ段差が苦手だ。分かっているから、レンも細心の注意を払っていた。
「またね、レン」
「うん。くれぐれも無茶はしないで。会えない日は手紙を送るよ。デートの約束も忘れないでね」
この数ヶ月で、レンは元の顔つきに戻った。クマもなくなり、顔色もよく、目も腫れていない。ティトは毎日それを確認しては、毎日同じように新鮮に嬉しく思っていた。
馬車に乗ると、なぜかレンも乗り込んだ。不思議に思っていたティトだったが、ティトの頬にレンの手がそっと添えられ、熱っぽい目を向けられて意図を察する。ティトはそっと目を閉じた。唇が静かに触れ合い、至近距離で見つめ合った二人は、どちらともなく笑みをこぼした。
伯爵邸に馬車がつくと、迎えに出たのはエミリオだった。ティトが帰ってくると聞いて急遽休みを入れたらしい。ティトの手を取り、慎重に馬車から降りる補助をする。ティトも力が抜けないようにと、力を込めて踏ん張っていた。
「……ティト、聞いたよ。除籍処分を望んでまで、私たちのことを守ろうとしてくれたんだってね」
ティトが馬車から降り立つと、エミリオは少し怒ったような声を出す。
「そんな大切なことを一人で背負うのはやめてくれ。殿下のことを救った件は立派だった。あとから聞いて驚いたが……除籍の件もだが、命に関わることを一人で決めてしまうのは、家族として悲しい」
「……すみません」
「いや、私も悪かった。ティトは賢い子だから、私が何も言わなくとも、何かの罰が与えられると察したんだろう。私がティトを見くびっていたな。お互い、次からは相談しよう」
ティトの足元に目を落とし、邪魔になりそうな石を払う。エミリオは淡々としているように見えたが、いろいろな感情がせめぎあっているようだった。
屋敷に入ると、ユリアーナが待っていた。ティトの姿を見て息をのみ、涙を流す。本当は抱きしめたいのかそばまでやってくるが、ティトの状態を考えて我慢していた。
「ティト……あなたって子は……」
「ごめんね、母様。ただいま」
「おかえり……おかえりなさい……帰ってきてくれて良かった」
「……兄様は?」
「ルギスはドローイングルームで待っているよ。ティトに謝りたいと」
「兄様は悪くありません」
「そうは言ってもね。……私たちに迷惑をかけたと、周りが見えなくなっていたことに対する後悔が深いようだ」
ドローイングルームのソファには、表情のないルギスが座っていた。ルギスはうっそりと視線をあげる。介助されながらゆったりと歩むティトを見つけ、ルギスはすぐに頭を下げた。
「ごめん」
「もう何度も聞いたよ」
「除籍処分を自分から言い出すとは思ってもいなかった。……そこまで、ティトを追い詰めてしまった。本当に、申し訳ない」
「……兄様、まだ記憶はある?」
ティトが、ルギスの前に腰掛ける。ティトの隣にはエミリオが、そしてルギスの隣にユリアーナが座った。
顔をあげたルギスは、訝しげな顔でティトを見る。
「……不思議なんだ。以前よりも前世の記憶がぼんやりしてる。どうして分かった?」
「僕も同じ。たぶんこのまま消えていくんだと思う。……真広がね、兄様も僕も、もう何も考えず幸せになってくれって言ったんだ。静希くんももう何も思わないだろうからってさ」
ルギスは無意識に、自身の胸に手を置いた。
生まれたときから記憶があったルギスは、自身がルギス・ロタリオなのか羽佐間静希なのかがいつからか分からなくなっていた。もしかしたらずっと自分を静希だと思っていて、だからこそ今世では弟を守らなければと躍起になっていたのかもしれない。
そんな静希の記憶がなくなる。ルギスは彼を失って、どうなるのだろうか。
「……そうか。居なくなるのか」
ぼんやりとした声である。あまり実感がないのだろう。ルギスの気持ちがなんとなく分かるティトは、心がきゅっと締め付けられるようだった。
「兄様はもう、兄様のために生きてよ」
考えるような間を置いたあと、ルギスは曖昧にうなずいた。
「……僕もね、殿下と生きようと思う。殿下が一緒に居たいって言ってくれたんだ。僕も殿下を支えたい」
ティトの言葉を聞いて、エミリオとユリアーナはどこか寂しげに、けれどどこか安堵したように微笑んだ。ルギスも少しではあるが、先ほどまでの固い表情から幾分和らいでいる。
一番に口を開いたのは、ティトの隣でティトの体を支えていたエミリオだった。
「そうかい、殿下と。そうなる可能性はあると事前に聞いてはいたが、ティトから聞くと心が重たいな。まだまだ一緒に居てくれるものだと思っていた」
「ティト、王妃様になるのね。あなたならなれるわ。だって私たちの自慢の子だもの」
「ありがとう。……だけど本当に、みんなが認めてくれるかが心配だよ。僕なんて王妃様の器じゃないし……」
「? 聞いてないのかい、ティト。その辺りはすでにクリアしてる」
「……え?」
ティトはまだ可動域の少ない首をできるだけ動かし、エミリオのほうにゆっくりと振り向いた。エミリオは「どうして何も知らないの?」とでも言いたげな目でティトを見ている。ティトがおかしいのかと他の二人を見てみたが、二人も同じようにキョトンとしていた。
「前に少し話しただろう、ティトはこの国に大きく貢献していたんだよ。ティトの助言でこの国は戦争を回避できたと言われているし、隣国も『情勢悪化の一途を辿らず、回復できた』と、我が国との関係もさらに深まった。さらに、名門学園に対して『奨学金制度』の導入を進言して、貴族学園に平民を入学させることで国民の学力の底上げにも成功した。学園の事件を解決したことも大きな功績となっているよ。もちろん犯人は伏せられたうえでね。まぁ、この数ヶ月でこの噂は貴族伝いに一気に広まったが、それまでは王宮内での密やかなものだった。主に殿下が言いふらしていたんだけど」
「え……いや、僕は別に……」
そういえば、耳に馴染みすぎて違和感にもならなかったが、ニコラは平民ながらも奨学金制度で学園に入学したと言っていた。ゲームでは貴族学園だったはずだが、その制度があるために実際には平民の生徒も多く在籍していたのだ。
ティトは幼い頃、奨学金のことをレンに事細かに話した記憶がある。レンの立場ならば、学園の制度を変えることもできるのかもしれない。
「何より、国王陛下が『ぜひ王家に』と言ってくださっているのよ。あなたが周りの評価をひっくり返したの。大逆転だわ、それまではとっても疑われていたのに」
「こらユリアーナ、ティトが不安になるようなことを言わないように」
「もう疑われてもいないんだからいいじゃない」
明るく振る舞ってはいるが、ルギスのこともあり、ユリアーナもすっかりやつれている。そのうえでまだティトのことも気遣ってくれる姿に、ティトは感謝こそすれ不安などは一切感じていなかった。
「ティト、今は治療に専念してね。父様と兄様は忙しいから、母様と一緒に頑張りましょうね」
「もちろん俺もサポートするよ。何かあったら兄様を呼んでくれ」
「そうだな、私もその気持ちだ。そういえば、ユリスくんとイヴァーノくんが何度か家に来てくれてね、ティトのリハビリの経過や様子を教えてくれたんだ。お礼をしたいから、今度招いても良いかな」
「そうね、そうしましょう。良いお友達ができたのね、ティト」
では今度、街に出たときにお菓子を買っておくよ。あら、うちのシェフのデザートではだめかしら? 両方出せば良いんじゃないですか? 俺はどちらも好きですよ。今度二人に会ったら日程を決めておこう。そうだわ、殿下もいらっしゃるかもしれないから気合を入れてお掃除してもらわないと。殿下はティトしか目に入らないから大丈夫だよ、母様。
ああだこうだと言い合う三人を前に、ティトはふっと口元を緩める。同時に涙が頬を伝い、にこやかだった三人の目が一気にティトに集中した。
「どうしたティト、どこか痛いのか? 横になるか?」
「俺に何かできることがあるなら言ってくれ、何か要る?」
「まあどうしましょう、ティトの好きなお菓子を用意させるわね」
「ううん、違うんだよ」
前世、ティトには家族が居なかった。好きな人ができても相手にされることはなく、ずっと一人で勉強ばかりをしていたものだ。
幼い頃に両親が離婚し、母親に引き取られるも、母親もすぐに他界。施設に預けられたが、一人ぼっちで読書や勉強ばかりをしていたからか誰もティトのことを相手にしなかった。
たった一人、一つ年上の少年だけがティトを気にかけてくれた。本当の弟のように接し、ティトの孤独は薄れていたが、それでもやはり憧れはある。
ティトは家族がほしかった。
誰かに心から愛されたかった。
前世でそんな気持ちを抱いて死んだから、もしかしたらこうして温かな家族のもとに生まれることができたのかもしれない。
(……これで、真広も救われる)
真広の魂は、ティトの中で笑っているだろうか。
「……僕、この世界で、この家に生まれてよかった」
ティトが笑うと、エミリオもルギスもユリアーナも一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに照れ臭そうに笑ってくれた。
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